見出し画像

「意思」を表現すると「サポート」がくる。

みなさん、こんにちは。ご訪問いただきありがとうございます。

現在Reapraという事業投資会社に所属している小堀です。今回はプライベートで子どもと接しているときに気付いたことをnoteさせていただきます。こんな想いを抱えている方々の何かのきっかけになれば幸いです。

・意思を表現したいけどなかなかできない
・意思を表現しても何もならないと思ってしまっている
・意思(やりたいこと)は自分だけでやらなきゃいけないと思っている

今回も最後までお読みいただければ嬉しいです。

意思って何か。

辞書的には、「意思」は次のような意味でした。

何かをしようとするときの元となる心持ち。「本人の―に任せる」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%84%8F%E6%80%9D/

ちなみに、「意志」はこちら。

あることを行いたい、または行いたくないという考え。意向。「参加する―がある」「こちらの―が通じる」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%84%8F%E5%BF%97/

あくまでもニュアンスの違いかもしれませんが、「意思」はより感情や感覚に近い印象で、「意志」はより何か行動することを前提に紡ぎ出された「思考」に近いように思いました。

子どもと接していて気付いたこと。

子どもは本当に純粋に、無邪気に、「◯◯したい!」「✕✕はしたくない!」と「意思」を表現してくれる存在だなと感じています。そこに「思考」はあまり介在せずに、感覚や感情で意思をそのまま表現する。

時々、かなり突飛な意思を表現することもあるので「え、そんなことできない」とか、「それはされたら困る」とか、受け取る側として困惑することも多々あります(家のリビングに長くて複雑で大きな線路を子どもが自作し、1週間ほど足の踏み場がない生活をしたのはいい思い出です笑)。一方で、多くの大人は子どもが表現してれくる意思に対して「なんとかしてあげたい」「サポートしてあげたい」と思うのではないでしょうか?

これまではどちらかというと、「サポートしよう」という意思がある人たちがいて初めて「意思」を表現することができると考えていたのですが、子どもを見ていると決してそうではないことのほうが多いように思います。(どちらかというと、「意思」と「サポート」は両輪のイメージ)

子どもたちなりに安心安全を感じているから「意思」を表現する側面がありつつも、彼ら(彼女ら)は、純粋に意思を表現し、そこに周囲のサポートが入っていく循環があるように感じます。

ボクの場合は、これまで自分の「意思」を表現することが少なかった傾向があり、最近は少しずつ「意思」を表現することをトライしているのですが、それにより周囲のサポートを得やすい感覚を得ています。

こう考えてみると、「意思」と「サポート」が成立するのは決して「子ども」と「大人」の関係性だからではなくて、元来「人」と「人」との関係性で成立することなのではないか?と気付きました。

子どもと接することで、「自分の意思を表現しても大丈夫なんだよ」と勇気をもらえているような気がします。

結び

今回は、「意思を表現するとサポートがくる。」というタイトルでnoteさせていただきました。

いまは、自分が何をしたいのか?という意思を自分で掴み取ることさえも難しいのかもしれません。ただもし、自分が「こうしたい!」という意思がある場合には、それを伝えられると思う人に少しずつ伝えることから始めてみると、少しだけ自分の心持ちや社会や周囲の見方が変わるのかもしれません。

 もし今回の対談内容を読んでいただき、感じたことや考えたこと、「こんなことを話してみたいな」と思ってくださった方がいれば、ぜひご連絡ください。一緒に何かを学び合えたらとても嬉しいです。

▼連絡先
メール:yuto.kobori@reapra.sg
facebook:https://www.facebook.com/yuto.kobori/

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?