【感情との対話】書籍紹介:利他性の経済学
みなさん、こんにちは。ご訪問いただきありがとうございます。現在Reapraという事業投資会社に所属している小堀です。
今回の投稿では、直近読んだ書籍についてnoteさせていただきます。今回も最後までお読みいただければ嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。
利他性の経済学−支援が必然となる時代へ。
直近、こちらの書籍を読んでいました。
以下のように書籍の紹介がされていました。
以前のnoteで、『ゆっくり、いそげ』という書籍を紹介しましたが、その本の中に参考文献として引用されていたので興味を持ち、手にとった次第です。この本のなかでは筆者の経験や考察をもとに、これからの時代では『管理』ではなく、『利他』や『支援』が必然的に求められることが考察されていました。
ボクがとても印象的だなと思ったのは、それらが求められる背景や根拠として、経済社会の変動性が従来よりも増している、という筆者の論拠でした。
印象的だった箇所。
この文章を見て、「あぁ、まさにだなぁ」と感じました。従来は「こうであるから、そうなるであろう」みたいに、ある一定の論理で色々なことが説明できるように見えていたことも、VUCAという言葉に代表されるように、社会の色々な動きを論理的に説明すること自体が難しくなってきたように思います。
結果として「こうなりましたよね」ということは誰にでもわかるし、説明もできるけど、その過程は複雑過ぎて誰も捉えることが出来ない、より動的な社会になってきたのでは、という視点です。
捉えた自分の変化。
この本を読んだときに、以前の自分では捉えきれていなかった感覚を得ました。おそらく、過去であれば上記に書いたような動的な事象や変化をここまでの腹落ち感を持って理解できていなかったはずです。「動的に社会が変わってるのね、はいはい」みたいに、どこか他人事のように頭で理解するところにとどまっていました。
過去と現在の自分の変化の要因は、「感情との対話」をテーマにして学習を始めたことではないかな、と感じています。過去の自分は、自分自身の内面も含めて感情や身体感覚に敏感になることが少なく、社会をマクロ的にしか、もしくは表面的にしか捉えられなかった。一方で、いまは自分の感情を起点にして、自分のいまを知り、他者と対話し、社会と接点を持ちにいく学習を進めているがゆえに、ミクロな動きに対して敏感になっているように思います。
そうした結果、社会のマクロ的な動きや動的な変化が、一人ひとりの人間の感情の想いによって引き起こされていることが少しずつ理解できるようになってきたのだと考えています。マクロとミクロが徐々に繋がってきた感覚です。
もちろん、すべてを腹落ち感を持って理解できることはあり得ないですし、またそうなることも望んではいないのですが、ミクロな学習を進めていくことで、接点を持てる世界が広がったり、深まったりするのではないかな、と今は期待感を持って学習を進められていると思います。
結び。
今回は、直近読んだ書籍についてnoteさせていただきました。
2月末から世界で大きな出来事が起こり、少し不安や恐怖を感じる日々を過ごしているなと感じています。何かが出来るわけでもないし、すぐに解決に向かうような感じもしていないですが、いま出来ることややらなくてはいけないこと、淡々と進めていくしかないのかなと思っています。早く色々なことが落ち着きますように。
もしボクのnoteを読んでいただき、感じたことや考えたこと、「こんなことを話してみたいな」と思ってくださった方がいれば、ぜひご連絡ください。一緒に何かを学び合えたらとても嬉しいです。
▼連絡先
メール:yuto.kobori@reapra.sg
facebook:https://www.facebook.com/yuto.kobori/
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
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