暦の先、命の歴史、十三月。
みなさんお元気ですか。
とがるのナカニシです。
昨日、十三月のMVを公開しました。
ご覧いただけましたでしょうか?
まだの方は是非こちらからご覧ください。
今回は、十三月とは一体どういった考え方に基づいた概念なのかを記述していこうと思います。
かなり個人的な体験や歴史に偏った内容となっております故、駄文長文はご容赦いただけますと幸いです。
開口一番に本筋から逸れてしまって申し訳ないが、先に記述する必要があるため言及します。
「GEZANのレーベル"十三月の甲虫"からの影響は断固として存在しない!!」
バンドとしての影響は多分に受けているし、リスペクトしているが、私には私なりの"十三月"があるのだ!!
何より先に断言しておく。
その私なりの十三月とやらを説明する上で、切っても切れないのが12ヶ月連続企画"GUITAR"と、セカイ系という考え方、そして生と死を包括したより大きな世界観のある言葉、この三点です。
まず、セカイ系の定義については下記を参照していただきたい。
概ね相違はないが、私の感覚的な解釈を言語化すると、
「個人が抱える問題を徹底的に省みた際に、世界あるいは他者と連結して、問題が発生したり解決したりする」
といったところであり、ある種バタフライエフェクトにも通ずるものだと思う。
以上のような定義付けの上で、個人的な観点から話を進めていこうと思う。
まず、なぜGUITARを始めたかというと、詳しい話は前記事のメンバー募集についてで記載しているため参照していただきたいが、なんとなく漠然とバンドが"うまく機能していない"という感覚があり、対外的にもどんな解決があるか分からないが、とにかく向き合い懸けていくための闘いを自らで叩きつけるためだった。
私が私の人生をより良くするために始めた闘いだった。
その道中で数多くの別れがあったが、それと同時に正しく出逢ったり、合流するなどという奇跡もあった。
そして、数多くのお客様からの言葉があり、個人的な闘いも突き詰めると誰かの人生に連結することを知った。
だからこそ、またバンドをやりたいと思ったし、そこから唄も変わっていった。
過去の1stと2ndアルバムに共通する表現として、生きる私が、死んだあなた(作中)に言及しながら、両者の言葉や視点が、意識の流れのように主観で登場して交差する、といった内容だったと思う。
だがそれは、事実の写実や感想に接近したものであり、場合によってはリスナーと共に奈落の底へ堕ちかねない内容だったと思う。
だが打って変わって今作で意識した点は、死んだあなた(作中)を紛うことなき私個人の視点で徹底的に描き切り、その上で必ずポジティブな結末を迎えるということだった。
出来事の写実から逸脱して、何か解決の糸口になるような唄が作りたかった。
あなたと私が共に上昇していくために。
そういった私がより良く生きるための闘いと、あなた(作中)が死んでしまったことの徹底した表現が連結して、より大きな生も死も包括した世界観を表す言葉が必要になった。
12ヶ月連続企画の先にある希望と、大きな概念を超越するような、両方のニュアンスを表現するために考えた言葉が"十三月"だった。
あえてまとめると、個人を突き詰めると世界ないし他者と連結することを実感し、共に上昇するような唄が必要になった。
そして、現実に生きる私の未来についてと、作品の中で追求したあなたの死を包括した、万物の先端にあるような言葉、それが十三月です。
長らく自論にお付き合いいただきありがとう。
各曲の音楽的な解説やセルフライナーノーツのようなものは、また後日まとめてみようと思う。
それじゃあ、1/26は是非ともよろしくね。
共に十三月へ行こう!
P.S. 弾き語り企画も入れると去年18回だから、実質19月。
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