愛着と執着心。あの時の熱中について考える。あれはADHDの衝動だったのだろうか?
最近、自粛期間も終わったのに、みなさんより"一足遅く"断捨離をしてるんですが…。
自分の興味の移り変わりってなんだったんだろうなぁって思うことあります。
本当にこだわり抜いて好きで好きで熱中してたと思ってたことが、
数年経って振り返ってみると、もう全然やってなくて、興味が1mmもなくなっていたりする。
でもでも、あの当時は本当に真剣に向き合ってたと思うんだよね。自分の気持ちに嘘はなかった。
このロードも馴染みの自転車屋さんにお願いしてこだわり抜いて組んでもらって、新幹線に乗って大阪までホイールを直接買いに行ったり(←なぜ通販で買わなかったのか笑)、海外に発注してから何ヶ月も待ったりしてやっとのことでつけたパーツもあって。
ロードバイクは乗ってナンボだけど、悪く言えば"物置の肥やし"、よく言えば"オブジェと化したコレクション"になってしまった。
物置が子供の自転車や園芸用品などで埋め尽くされ、出番のないロードを売却する流れになっている。コロナ禍における収入減などもあり、手元に現金をおいたり、今必要な他のことに投資したりするために。
「今、必要なこと」
そう思って買ったもの、投資だと思ってしたことも、また数年経って
「なんであれにお金かけてたんだろう?」
「あのことに夢中になってたけど、なんでだろう?」
とかやっぱりまた思うのかな。
人生振り返ってみると、それの繰り返しだった気がする。
コレクターイズムというか、買いたい、集めたい病は多少なりともADHDの衝動特性があることを診断されて初めて知った。
気付いたらカードローン地獄に陥ってた…なんてことは、最近はなくなったけれど。
でも、ただの衝動買いなら、思い入れや愛着はない。
愛着が少なからずあって、手放すのが惜しいな…と思うのは、苦労して手に入れた、組み上げてきたという【サンクコスト効果】なのか。
サンクコスト(埋没費用)とは、「すでに支払ってしまい、取り返すことのできない金銭的・時間的・労力的なコスト」のこと。
「サンクコスト効果」とは、「すでに支払ったコストを取り戻そうとする心理効果」。サンクコスト効果の影響を受けてしまうと、サンクコストに気が取られ、合理的な意思決定ができなくなる。
手放したくはないけど、今後乗る機会もあまり無さそう…という想いで、やっぱり嫁の忠告通り手放そうか悩んで、ヤフオク出品用に写真を撮って眺めてて1時間経っている。
自分の興味が移り変わって、持っているモノを手放したりしたとしても…
それを手に入れたことや、それによって体験したこと、このコト自体は僕の人生の経験や糧となって蓄積され積み上がっていると考えたい。
僕たちはモノではなく、モノを通した経験や体験を買っている
「あれもこれもやったけど、時間もお金も無駄だったよね…」って言われるのはしんどいし、自分でもそう思うと、これまで生きてきた人生を否定してしまうことになって病むからなぁ。
そう思って、売る前にはかなりセンチになるし、自分の人生振り返って悶々するけど、売ったら売ったで意外とスッキリするし、パパっと今日中に出品してしまうのがいいのかもしれない。
転職もそうだったし、決めてから一歩を踏み出すと、気持ちの踏ん切りがつくし、新しいステージ(次に買うもの)へのワクワクとかあるし。
サンクコスト効果もあるけど、執着心と愛着の違いも意識したいところ。
何かを手放せないとき、その代わりに得られる何かも失っている…機会損失と考えればいいのかな?
気持ちを一旦落ち着けて、手放した後のことを考えると
欲しくなったら、また買えばいい。
そうやって自分を納得させている。
その時期がまた来なければ、それは自分の興味がそこに無かったということなのだ。
言い換えれば、優先順位がその時々で異なったというだけのこと。人間は常に変化する生き物、それを成長と呼べればいいなぁ。
PS: ロードバイクはバラバラに解体され、無事にヤフオクとメルカリにて売り捌かれました