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バリ・ロンボク島の文化が教えてくれた、大切なものを失くしたときの立ち直り方②

前回の続きはこちらから▼

ロンボク人の青年とお祭りへ

買ったばかりの大事なピアスを
ギリ・アイルのビーチで失くして
しまった翌日、

友人Kちゃんは行きたい場所があり、
私より一足先にバリ本島に向かうため
一旦別行動に。

私はロンボク島の本島で
もう一泊してから、
バリに戻ることに。

ギリ・アイルに訪れる前に
友達になったロンボク人のJくんが

「市内でお祭りがあるから一緒に行こう」

と、誘ってくれたのだ。

前回は、日本人の奥様とロンボク人の
旦那様で営む民宿に泊まったのだが

そこで提供していた
現地ツアーに参加したときに
車のドライバーをしていたのが
Jくんだった。

彼は現役大学生で、観光と
日本語を勉強しており、
アルバイトでドライバーをしていた。

将来は日本語も英語もできる
ツアーガイドになりたいんだとか。

日本の歌やアニメをよく知っている
Jくんは、Kiroroの「未来へ」や
秦基博の「ひまわりの約束」など
車で流してくれて、一緒にカラオケ
しながらのドライブはとても楽しかった。

バリやロンボク島の人たちは
みんな日本語も英語が
本当に上手。

経済がほとんど観光業で
成り立っているので、

語学ができることが、
より生活に直結するのだろう。

かといって、受験勉強みたいに
必死に机にかじりついて
勉強するのではなくて

Youtubeでアニメやドラマを見たり
音楽を聞いたり、
オンラインゲームをしたり、

そういう”生の教材”から
楽しみながら、自然と
覚えてしまうみたい。

今回は、前回泊まったで民宿ではなく、
よりビーチに近い、安宿を予約した。

でも、けっこう雰囲気もよくて
宿の1階のテラスでご飯も
食べられるようだった。

せっかくならここで夕飯
食べたかったなー

なんて思ったけど
お祭りの屋台飯が大好きな
私は、ぐっとこらえて我慢。

チェックインを済ませて
部屋で少し一息ついたら

バイクに乗ったJくんの
お迎えが到着した。

**

前代未聞の大災害に遭遇**

お祭りの会場に向かう途中、
市内で一番大きいムスクにも
立ち寄ってくれた。

ムスクとは、ムスリム(イスラム)
教徒の人たちの礼拝堂で
アラジンに出てくるお城みたいな
形をしている建物。

ムスリム教徒ではなくても
女性は顔に布を巻かなければ
入れないということで

肩にはおっていたストールを
顔にグルグルと巻き付けて
現地人になりすます。

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一番上までエレベーターで
登ると、市内の夜景が見れる
そうなのだが、エレベーターが
使える時間帯が決まっているらしく
到着したときはまだ動いていなかった。

お祭りの後、時間があったら
また来よう、といって後にした。

マタラムという市内の
お祭り会場には
たくさんのブースがあった。

服や、雑貨、食べ物など
色んなものが並んでいた。

お目当ての「屋台めし」も
食べて、そろそろムスクの
展望台に向かおうか…
というときだった。

グラッッッ

と、立っていられないほど
地面が大きく揺れて
私はよろめいた。

そのあと、

バチンッ!!!!!

と大きな音がした瞬間、
遠くのほうで火花が散って
すべての電気が一斉に消えた。

地震だ・・・・・!!!!!!

東北の震災で感じた
揺れの次に大きかった。

ああ、これは
結構やばいやつだ…
直観的に感じた。

震度6,7ってところだろうか。

しばらくすると、隣の大きな
ショッピングモールから、中にいた
人たちが雪崩のように飛び出してきた。

壊れる!逃げろ!
建物から離れろ!

と言っているようだった。

「私たちも逃げよう」

そういって、バイクに戻り、
車道に出たが、

停電で信号機もとまっていて
まさにカオス、そのものだった。

東南アジアに行ったことがある人は
ご存じだと思うが

「通常時」だって、

制限速度を取り締まる警察もいないし
1車線に4台もバイクが並走するし
追い越しも激しくウネウネと
車やバイクが行き交うような

カオスな交通事情だ。

この緊急事態では、
その10倍のカオスぶり
だったことを想像してほしい。

真っ暗闇の中
車とバイクのライトだけ
を頼りに進んでいく。

津波警報も出たという噂で
市内はさらにパニックに。

交差点では
「我先に」と
四方八方から
バイクや車が走り、
まったく進めない状況だった。

しかし、彼にとっては生まれ育った
「庭」のような場所なので、隙間を
縫うようにして(しかも、逆走!)
裏道に入ることができた。

もう色んな意味で、
本当に怖かった。

とくに3.11で津波の怖さを
知っている私は、本当に
もうここで津波が来て
死ぬかもしれないと、
密かに覚悟していた。

でも、彼が

「ダイジョウブ、ボクヲシンジテ。
シッカリ、ツカマッテ」

と声をかけてくれたおかげで
私は気を保つことができた。

お前はアラジンか!!!!

とつっこみたくなったけど、

あまりに頼もしい背中に、正直

惚れてしまうやろーーー!!!!

だった。

まずは彼の実家の
あるほうへ向かった。

優しそうなお母さんが
家から出てきた。
彼の家族は、
みんな無事なようだった。

彼は事情を話して

「僕はこの子が宿に帰って
安全が確保できるまで
そばにいることにした」

と伝えてくれたようだった。

私は覚えたばかりのインドネシア語で
せいいっぱいの自己紹介をして、
ありがとうございます、と伝えた。

私が変な人物じゃないと分かると、

「しっかりこの子を守ってあげるのよ」

と息子に言っているように聞こえた。

なんていいお母さまなんだ………( ;∀;)

こんな緊急事態。
大事な息子とずっと
そばにいたいだろうに…

そして、私の宿に到着。

シーンと静まり返っていて、
誰もいないみたいだった。
もうみんな、どこかへ避難したのだ。

とりあえず、すぐに荷物を
持って避難しないと!!

ここはビーチの近くの宿。
本当に、津波が来るかもしれない。

彼がスマホの懐中電灯で
暗がりを照らしてくれた瞬間、

私は絶句した。

宿が・・・・・・・・・・・・・

ない・・・・・・・・・・・!!!?

なんと、屋根が落ちて、
1階が全部潰れていたのだ。

私の部屋は2階だったので
荷物を取りに行こうと思えば
行けたかもしれないが

真っ暗だし、敷地内に入っている最中に
倒壊する危険性もあるので、
また明日の朝出直したほうがいい
と、Jくんはと言った。

パスポートや財布などの
貴重品は持ち歩いていたので
最悪の事態は免れたけど

私はバックパックに入っていた
すべての荷物を失うかもしれない

呆然としながら
バイクの後ろにまたがると

Jくんは私が好きな宇多田ヒカルの
歌をうたって、私をずっと励ましてくれた。

とりあえず、前回泊まった
日本人の奥様がいる民宿に行き、
避難させてもらうことになった。

建物の中は危ないので、
中庭でみんなで集まって
夜を過ごした。

こんなとき、右も左も言葉もわからない
土地で、助けてくれる人がいることが
どんなに心強かったことか。

余震もあってなかなか
眠りに付けなかったが、

みんなで励まし合いながら
ただひたすらに、
朝が来るのを待った。

つづく

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