紅白歌合戦に見る人生のフェーズと「定番を続ける美学」
今年は紅白歌合戦を椎名林檎あたりから見た。出演者のターゲットを30〜60代に置いた構成に感じた。
それなりにキャリアのあるミュージャンたちを見ながら、人生にはいろいろなフェーズがあるものだなとしみじみとしたのは、わたし自身もいつの間にか半世紀ほど年月を重ねてきたからだと思う。
星野源のステージにあれ?と思った瞬間、すかさず10代の姪っ子たちが「この人なんか変わっちゃったねー」「結婚したからじゃない」と言った。
確かにこの日の星野源には、彼の魅力ともいえる少年のような、子犬のような自由で愛らしい空気が感じられなかった。
なんだか上下から圧力かけられている中堅企業の「課長」に見えた。黒のロングコートがまた課長感を増し増しに見せ、ちょっと何かつらい時期に入ったのかしら?と心配になった。
それに対して、次のsuperflyの解放感ったらなかった。この気持ち良さそうな解放感はなんだ? 彼女は出産か離婚でもしたのかな? 思わず検索すると、前年に出産されていた。なるほどと思った。
その後、わたしが幼少期からこれまでに見聞き慣れしたアーティストや歌が続く。
・伊藤蘭「キャンディーズ50周年 紅白SPメドレー」
・YOSHIKI「ENDLESSRAIN 〜Rusty Nail」
・ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツ「YELLOW YELLOW HAPPY~Timing」
・薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」
・寺尾聰「ルビーの指環」
・Ado「唱」
・エレファントカシマシ「俺たちの明日」
・あいみょん「愛の花」
・さだまさし「秋桜(コスモス)」
・石川さゆり「津軽海峡・冬景色」
・藤井フミヤ「TRUE LOVE」
・有吉弘行×藤井フミヤ「白い雲のように」
・福山雅治「HELLO~想望 紅白スペシャルメドレー」
・MISIA「紅白スペシャル2023」
NHKサイトより
Ado、あいみょん以外は、何十年にもわたってメディアで街で何度も耳にしてきた歌ばかり。レストランでいうところのいわゆる「シグネチャーディッシュ」や「スペシャリテ」だなと思った。
フミヤは以前、何かのインタビューで「TRUE LOVE」はもう封印しようかと思った時期もあったが、自身が亡くなった時にかかる曲はきっとチェッカーズ時代の曲ではなく、この曲に違いなくて、だったらむしろ「TRUE LOVE」を「上を向いて歩こう」のような国民的な歌にしたいと思うようになった(多少ニュアンスは違うかもしれないが)ということを話していて、そう思えるまでは、なかなかしんどかっただろうなと思った。
紅白で歌うフミヤは、若い頃よりも落ち着いた声や声量に感じたけれど、さすが歌い続けているだけあって、肩の力が抜けた雰囲気がかっこよかった(ファン目線も多分に入ってますよ、もちろん・笑)。
翻ってわたしたち。わたしたちはレストランをはじめて、東京で4年、八ヶ岳で7年になる。冬の時期はゲストが少なくなるので、いろんなことを考える。
そういう時に、ずっと続けてつくっているシグネチャーやスペシャリテを「もう古いのではないか」「辞めようか」などと考えたりしちゃうものだ。
つくるほうも飽きるが、サーブするほうも飽きる。コースの構成にシグネチャーありきで考えざるを得ないもどかしさもある。食べるほうも飽きているのでは? 古くないだろうか?
飽きに加えて、自身の新しさへの挑戦心、クリエイティブとは何かという追求、時代の流行との比較、プライド…が、顧客ニーズとの乖離を生み、つくり手は悩む。
ミリオンセラーアーティストとは、その苦悩は比べものにはならないだろうが、「定番を続ける美学」という域にいけるまで続け続けるというのは、どの分野においても、悶絶する自分自身との戦いなんだよな。
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はっ‼︎
紅白見ながらそんな思考遊びをするわたしの思考を止めさせたのが、福山雅治の衣装だった。
ティンカーベルじゃん!
まったく歌が入ってこなかった。
2曲目に羽織らされていたふわふわのコートも彼らしくなく、また彼には丈が短い気がした。
後に「ティンカーベル激推しおじさん」とtweetされているのを見つけて、やっぱティンカーベルよね!と苦笑した。
レストランは味だけではないように、音楽の世界も曲だけではない。
食器や衣装って大事よね! その大切さを福山のティンカーベルは、わたしにあらためて教えてくれた。