老害とお節介のあいだ
宿の清掃の求人募集に、若い女性が引っかかってきた。
宿泊業をよく知る方から事前に聞いてはいたけれど、宿の清掃の仕事に応募してくる方は、レストランやカフェの接客に応募してくる方と違って、言葉でのコミュニケーションが不得手な方が多かった。
エントリーがあった段階で、メールでこちらから応募動機や働き方の希望などを聞くと、返事もないというパターンが続いた。
接客業に応募される方はしっかり書いてお返事くださるのだけど、清掃を仕事に考える方はそういうの不得手なのだな、面倒と考えるのだなと思い、事前にあまり質問などしてスクリーニングしないで、面接日を決めてお会いするようにした。
そうしたら、若い生まれて初めて仕事をするという女性がいらした。
面接で履歴書を拝読すると、名前をよく知る専門性のある大学を中退して、故郷に帰ってきたばかり。車社会の田舎で暮らしていくためにまずは自動車の免許を取ったという段階だった。
思わず、「もったいない」という言葉を発してしまい、あー、めっちゃわたし老害だ!と発した瞬間に反省した。きっと彼女はもう聞き飽きているはずだ。
親の車が借りられる日に面接にいらした。自分の車は1週間後に来るのだという。
ひとりで黙々とできる仕事がいいと清掃業がいいかなと考えたけれど、車の運転もおぼつかないし、自分の車もないので、近場のうちを選んだということだった。正直すぎる。
弊社からあと5分先のエリアには清掃業の募集をコンスタントにしているホテルがいくつかあるのだけど、車の運転がまだおぼつかない彼女には、その5分の運転が心配だと応募の障壁になったのだった。
よくよく聞くと、特に清掃の仕事をしたいわけでもなく、そもそも仕事そのものをしたいわけでもなく、でも学校を辞めてしまったし、何かしないといけないし、「年金とか払わないといけないので」と仕事をしたほうがいいと考えたそうだ。
年金を払うために仕事をする、か。そういう発想なかったなー。
「年金払わなくても生きていけるよ。わたし、払ったこと1年くらいしかないけど、まだ生きている」って、また余計なこと言ってしまったのだけど、彼女が心配していることは、そういうことじゃないのもわかってる。
東京の大学を辞めて実家に戻ってきたのだから、社会人らしく何かしら仕事をして、年金を払い、ちゃんとした自分でいなきゃ。言葉少ないながらも、そんな焦りがじわじわじわじわ伝わってきた。
あー、わかる! わかるけれど、でも、年金を払うためにする仕事って、なんか「仕事」がかわいそうだ。
はじめての仕事で、うちの宿のひとりで清掃する仕事はハードルが高いかもよ。先輩がいて、手取り足取り教えてくれる職場のほうがいいのでは? 何月何日、車が借りられて、お試しでバイトに入れるようなら来てみては?(弊社は採用前に1日お仕事体験をしてもらっている) と自分から辞退しやすい材料をわたした。
その晩、思ったとおり辞退の連絡が届いた。それで放っておけばいいのに、わたしは返事をしてしまった。
自動車の運転なんてすぐ慣れるし、車は1週間後に届くのだから、今の動けない状況のなかで仕事を消極的に選ばないで、車が届いてから、自分が大切にしたいことと折り合いをつけながら、気になる仕事を探しても全然遅くない。それでもなかなか仕事が見つからないならおいで、と。
嗚呼、またまた…。
この先、仕事せざるを得ない状況とか、やらざるを得ない仕事をするシーンはいくらでもあるわけで、もっとちゃんとしなくちゃなんて、50歳目前になってもいまだに思ってるし、逆に、こんなおとななことばかりしてたら、わたしがわたしじゃなくなるーと不安になることも多々ある。
自分のなかのおとなとこどもを行ったり来たりするのは、いくつになってもきっと変わらないはずだ。
面接はわたしのなかにいるわたしを面接のたびに発見して言わなきゃいいこと言ってしまい、老害が顔を出す。毎回、返り血をびっしり浴びながら、深夜、目を覚まして、その人のその後の人生を考えて眠れなくなっている。
お節介が過ぎる。夫からよく言われるセリフだけど、その歴史は夫との付き合いよりも深く長い。
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