【ブルーズってなに?】大正元禄ロックンロールに寄せて
大正ロック。
初日がはねた
深夜にこれを綴っています。
「ブルーズ」って誤字でしょ。
と思ったけど、いやいや待って。
数年前ジャズピアノの先生が
僕のノートに書いてくれた
最初の言葉がたしかそれでした。
ちまたでブルースと呼ばれている音楽は
本来の発音だとBlues (ブルーズ)と濁ります。
歌というより叫び声みたいな声の出し方をするな、と思って
調べてみたら起源もそんな感じでした。
音楽を専門的に学んだ人なら「すごい」と驚くかもしれません。
そもそも楽譜なんてないジャンルで
ただ気持ちのいい進行のギター伴奏があるだけ。
歌うたびに違うメロディなので
シンプルで、それでいて自由。
まさに「遊びと開放」というキーワードが
僕にとってはしっくりきました。
今回、歌唱指導という役割について
改めて考えさせられたことがあります。
それは表現を洗練させることはゴールではない、ということです。
たとえば
ミュージカルの現場での歌唱指導は
まずスコアに記されたことを守るよう
俳優たちに求めます。
それが仕事なので妥協はありません。
でも、今回は音楽劇。
必要なのは「ブルーズ」であること。
人間が必要とした先にある音楽。
ミュージカルのように
センチメンタルに浸ったり、
大胆に祈ってみせるようなものでもない、
非常にエネルギッシュな「逃げ場」としての音楽。
だから
ルール作っちゃダメやな、と。
それの追求でした。
活きたフレーズは勝手に生まれる。
声ではなく、体やその人の存在から。
魂から唄う
ってそういうことなのかなって思いました。
お客様には
リアルタイムで生まれる
その情動にぜひ立ち会ってほしいと思います。
大正元禄ロックンロール家族でしか
見れない体験があります。
この作品は
今後の僕の音楽人生にも
大きく関わるテーマになったように思います。
なんでしょう。この感覚は。
客観的な立場でいようと思ってたけど
いつのまにか自分も作品の一部なんだって
気づかされるような。
演劇ってぜんぜん刹那じゃないんだなぁ。
おもしろい。
最後に
素晴らしい俳優の方々へ。
僕は花を咲かせるための水の一滴でありたい。
エゴかもしれませんが、
そんな関係性でいたいです。
そうやって育てましょう、ブルーズを。
そして
貴重な機会に出会わせてくれた
エリィジャパンに感謝。
エリィちゃんに、ジャバさんに。