長年のコンプレックスを手術で取り除いたのにモヤモヤした話
先日、形成外科で顎の下にあった小指の先ほどの大きな黒子を切除した。
美容整形の是非やルッキズムの話題がテレビやSNSで取りざたされる時代に「顔にメスを入れてコンプレックスの原因を取り除く」という経験をして自分の内面に起きた変化や周囲の反応、見た目というものが与える影響について考えたりしたので、多少長くなるがここに書いておきたいと思う。
顎の黒子に悩んで
まず、私のコンプレックスだった顎の黒子について。
最初に気づいたのは母と祖母だった。乳児だった私の顎に薄いシミのようなものを見つけ、一体これは何だろうと思ったらしい。成長したら消えるだろうという予想に反して色はどんどん濃くなり最終的には大きな黒子となった。小児科医に悪性の皮膚疾患ではないと言われたのでそのままにした。
黒子は顎のオトガイ部分に居座った。首を後ろに反らすとよく見えるが、正面を向けば見えない。普通に生活するのに支障は無かった。
しかし小学校入学後。
周囲の目と言葉はあまりにも酷かった。
「顎に汚いものがあるぞ」
「顎にクソつけて学校に来てる」
「気持ち悪い」
ジロジロ見られたり、中には下衆な興味から触ろうとする者もいた。
卒業までこのような状況に置かれたため、私はいつしか俯きがちで首を動かさないように気を使いながら生活していた。
この頃、カルチャースクールの子どもバレエ教室に通っていたが踊っている最中に黒子が見えないかずっと心配していた。バレエは楽しかったけど鏡の前で確認するのは振り付けでも姿勢でもなく自分の顎ばかりで、当然ながら先生に怒られていたし、踊りが上手くなることは無かった(元から体を動かすのは苦手だったけど)
中学生になる頃には、黒子が見えない生活スタイルを自分の中で確立させた。首を動かさず、できるだけ顎を引き、さりげなく顎を手で隠しながら頬杖をつく。周囲から黒子について言われることは高校卒業まで皆無だった。
相変わらず気になる存在ではあったが、親の同意が必要で金の無い未成年が自分の意志でどうこうできるものではなかった。
そして大学生。
ついに拗らせる時が来た。
「綺麗な顔が欲しい」
田舎から都会の大学に進学したら、親元を離れて一人暮らしを始めたら、制限なくネットにアクセスして情報を貪るようになったら何が起こるか?
私の場合、自分の全てがコンプレックスになった。
18歳まで誰にも負けたくないからと努力した勉強の成果も同期からすれば取るに足らない数字だった。私が全てを捨てて努力して到達する地点にアイツはひとっ飛びで到達する。キャンパスを歩くのは都会的な服に身を包んだ可愛らしいあの娘だ。
みんなみんなみんな私にないものばかり持ってる。
喉から手が出るほどに欲しくてたまらない。
「大学では勉強さえしてればいい。卒業してからが本番だ。」
「遊んでばかりいると後で苦労するよ。」
上京前に親にそう言われたので、私は律義にその言いつけを守ることで心の平穏を保っていた。だけど大学生活は私の予想に反して大変だった。この頃の私は自分の意志で何かを決めたり行動することと、軽い雑談をしてから話を進めることが苦手だった。この二つが苦手だった場合、大学生活は遅かれ早かれ詰むことになる。ただでさえ苦痛な生活と課題講義に追われ、疲れて家に帰れば深夜までネットにアクセスすることしかできない。
そんな生活を送る中で、私の中にある考えが生まれていた。
「綺麗な顔が手に入ったら、人生は変わるのではないか」
この目が二重だったら、鼻が小さかったら、顎の黒子が無かったら。
私はみんなに受け入れてもらえるかもしれない。
世間体とかを気にして言わないだけで、みんな私のことを内心ブスだって思っているんだ。
この先社会人になった時も、顔が綺麗なら毎日が楽しくなる。
こんな顔の私を好きになる人はいない
自分を縛り付けるナニカが誕生した瞬間だった。
今回の話とだいぶテーマが逸れるので割愛するが、この後私は過去の辛い出来事やストレスから抑うつと複雑性PTSDの診断が下り、就活もままならず這う這うの体で卒業した。
恐ろしいことにあれほど心身ともにズダボロになっている最中でさえ、綺麗な顔をくれと願いながら寝込んでいたのだ。
さよならはしたけれど
地元に帰ってきたけど私には何にも無かった。
だからパートタイムの仕事をしながら就職先を探したり資格をとろうと決めた。働き出してお金がかなり貯まったころ、ふとある考えが生まれた。
この金額なら顎の黒子は手術で取れるのでは?
目と鼻をいじるより楽で手っ取り早い気がする。
思い立ったが吉日。
すぐに形成外科に連絡をとると、あれよあれよという間に手術日が決まった。もともと痛みに強いタイプだったので怖いという気持ちは無かった。
そして手術当日。
簡単な説明のあと、ベッドに寝転がると黒子の周りに4か所ほど麻酔を打たれる。これが一番痛かった。あとは無感覚だし、術野が見えるように穴を開けたシートを顔にかけられているから何が起きてるかも分からない。ただ頬に縫合糸がハラリと落ちる感覚だけは伝わってきた。
終わってから膿盆を見ると、切り取られた黒子が転がっていた。
あれほど黒々と主張していた黒子は体から切除された組織の一部となった瞬間に色が薄くなっていて、血が通わなくなった瞬間に一種の死を迎えたのだなと感じていた。
痛みはそれなりにあったが、大きめの擦り傷と深めの切り傷を作った時のような感覚で耐えられないものではなかった。そして丸一日経って保護していたガーゼと絆創膏を外し、初めて傷跡を見た。
傷跡はわりと大きめだが、縫い目はピッタリ閉じられている。
仮に跡が残ったとしても、毎回コンシーラーで隠す必要はないだろう。
「くっくっく・・・アーッハッハッハッハッハッハッハ!ハハハハ!!!」
鏡の前で笑いが止まらなかった。
なんでもっと早く手術しなかったんだ?
こんなに腹の底から笑ったのは何年ぶりだろうか。
私は感じたことのない多幸感に包まれていて、金で解決できるなら今度は鼻をやろうとまで考えていた。この時は。
翌日、絆創膏を貼りマスクを着けて出勤すると同僚のAさんが声をかけてきた。
「顎、どうしました?」
「ここにでっかい黒子があって。気になってたから手術したので。」
「え、そんなのあったんですか!」
その瞬間、頭を金槌でぶん殴られたような気がした。
ほぼ毎日顔を合わせ、マスクを外した顔を知っているAさんが黒子に気づいていなかった。
あれほど毎日からかわれて、嫌で嫌で仕方なかった。みんな分かっていて、ただ指摘しないだけだと思っていた黒子に身近な人が気づいていなかった。
帰り道、目と鼻を整形するプランは頭の中から消えた。
自分の抱えるコンプレックスが他人には見えていなかった。
もちろん長年かけて習得した顎の下を見せない癖が無意識のうちに出ていたからというのも考えられる。
それでも手術当日の爽快な気分には戻れなかった。
思えば周囲の人が内心で私をブスだと考えてるのは私の妄想にすぎなかった。面と向かって容姿のことを指摘した時は怒っても良いと思うし、人の容姿をとやかく言うのは相手を傷つける行為だ。しかし人には内心の自由というものがあって、それを侵すことは誰にもできない。
顔が綺麗だったら仕事も恋も結婚もできるなんていうのは甘い考えだ。
そもそも容姿にばかりこだわって、社会で生き残る知性もスキルも身に付かないままでいる方が余程恐ろしいと考えたから大学へ進学しようと決めたのだ。
それなのに、気にしなくても良かったものを気にして20代のうち数年をドブに捨てた。
あれこれ思い出しているうちに後悔の念に苛まれてしまう。
悩みとコンプレックスを解消するつもりが新しい悩みが生まれていた。
それでもやって良かったと言える日
手術から時間が経ったのでnoteにこのような文章を書いているが、現時点では切除したことに後悔はない。ただ、拗らせたコンプレックスとの付き合い方と数年間悩みすぎて失ったモノをどう取り戻していくのかが現時点での大きな悩みだ。
私自身はルッキズムがどうとか、美容整形の是非について物申すことはできない。だが金を出して体にメスを入れ、変化を起こした後に何が残るかについてはこの先も機会がある度に考えざるを得ない気がしている。
顎の黒子が無くなった私として生きて死ぬことが決まった。
どうか死ぬまでに一回でも良いから心の底から笑って「手術して良かった」と言えるようになりたい。
いまの願いはただそれだけだ。
恵麻