241016 あなた何度も許されてる
こんばんは、いかがお過ごしでしょうか。
こんなに毎日わたしからいかがお過ごしでしょうかって聞かれてウザくないですか?
でも何か文章を書き始める時、どんな言葉から始めればいいかなって思って。
今はなんとなく「こんばんは、いかがお過ごしでしょうか。」にしてるけどなんとなくこれにしてるだけなのでもっとしっくりくるのが見つかったら変わるやもしれません。
たとえば電車に乗っている時、道を歩いている時、ご飯を食べている時、日常のありとあらゆる場面で
なんで今それを思い出したんだろうっていうようなほんとに下らないことを思い出す時ってあるよね。
それらは大抵なんてことの無い昔の、日常。あと数年経てばもしかしたら忘れてしまうようなことで、はたまた今までずっと忘れていたことかもしれない。
今日も電車に乗って窓の外をぼんやり眺めながら保育園から帰ってきて実の父に抱っこされているところを思い出していました。まだ2.3歳の頃だと思います。
実の父と一緒に暮らしたのはほんの3年半くらいだと思いますが、もちろん産まれたてから幼児の頃までの記憶なんて朧気ででもずっと忘れられないというか、ふとしたときに思い出す記憶がいくつかあって
一番最後の記憶以外は全部が愛に満ちていたので随分大きくなるまでわたしは父親はすごく"いい人"なんだと思っていました。
優しくてあたたかくてこれこそがまさに正しい。父は「正義」という名前だったんですが、その美し過ぎる名前と、それから全国大会に出場するほど足が速かったところがわたしの自慢でした。
実際の父はきっと情けないところや、だめなところも沢山あったんだと思います。きっと母はそんなところがどうしても許せなくて離婚したんだろうし。それでもわたしの中での父はまさに"正義"でした。
輪郭が曖昧だからこそ日常のふとした時に思い出す優しい記憶。
その優しい記憶に何度助けられたか。こういった思い出して少しだけほっとする景色が記憶の片隅に沢山あることはとても幸福なことです。
「思い出す」という行為は過去に思いを馳せることだと思いますが、わたしがよく父のことを思い出すのは「わたしの父親」だった事実がもう完全に終わっているからです。父にはもう別の家庭があって、その新しい家族と過ごしてきた年数の方がはるかに長くて、成人した娘もいて、孫もいて。知っていることよりも知らないことの方がはるかに多くあってわたしの中ではもう過去の、思い出なんですよ。
だからぼーっとしている時よく思い出すんだと思います。
逆に姫事のことは沢山考えるけど、ふと思い出すみたいな景色はあんまりないかもしれない。
わざと記憶を掘り起こすことはよくするけどね。
ずっと現在進行形で色褪せない、とっても素敵だね。
わたしには毎日365日絶対に思い出してしまうけど忘れてしまいたいトラウマと、両の手で数えられるくらいの美しい思い出があります。姫事絶対値に入る前はその数えられるくらいの美しい思い出を何度も何度も頭の中で焼き直して再生して日々を凌いでいました。思い出は思い出のままで二度とこの手には入らない。過去は不可逆で、しかし都合よく美化されていきます。お布団の中で、電車の中で、予備校のブースの中で、学校の非常階段で、わたしは何度も思い出を再生して甘い感傷に浸っていたのです。
つまり、上に書いた父との思い出もわざと思い出してはあの頃たしかに幸せだったなーと耽ることがよくありました。
この7年半は、毎日が万全幸福というわけではなかったかもしれませんが概ね楽しく、健康的で、それから
数えられるくらいの思い出をわざと何度も再生するようなことはなくなりました。
常に楽しいことや嬉しいこと、身に余る幸福が毎日のように降り注いでくるので
そんな暇はないのです。そしていつしかはっきり思い出せていたはずのわたしの小さな幸福の思い出たちはどんどん輪郭を失って味がしなくなっていきました。
車窓を眺めてふと思い出す程度の、ただの「記憶」になっていってるのに気付いて
あー世界はなんて、色とりどりなんだと思いました。
目にうつるものすべてが鮮やかで、足取りも軽くて
電車に乗るのだって本当は嫌だけどそれでもその先のことを考えると心が弾む。
今日だって駅からスタジオに向かって歩いているだけで自分が機嫌がいいのが分かる。
なんて贅沢な日々を生きているんだと、わたしは「今」に浸ります。
もしこれが、自身に対する言い聞かせだったとしても
自分自身にわたしは今とても幸せなんだと言い聞かせられるくらいには数々の根拠があるということですから
それは最早幸福と呼んで差し支えないのだと思います。
今日仕事が終わってからメンバーみんなで円卓で食事をしました。
円卓は全員の顔を見られる面白いテーブルなので好きです。
この人達の輪の中にいる、内側にいるんだと強く実感してそれは紛れもない恵まれた幸せな事だと改めて思いました。
たとえ世界中の誰かが下らないと馬鹿にしたってわたしはこれが確固たる事実なんだと誇りに思うことが出来ます。
燃えて輝いて死にゆく命が、まさにいま一等燃えている瞬間。誰がなんと言おうとわたしは今一番燃えています。
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なんか長々と書いてしまった。ただ思い出しただけなのに。