241206 才能なんてないからここで一生泣いているんだろ
こんばんは、いかがお過ごしでしょうか。
乾燥がすごいよね。ハンドクリームを駆使して治した指先の皮めくれも復活しちゃった。しつこいくらいハンドクリーム塗ってるんだけどな(;_;)あと唇。しつこいくらいリップ塗りたくってるし夜寝る前はリップオイル塗ってる。それでも乾燥は容赦なくて悲しい気持ち(т т)
今日もリップしつこく塗ってたら突然思い出したことがあったんだよね。特にオチもないくだらない話なんだけど。
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中学一年生の冬になる少し前、人生で初めて入院した。きっかけは盲腸だったんだけど謎の炎症で入院期間が延びに延びて、それはもう暇を持て余していた。入院しているくらいだから自由に動き回れないしご飯も食べられないし手術の痕はちゃんと痛いし結構散々な日々だったんだよね。
でも、入院している間は学校に行かなくて済むし勉強もしなくて済むしすぐそこに控えてた期末試験だって、もし1位じゃなくたって入院していたことが免罪符に使えると思っていた。そしてなによりお父さんと会わずに済むしママが時々お見舞いにきてくれて、あれやこれやと世話を焼いてくれることがとてつもなく嬉しかった。ママは特にわたしの乾燥を気にしていてリップを唇に塗ってくれた。わたしが笑っちゃうくらいしつこく塗り込むからおかげでわたしは入院患者のくせに唇がぷるぷるだった。苺の匂い付きのリップ。
これくらい塗らないと乾燥には勝てないよ、とママは言っていたからわたしはそれ以降リップはしつこく塗るって決めている。
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入院期間が1週間を過ぎた頃、クラスメイト全員からお手紙を貰った。ありきたりな話である。ただの盲腸がきっかけなのに大袈裟なんじゃないか、と思ったけれどその頃はなぜいつまで経っても退院させて貰えないのか分からなくてイライラを募らせていたのでその手紙はちょっと嬉しかったし暇つぶしになった。
まだ入学して半年少ししか経っていない。中には殆ど喋ったこともないクラスメイトもいる。男子なんて、半分以上は喋ったことがなかった。なのに全員がもれなく書いてくれていて、そのどれもが学校で待ってるよ、とか早く元気になってね、とか想像に容易いわたしを慮るメッセージだった。
そしてその中に紛れていたのが一枚の紙いっぱいに魚の名前が書いてある手紙だった。
それを書いてくれたのを仮にN君としよう。わたしの親は学校の保護者会の特別な組織に所属していて同じ学年の子達の親がどんな仕事をしているか、どんなご家庭なのか、みたいな情報を殆ど握っていた。N君とは喋ったことがなかったけれど小学校の時一瞬だけ塾が同じクラスで、顔は知っていた。そして開業医の息子だった。将来は跡取りとして絶対に医者になることが決まっている子だったのだ。N君の親が病院を経営していることをわたしは親から聞いていて仲良くしておきなさいよ、と念を押されたことを覚えている。
N君は勿論医者になることが決まっているので小学生の時から沢山勉強させられているのだろう。なんせ1組だし、男子の中でも成績が良かったと思う。
なのに、手紙にはただひたすら魚の名前が羅列されていた。
魚へんの漢字をこれだけ知っているぞ、とひけらかしたい訳ではなかったと思う。なぜなら全部平仮名だったし。そこにはわたしを心配する言葉など一つも存在しておらず、それがあまりにも可笑しくてわたしは何度もその手紙を読んだ。最早手紙とすら呼べないその紙を何度も眺めた。知らない魚も何匹かいて面白かった。
先生の検閲は逃れたんだな。どんな気持ちでこれを書いたんだろう。きっと退屈だっただろうし、わたしのことなんて知るかよって感じだったんだろうな。教室で魚の名前をひたすら羅列するN君を思い浮かべては面白くて笑った。笑う度に内視鏡手術の痕が痛かった。N君のせいだ。
ママからみんなどんなお手紙を書いてくれたの?と聞かれた時、わたしはN君の手紙のことを秘密にした。だって将来絶対医者にならなきゃいけなくてそのためにこれから6年間死ぬ気で勉強して医学部に絶対絶対合格しなきゃいけないN君が
変な子だってバレちゃったら怖かったから。(保護者会の組織は怖いのだ。情報はすぐに筒抜ける。)
N君、医者になんかなりたくないんだ。この学校のレジスタンスなんだ。と、わたしは勝手にそう思っていたから。
だって優等生は、入院しているクラスメイトへの手紙に魚の名前を羅列したりしない。
退院したあとわたしは、N君にお礼を言った。N君の手紙が一番面白かったよ、と言ったらN君は「あ、そう。元気になってよかった。」と笑った。その後どう会話したらいいか分からずもじもじしていたわたしにN君は「病院食ってやっぱ不味い?」と聞いてきた。そんなことは自分の父親にでも聞けばいいんじゃないのか、と思ったけれど「うん、不味かった。」と答えた。会話は終了した。
N君と友達になってみたかったけど彼は学校でカーストトップとされているバスケ部に所属していて友達が沢山居た。明るくてノリが良かったから周りにはいつも誰かがいた。医者の息子なので先生にも気に入られていた。ついぞ進級しても、わたしたちが友達として仲良くなることはなかった。
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将来絶対医者にならなきゃいけなくてそのためにこれから6年間死ぬ気で勉強して医学部に絶対絶対合格しなきゃいけないN君は3年間レジスタンスを続けて、なんと高等部に上がるタイミングで学校を退学した。この小さな学校が世界の全てだったわたしにはかなりの衝撃だった。拍手を送りたいくらいだ。わたしには辞める勇気なんてない。やっぱりN君は只者じゃなかったんだ。
そう思った。連絡先も知らないし、あれからわたしは一度も彼には会っていない。
しかし小さな世界なので風の噂でN君がその後何をしているかは耳に入ってくる。
N君が高校に行かずお寿司屋さんで働いているらしいということを聞いたのは高校2年生の夏だった。
わたしは心の底から笑った。ほんとに魚好きだったんだ。あれは魚じゃなくてお寿司のネタだったんじゃないか!?そう思って物置から手紙の束を引っ張り出した。久しぶりに見たその紙に羅列されていたのは確かにお寿司のネタだった。タコや貝もある。5年越しの伏線回収である。
N君のレジスタンスは成功したのだ。絶対に医者にならなきゃいけなかったN君はお寿司屋さんでお寿司を握っている。
同時にわたしはもうどうにもこうにも引き返せない道を歩いていてこれからも前に進むしかないということを思い知らされた。わたしは医者の娘でもないし、実家だって継がなくていい。わたしが勉強しなきゃいけない理由も、わたしがいい大学に行かなきゃいけない理由も、実は存在していないし
しかし気付いたらそれが「わたしが決めたこと」とされていてその責任を取らなきゃいけない。
その年の夏が終わって、わたしはあることをきっかけに部屋から出られなくなった。成績もみるみる下がって出席日数もぎりぎりになって
死体みたいにベッドに寝転がって天井ばかり見ているわたしに、ママはもうリップを塗ってくれなかった。
秋も終わって冬になって、わたしの唇はずっとかさついていた。
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N君が高卒認定試験を受けてその後関西の私立大学の医学部を受験して合格したことを知ったのはわたしが大学3年生に進級した頃だった。
どんなふうに心変わりして彼が医者の道を歩みだしたのかは分からない。
「N君、医学部受かったんだって。これで親御さんも安心だねー」とママが教えてくれた。
わたしはその頃もうすでに大学へは殆ど行っておらず、4年で卒業するのはもう無理だと悟っていた。
わたしはもう親御さんを安心させることは出来ない。
もしクラスメイトが入院して、クラス全員で手紙を書こうとなったらわたしはその子のことをよく知らなくても慮るメッセージを書いたと思う。早く元気になってね。学校で待ってるよ。そんなことを書くと思う。
あんまり知らないアイドルの生誕のメセカを頼まれた時の感覚と似ている。何の感情がなくても、わざわざお寿司のネタを書くことはしないだろう。
わたしは優等生で、いい子で、お寿司のネタなんて書かないし、学校を途中で辞めたりしなかったのに。
だけどレジスタンスだったN君は、今や医者の卵だ。
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どんなことも、自分の意思と努力がなければ成し遂げられない。自分の道は自分で決めなければ頑張れない。他人が敷いたレールを歩き続けることは出来ない。自分の気持ちを貫けば自ずと道は拓ける。逆に強い意志がなければどれだけ無難に生きていたって何かが強く満たされることはない。それどころか組み立てた人生がばらばらと壊れていくことさえある。
N君がどんな気持ちで医学部に行ったのかは分からないけれど少なくとも彼が受かった大学は生半可で入れる場所ではない。親にいくら説得されたってあのN君が言われるがままにお寿司を握ることを辞めて医学部に行くとは思えない。彼は自分の意思で医者になることを決めたんだ。
お寿司のネタを羅列した手紙を寄越した時も、学校を辞めて病院を継がずにお寿司屋さんで働いていると聞いた時も、かっけー❕って思った。
だけど、やっぱり猛勉強して医学部に受かったと聞いた時が一番かっけー❕と思った。
「希望」というのはきっと、こういうことを指す言葉なのだ。
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あれから数年経って、わたしは思っていたよりずっとかっけー人間になれたと思う。どこかの決断が、選択が、一つでも違っていたらわたしはきっと腐っていただろうし
わたしも強い意志を貫いているから今がある。
わたしは今日も自分で自分の唇にリップを塗りたくる。ついでにハンドクリームも塗る。かつてママがわたしにそうしてくれたようにわたしが、わたしを慮る。
これから先N君はどこかで医者になって沢山の人の命を助けるだろう。そしてまた数年経てば実家の病院を継ぐだろう。
わたしもその頃には今よりもっと、わたしのやり方で沢山の人間の人生を彩ることができてたらいいな、と思う。
わたしは死ぬまでかっけーアイドルだから。
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最後まで読んでくれてありがとう❕またね