241114 コンビニエンスな生涯なんて退屈すぎるよ
こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。
天気は曇り。空は一面一色の白。こんなにも白い空を見るのは珍しい。全体を薄い雲が覆っているのだな。陽の光が薄く薄く拡散していた。
雨は降らなかったし、雨の匂いもしなかったのに空は何処までも白くて少しだけ不気味だった。
これが夜であれば、月も見えないのだろうか。
紙を42回折れば月に届くという。有名な説だ。
約38万キロメートルも離れた衛星にたった42回折られた紙が届くとは到底思えないけれど
複雑怪奇な折り紙を想像すると案外それは現実的な数字なのかもしれない。
しかしわたしは実際に紙を42回折って月に届かせようとしている人間を見たことは無い。
きっとどこかにはいるかもしれないけれどこれほどまでに怠惰を極めたわたしですらやってみようかなーと思うのだから好奇心旺盛でお金もあるような人間は絶対やっているはずだ。
まず42回折るには大きな紙が必要だろう。場所や人や機械だって必要かもしれない。だけどそんなもの簡単に用意できるくらい今の世界は発展しているはずだ。
なのに未だに紙を42回折って月に届きました、などというニュースはお茶の間を騒がせたりしない。
それが机上の空論だということがよく分かる。
ちなみに紙を折るギネス記録というのが存在していて、最大回数は13回。実際は8〜12回程度折るのが限界らしい。
折れば折るほど厚みが増していくにつれて折り目の部分も長くなっていって丸みを帯びて後半は折り曲げることすら出来なくなるとのことだ。
紙を42回折らなくたって人は、地球から手を伸ばして月に届かせたいとは思わないんだろうか。
高い高い塔を作ってみたいとは思わないんだろうか。
今世界で一番高い建物はドバイにあるブルジュ・ハリファという建造物らしい。206階あって、828mを誇る建物を人はどんな気持ちで作ったんだろうな。
しかし宇宙から見た地球は丸くて、そんな高い建物が沢山建っていたら絶対でこぼこに見えるはずなのに
そうは見えないってことは
人間がいくら足掻いたところで宇宙からすればすべては些末なことなんだろう。ブルジュ・ハリファもスカイツリーも宇宙からすればきっとただの玩具だ。
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真っ白な空の下をふらふらと歩いていたら電柱のてっぺんに色鮮やかな青色を見た。
そんな場所に存在する色では無いはずだからわたしはびっくりしてよく目を凝らした。昼間だからと油断して眼鏡をかけてこなかった自分に後悔した。
近付いてじっくり観察してみると下にある家の庭から伸びた蔓の先に咲いていた花だった。見た目は完全に朝顔だったけれどこんな季節に咲くものなのかと思った。
今は咲いている花の写真を撮ると解析してそれがどんな花なのか詳しく教えてくれる親切なアプリがある。一時期徘徊が趣味だったわたしはよく道端に咲いている花をパシャパシャと撮ってはその花の名前を調べていた。
久しぶりにそのアプリを開いて花を撮影した。人の家だったので心の中ですみません(т т)と謝りながら。(解析が終わったら写真は消えるので安心してほしい。)
出てきたのはソライロアサガオという花だった。原産地は熱帯アメリカ、日本は栽培でのみ咲いているとのことで、おそらくここの家の人が種を蒔いて育ったものだろう。白い空に映える美しい青だった。
もしその電柱が月まで届く高い塔であれば電柱に軽々しく届くその蔓は月まで伸びていたのだろうか。そしたら月であの青色の花は咲くのだろうか。
わたしたち人類はいつも己の限界を知っているけれど
それを超えようと日々奮闘している。そして時代と共にその限界は少しずつ更新される。
きっと世界のどこかにはブルジュ・ハリファをも超える高い建物を建てようとしている人間もいるだろう。
わたしたち人類はいつも人類以外の生物の限界を知らない。ソライロアサガオはただそこにあった高い電柱に向かって伸びただけで、本当はもっともっと遠くまで伸びる蔓を持っているのかもしれない。
ソライロアサガオは咲き出しが日本の朝顔よりも遅く霜が降りる季節まで咲き誇るそうだ。まさに今は霜月。こんなに寒いのに花の見た目のせいで夏なのかと見紛うほどである。
ああ、そういえばもしかしたら夏頃に日記に書いたかもしれない(書いてないかもしれない…)けれど、その家には少し前まで貼り紙が貼ってあって
青い朝顔が咲きます、みたいなことが書いてあったなと思い出した。それを見た時どこにも咲いてないじゃん😡と思ったんだけどあれは未来に向けて書いてたんだ。
とっても綺麗だから是非見て欲しいって書いてあったんだよ。親切な家だ。見ました。しかとこの目で。
それで、もしかしたらこの朝顔は月まで届いたりすんのかなーとか思いながら家に帰りました。
わたしたち人類は、いつだって己の限界を知っていて
しかしそれを超えようと日々奮闘している。そして時代と共にその限界は少しずつ更新されていく。
祈り、想像し、試行を繰り返し、また祈り、思い付き、失敗を繰り返せば叶わないことなんてないんじゃないだろうか、と思うことがある。
それが、わたしの一生分の時間では到底足りなかったとしても
いつか人は手を伸ばせば月に届くのかもしれないし、紙を42回折ることが叶うのかもしれないし
美しい花を違う星で咲かせることも出来るかもしれない。
何百年、何千年後そういうことが当たり前になった世界で何百年、何千年前にそんなことを空想した人間がかつていたんだということを誰かが知っていたら少しだけ面白いな、と思ってこの日記に残しておく。
きっとその頃生きている人達は鼻で笑っちゃうんだろうな。
わたしときみと、あと何年生きてどれだけ人類が限界を更新するのを見届けられるんだろうね。
きみはそんなこと露ほども興味無いかもしれないけれど
わたしはきみがいなかったら想像さえしなかった沢山の「机上の空論」があるよ。
もっと沢山の景色を一緒に見たいなー。
じゃ、今日はこのへんで
ほなの❕