241020 脳の裏をあたためているから
こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。
00が並ぶのが気持ち悪いと言っていた10月上旬がつい昨日の事のように感じる。それなのにもう0と0の間に2が挟まってしまった。10月があと10日ほどで終わろうとしている。
秋は体感すぐ終わると言われがちだけれど、一般的に秋と呼ばれる9、10、11月の3ヶ月間は1年の中で特にはやく過ぎるように感じる。だからこの3ヶ月がもしきちんと秋っぽい気候であったとてきっと我々は秋をあっという間に過ぎ去ってしまう季節だと感じてしまうのだろう。四季というのは4つの異なる季節という意味ではない。4つの異なる季節のグラデーションなのだと思う。グラデーションを見た時、やはり誰しも目が惹くのはハッキリとした色、四季でいう夏や冬のことで
生まれた時から四季の概念がある我々はやはりどうも夏や冬が長いように感じてしまう造りなのだと思った。
一人暮らしを初めて間もない頃、勿論姫事絶対値はデビュー前で正直メンバーの子達もどんな子なのかよく分からないし思い入れなんて露ほどもなかった。当時わたしはあれ程までに切望した「一人暮らしをする・実家を出ていく」という夢が叶ったことで頭がいっぱいだった。そしてよく思った。
いつか1歩も外に出なくていいようになりたいな。と。
外が暑かろうが寒かろうが花が咲いていようが空が青かろうが、わたしには関係なかった。外に出なければそれらは全て他人事でどうでもよかった。
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生まれて初めて家族以外の他人に嘘を吐いた日のことをわたしはよく覚えている。家電量販店の中にある子供の遊び場みたいなところでママが買い物をしている間わたしは遊んでいた。ボールプールが好きだった。矛盾しているのかもしれないけどわたしは泳げないしあるトラウマも相まって水がすごく怖くて、なのにプールや海に酷い憧れがあった。ボールプールはその折衷案というか…水がないのにその代わりに色とりどりの柔らかいボールが沢山敷き詰められている。だからその家電量販店のボールプールを気に入ってよく遊んでいたのだった。
ある日、そんなわたしに話しかけてきた子がいた。わたしと同い年くらいの女の子だった気がする。
そのとき「お名前、なんて言うの?」と聞かれたのだ。
わたしはずっと保育園生の頃から自分の本名が本当に心の底から嫌いだった。わたしの本名は中性的な名前で、男の子にもよく名付けられる名前だ。母は男の子でも女の子でもどちらでもいいように性別が判明する前からその名前と、もう1つ中性的な名前の二つで悩んでいたそうだ。
母子家庭になって以降母は徹底的にわたしに女の子らしい服装をさせなかった。スカートなんて買ってもらったこともないし、髪もベリーショート。遠足では男の子だとよく間違えられた。だからこそわたしは女の子らしい可愛いワンピースが着たかったし本当はピンク色のものを好きだと言いたかった。今思えば別に特段好きな色ではなかったのにクレヨンや色鉛筆で遊ぶ時も何となくピンクを使うことに罪悪感を覚えると共に禁じられている故の憧れがあったのだと思う。
そして何より、女の子らしい名前に憧れていた。
それでお名前、なんて言うの?とその女の子に聞かれた時にわたしは咄嗟に思い付いた女の子らしい名前を名乗ったのだ。それがわたしが生まれて初めて他人に吐いた嘘だった。
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わたしは生まれてきてから随分経つまで、母親の本当の名前を知らなかった。なぜなら母親は幼少期改名したからである。詳しくは知らないのだけど母親は何度も苗字が変わっていて、やっと落ち着いた今の旧姓と本来の名前を合わせた時字画的にあまり良くない組み合わせだったらしく改名を迫られたそうだ。それから家族みんな母をその改名後の名前で呼ぶものだからわたしはずっと母の名前を"あいりさん"だと思っていたのだ。
基本的に親は子供に名付ける時に自分の名前やその他家族の名前から1文字とったりしがちだと思うのだが、わたしの場合は母があいりさんだと思っていたので全くもって意味が分からなかったし本当に自分の名前が嫌いで嫌いで仕方なかった。それにあいりという名前はものすごく可愛くて女の子らしい名前だったから余計に羨ましく感じたのだった。
母親の本名を知った時、同時にわたしの名前が母の名前から1文字とられたものだと知った。
そして名前の由来が、「季節を感じられる子になりますように」というもので微かなそれでいて美しい祈りを感じた。
もちろん全ては幼少期の話で、合点がいったとしてもそれが素敵なこととまでは思えない。
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それからまた何年も経ってから姫事絶対値としてデビューして半端ないくらい外に出るようになった。
天気にも敏感になった、空気の匂いにも敏感になった。季節のグラデーションを美しいと思った。あんなに頑なに冬が一番好きだと言い張っていたわたしが最近は夏の方がいいかもとか言い出すくらいには、春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の良さを知ったしそれぞれの間にある不思議な季節の変わり目に情緒を感じるようになった。
アイドルになることが決まった頃は芸名を付けられることが心底嬉しかった。本名じゃない自分、自分に好きな名前を名付けられること。それをとても嬉しく思ったのだった。
だけどデビューしてから、ふと思い出した。「季節を感じられる子になって欲しい」と言った母の言葉を。
ああ、わたし今はすごく自分の本名が好きだ。すごく好きだ。そう思えるようになった。
ママ、わたしは季節を感じられる子に育ったよ。すごく時間がかかっちゃったけどねー
名は願いだという。母がわたしの名前にどれ程の祈りと願いを込めたのかは知らないが、小学生の時の宿題で恐る恐る聞いた自分の名前の由来をこんな大人になってから噛み締めるだなんて思いもしなかった。
一ノ瀬恵麻という名前とはもう8年くらいの付き合いがあるから気に入ってるし今更本名で活動することはないけれど
それでもわたしは本名を好きになれた自分がすごく好きだ。
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このnoteを毎日更新しているのには理由がある。
もちろん毎日何かが起こるわけではないから大したことが書けない日もある。
一つは大したことがなかったとしても残しておきたいということ。「生きていること」の感想文を残したいのだ。何も無かった日だって、何も無かったんだなこの日はと思い出したい。
そしてもう一つは毎日書くことで季節のグラデーションを感じることが出来るからだ。いつか読み直してこの日は夏で暑かったんだな、とかこの日がちょうど夏と秋の境目だったんだろうな、とかそんなことを思い出せたらいいな、と思ったからだ。
死ぬまで、あと何回四季を感じられるかは分からないけれど命尽きるその時まで巡り巡る季節に思いを馳せ続けたいと思う。
もう今はわたしを本名で呼んでくれる人なんて周りにはいないけれど
それでもわたし自身が心の中で素敵な名前をつけてくれたなーと思うだけで少し胸が満たされる。
わたしは人の名前が好きだ。その由来を聞くのも好きだ。アイドルが芸名を使うのと同じぐらいきみもハンドルネームを使う。お客さん同士どれ程仲良くなったって本名なんて知らないってことの方が多いだろうしわたしもきみの本名を知らないことだって多い。知られたくないなら無理に教えてくれなくて勿論構わないけれど
もしも平気ならわたしに名前やその由来を教えて欲しい。きみを愛する誰かが、生まれてきてくれてありがとう、こんな風に育って欲しいな、と祈った誰かが願いを込めて付けた名前。いつか教えてくれたら嬉しい。そしたらなんか、きみのことを一つ知ることができる気がするから。
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そんなわけで今まさに季節が移り変わる瞬間に我々は立ち会っている。昼はまだ少し暑く、夜はまあまあ寒い。今日なんてまさにそうだ。着る服には悩むし、毎日気温を確かめるのは少し億劫である。しかしわたしはまさに今グラデーションだと思うとちょっと嬉しく思う。季節の変わり目は体調も崩しやすいに心も崩れやすくはある。実際わたしもよく調子を崩しがちである。
しかしわたしにはわたしの名前に込められた願いがあるから
その季節の変わり目だって美しく思えるのだった。
じゃあ、またね。
風邪ひきませんように。