241121 きみにしか聞こえないこの声がこれから
こんばんは、いかがお過ごしでしょうか。
気付いたら11月が終わろうとしていて悪魔の師走が迫ってきてます。
一年で一番楽しみなクリスマスが終わってしまうことが悲しくてたまらない。
終わってしまうくらいなら来ないで欲しい。11月末から12月半ばまでのわたしは毎年そう思います。
そんなことを言っているけれどあっという間に四季は巡るので胸の中の柔らかい部分の小さな傷はすぐに塞がってしまう。
───────
人間は、声から忘れるらしい。そして匂いを一番最後まで覚えているらしい。いかにも、って感じの話だ。
ふーんと思って幼少期、学生時代、社会人、アイドルになってから出会った沢山の人たちを思い浮かべて、その声を脳内で再生してみた。
案外容易く再生されて、こういう妙なところでの記憶力はやっぱり良いんだなと思った。
だけど、誰一人としてその匂いをわたしは思い出せない。
世界で一番近いところに居た母の匂いさえわたしには思い出せない。というか、ママには匂いがなかったから。
潔癖、という言葉を知ったのはいつだったか忘れたけれどクラスメイトの女の子が「人の手で握ったおにぎりが食べられないんだよねー」と言っていたのを聞いて、それはなかなか生き辛いだろうなと感じた記憶がある。今でも周りに人の手で握ったおにぎりを食べられない人や大皿で他人とご飯を食べられない人がいる。というか、結構そういう人は多いらしい。どうしても自衛できない時、辛いだろうなーとわたしは他人事のように見ている。
わたしはどうだろう?特に嫌悪感とかはないし、回し飲みとかも平気なんだけど
小さい頃からおにぎりが好きで、いつもおにぎりを食べてきたのに小学生高学年で毎日コンビニのおにぎりを食べさせられてたのをきっかけにコンビニのおにぎりが無理になって、
給食がなくなった中学から、母は会社のお弁当で余って持って帰ってきたご飯を冷凍して、それをまた解凍しておにぎりを作ってくれるようになった。ただの白いおにぎり。母は素手でおにぎりを握らない。わたしはかなりの年齢になるまで素手で握られたおにぎりを食べたことがなかった。
ラップにくるまれた、一度冷凍されたご飯の匂いは確かに今でも思い出せる。昼食を作ることすら面倒になったのか、途中から自分で作りなさいと言われてわたしは不格好なおにぎりを毎日早起きして作った。ラップにくるんで。そりゃラップでくるんで握れば手は汚れないしそのまま持って行けるのだから楽だろう。衛生観念云々の話ではなく、楽かどうか。時間がかからないかどうか。手間がかからないかどうか。その尺度だけで母はいつも動いているのだなと改めて思い知った。しかもそれすらも手間に感じたってわけだ。心を込めて素手で握ったおにぎりにこそ愛情が宿るだなんて時代錯誤なことは言わないけれど、少なくともあの単調なご飯に感情などはなかったと思う。
ある日そのラップとご飯が混ざったみたいな匂いが急に無理になって時間内に食べられなくてゴミ箱に捨ててしまった。
罪悪感がなかった訳では無い。だけどあれは余り物のご飯で、さらにいつ冷凍されたのかももう分からないような代物で、尚且つ作ったのはわたしだ。だから、食べられなくたって仕方ないでしょ。そう言い聞かせて捨てた。
それを見つけたクラスメイトのちょっと意地悪な女の子が「ご飯捨てるとかサイテー。作ってくれたお母さんに申し訳無いとか思わないんだ。」と責め立てた。
わたしが捨てたかどうかは分からなかっただろうし、その非難の言葉がわたしに向けられたものかどうかは分からないけれど
人は声から忘れると言うけれど、わたしはその子の声がずっと忘れられない。
それからわたしはおにぎりを作るのをやめた。余り物の冷凍ご飯がどんどん溜まってついに冷凍庫は開かなくなった。わたしは知っている。今でも家の冷凍庫に当時の冷凍ご飯があることを。そういうことが異常で、でもどうしようもないんだってわたしは知っていたんだけど
どうしようもなくても毎日お弁当を作って貰えて、それが当たり前で、なんとも思ってないような人が羨ましかった。いや、羨ましかったわけではなくわたしはただ、「でもどうしようもないもんな」と言い聞かせなきゃいけないこの世界がぶっ壊れてしまえばいいのにって思っていただけだ。本当は別に他人なんか羨ましくなかったんだと思う。わたしはいつも自分のことしか考えていないのだ。
あんなに毛嫌いしていたコンビニのおにぎりの方が美味しく感じられるようになって、わたしはなけなしのお小遣いでコンビニでご飯を買ったり食堂に行くようになった。小さな頃からうどんやカツ丼が好きだったのかもしれないけれどそこまで自覚はなかった。あの日々であの食堂で、出てくる作りたてのあたたかいうどんとカツ丼がわたしを6年間助けてくれていたから今でもうどんとカツ丼が好きだ。異常な、どうしようもない日常の小さな光。特別な誰かのために作られた訳では無い、作業的に作られているだけなのに美味しいというのがあまりにも心地よかった。ママは仕方なくわたしのためにご飯を作る。食堂のおばちゃんは学校のみんなのために仕事としてご飯を作る。わたしはママに何かを求めてる。わたしは食堂のおばちゃんに何も求めてない。それが心地よくて、何よりも楽だった。楽で、時間がかからなくて、手間がかからない方に流されてしまうのはわたしも同じだ。
そういうの、もしかしたらアイドルという職業に通ずるものがあるのかもしれない。
あの日自分で捨ててしまったおにぎりのことをわたしは今でもずっと覚えていて、
あの女の子が言った言葉をずっと覚えていて、
わたしは誰かが作ってくれた手作りの料理やお菓子を無意識にずっと避けてきたように思う。
潔癖なんですよ、みたいな風を装って潔癖でもなんでもないのに誰かがわたしのために作ってくれたあたたかな物をわたしなんかが貰うのが怖くて
まだ誰にも許されていないはずなのに。これじゃ本当に潔癖で苦しんでいる人に失礼だ。
本当に信用した人からの親愛の情を素直に受け取れるようになってからわたしはそのことをすっかり忘れてしまっていたけれど
ある時ふと、手作りのお菓子ダメって言ってたよね?って言われていろんな記憶がぱちぱちと弾けた。
───────
人間は、声から忘れるらしい。そして匂いを一番最後まで覚えているらしい。わたしは異常な家に住んでいて、その家には「匂い」が一切存在しなかった。ずっと住んでいるから感じないだけ、とかのレベルじゃない。何年経って、久しぶりに帰ったって匂いがしない。
わたしを抱きしめてくれる母は匂いがしなかった。たまに香水を付けることはあっても、それは母の匂いではなかった。
だからわたしには最後まで覚えている匂いが存在しない。
匂いのスロットが空いているから声をいつまでも覚えているのかもしれない、とふと思った。
もしわたしが一番はじめに忘れるとしたらわたし自身のことだろう。嬉しかったこと、悲しかったこと、感動したこと、怖かったこと、一刻も早く忘れたいと願ったこと。絶対に忘れたくないと祈ったこと。それらすべて。
関わってきた他人のどうでも良い情報よりも、絶対大事なはずのわたしのことをわたしはすぐに忘れてしまう。するするするすると砂みたいにこぼれ落ちていってしまう。抱いた感情は刹那的で、あんなに嬉しかったのにと思うこともすぐに色褪せて、瞬間的に湧いた欲望は寝たらなんの事かすら覚えていない。
わたしはわたしを、どんどん忘れていく。わたしってこんな声していたっけ。昔はすごく、自分の声が嫌いだったのに。コンプレックスとかあったのに。そういうことすらもうどうでもよくなってしまった。
わたしという人間が、どんどん形骸化していく。わたしの中のわたしがすっぽり抜け落ちてわたしが覚えているわたし以外の人達の記憶で形だけ保たれているみたいな感覚。
歌っていれば、喋っていれば、それが音源になったりアーカイブになったりして
ずっと残り続ける。思ったことも感じたこともこうして書き残しておけばずっとこの世界に存在する。
わたしがわたしを忘れても、誰かがわたしを覚えておいてくれるかもしれない。
たった一つ、それだけがわたしが今唯一愛と呼べるものだと、そう思う。
誰かにずっと覚えていて欲しいだとか忘れないで欲しいだとかそんな強欲なことは思わない。きみは優しいからずっと忘れないよだとか覚えているよ、だとか言ってくれるけどそれは絶対でないことを知っている。わたしも忘れないよ、と誓いたいことが沢山あるけれど忘れてしまうから仕方ない。忘れないでね、と言われたこともきっといつかは忘れてしまう。
だけどふとしたきっかけで思い出すことは出来ると断言出来よう。だからその思い出す装置をわたしは今沢山作っている。あのクリスマスの次の日から人生を延長して、沢山の思い出す装置を今作り出している。それが声でも、匂いでもなんでもいいけれど
思い出して貰えたならずっと生き返り続けられるだろうから。
駄文失礼。思い出し話でした。
よく冷えるから、体に気を付けてね。