241029 本当におかしな人生ね それでも愛した運命で
こんばんは、いかがお過ごしでしょうか。
昨日は名古屋遠征ありがとうございました。
夜行バスで無事東京に帰ってきました。
バスの中から窓の外を眺めていてもターミナルに到着しても
空は真っ暗でまだ夜みたいでした。
夜行バスに乗って帰った時の帰り道の朝の明るい空気が好きなので
ついついもうはやく夏来ないかな、なんて思ったり。
深夜2時の暗さは心を包むけど朝5時の暗さは心を不安にさせるよねー
でもまあ最寄り駅に着く頃にはらうっすら明るくなっていて雨に降られる前に帰れたよ。
歯医者さんの予定あったからそれまで爆睡きめようと思ってたのに全然お昼前に目覚めちゃった。
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いるかどうかも分からない神様に祈る時ってあるよな。
ちょっとした嫌なことが積み重なった時とか、明日晴れて欲しい時とか、
ほんとにどうしようもない時は神様のかの字も浮かばないくせに
どうでもいい時ばかり、たとえば今降ってる雨止んでくれないかな、とかそんなことを祈ってしまう。
推し、とかもそうかもしれない。わたしにもいっぱい推しがいてその作品に触れたり
その人たちが楽しそうに生きているのを見て
"なぜ、わたしの世界にこの人は存在していないのだろうな、悲しいな"
って思うことがあるよ。だけどわたしの世界にいないから、わたしが蚊帳の外だから救われていることは沢山あるのだ。好きな人が優しい歌を歌っているのを聞いて、わたしのためだけに歌った訳では絶対ないことが少し悲しくて、しかしそれが安心してその供給に飛びつくことができる理由でもあった。
勝手に崇めたり神のように扱ったり祈ったり美しいものだと判を押すことは
実は軽んじたり粗雑に扱ってもいいとカテゴライズしたりすることと
元を辿っていけば同義なのだと思う。
誰かもいつか言っていた。神聖視と軽視は根っこの部分で同じなんだって。
わたしはそれを心の底から分かっていて、そして初めて何かを好きでいられる。
叩いたら鳴る太鼓を叩いたら、しっかり鳴らさないといけなくなっちゃうから
ちゃんと向き合わないといけない存在が目の前に現れたとして、わたしにはちょっと自信がないな。
きっと、わたしもわたし自身つまり一ノ瀬恵麻を少し神聖視していて、そして同時に軽視しているのかもしれない。
軽視、と書くとなんだか悪いことをしているように感じるかもしれないけど誰もが経験のあることなはずだ。
いるかどうかも分からない神様に祈る時。
明日いいことありますように、だとかそんなことを祈る時思い浮かべる存在。
きみにとってわたしはそうなのだろう。そうであるべきだ。わたしたちはライブハウスで会って特典会でお話して少しずつお互いの世界を共有することは出来る。あの瞬間は一緒の空間にいるって強く思うし
だけどきみにはきみの生活があって人生があって
実はそれに深く入り込めないのは案外わたしの方なのだ。
きみがわたしを神聖視すればするほど思う。アイドルとしては幸せで、だけどきみにしてあげられることはどんどん少なくなってしまうな、と。
それでもわたしは今でもいるかどうかも分からない神様に祈るし、2次元だけど推しを見て最高の気持ちになるしたった一人わたしだけに歌われた歌じゃない歌に救われたりする。
だから神聖視できる存在も、それから軽視できる存在も大事ってわけ❕
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ネイル行こうと思ってたんだけど雨降りすぎてパス❕
今日も歯医者さん楽しかった。相も変わらず何されているかは分かんないけど
じゃあね