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野生の思考をタロットカードで解釈してみる〜そのI〜

#プロ奢サロンの #呪い研究所で現在、課題図書とされているレヴィ=ストロースの「#野生の思考」
難しくて読めていないのだが、優等生の方々のおかげで読んだ気になりつつ、私なりの解釈ができないか?と考えついたタロットカードによる解釈を紹介したい。

呪いとは? レヴィ=ストロース談

自然を説明する学術的・明確な概念と言葉を持っている場合は、科学が発達(科学的現象を言葉化する)しますが、そのような言葉を持っていない場合、自然界の因果関係を経験的に積み重ねて、非科学的だけれども、生活に有益(害悪)をもたらす知識が発達する。

これを「野生の思考」と呼び、科学では説明のつかない所で、この「野生の思考」は有用であると述べています。(https://www.google.co.jp/amp/s/moncafe.ti-da.net/a4004007.htmlさまより)

呪いのシンボル1️⃣
悪魔 〜魂を売り払え。闇落ちしてみよ〜

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(画像はお借りしました)
悪魔に魂を売った男女。自分たちの役割自体もよく解っていない状態であり、何の葛藤も感じず、何の成長も無い餓鬼のような小さな存在として描かれている。薄ら笑いを浮かべ「自分の行動を完全にコントロールできる」と思い込んでいる。「悪魔」としもべを繋ぐ縄はゆるく、自覚さえあれば「悪魔」の支配を脱することができる。台座の色と背景の黒は、本来人が関わるべきでない闇の世界が一面に広がった、悪徳の元凶がここにあるという構図としている。(Wikipediaより)

呪いのシンボル2️⃣
教皇 〜オレがルールだ、キサマは社会の下僕となれ〜

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(画像はお借りしました)
全体の構図は「悪魔」と対になっている。「悪魔」のカードでは「教皇」が悪魔となり、下の二人が前向きで描かれている。宗教的な律法を司る。社会的道徳ではなく宗教的聖性に基づいて裁きを下す。書物を持っていない。これは書物による法文の確認を必要としない
──即ち「教皇」自身が法であることを示す。(Wikipediaより)

無自覚に囚われている、抗えない呪い

どちらも無意識に囚われているとはいえ、悪魔のカードは能動的に闇落ちしつつ、あえてその状況を享受しているパターンと、教皇のカード(両親を表すこともある)は、受動的な<わたしたち>の社会のルール・権力から逃れられず、自ら人生のハンドルを投げ出すパターンがある。(ハイエロファントグリーンは花京院典明のスタンド。花京院が両親に対して対立したりしないのはスタンド使いであるということをひたすら隠すために完璧を期すよう幼いときから気を使っていたらそうなったという感じ.花京院が不幸であったとしたらその一点ではなかろうか)https://irusuka.sakura.ne.jp//jojo/kakyoin.html

ハイエロファントグリーンは、荒木飛呂彦先生が花京院の心の闇にまでフォーカスした設定であったのだろうか?

タロットで古典の解像度を高めたい

タロットカードに描かれたサインを、目に見えない体系や構造を可視化する記号として読みとることで、わたしたちの共有する認識の解像度が高まるのではないか。記号化すること自体、すでに呪いを発生させているが、こういうフレームもある、というレンズの解像度も上げていく。

そして、再び古典を読んだとき、こうした気づき、直感(のつもり)は古典に書かれているのだと知る。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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