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社会課題の自分ごと化を促すアート〜『オラファー・エリアソン展』を観て

2019年2月にアイスランドの首都レイキャビックに旅行しました。宿泊先のAirbnbのホストに出会ったとき、真っ先に言われた言葉が印象的でした。

「必ずゴミを分別して、捨ててください。
私は未来の子供達が今と同じ暮らしを続けるために大切なことだと思うの。
あなたたちも子供がいるからそうは思わない?」

最初はどうしてこんなにもゴミの分別に対して、こだわりがあるのか不思議に思いましたが、アイスランドを旅するにつれ、この国の人々は、環境問題に対する課題意識がとても強く、1人1人が当事者意識を持って行動しているということに気がつきました。そのとき、私の頭に浮かんだのは

「日本人の私たちは、地球温暖化などの環境問題に対して、ここまで強い当事者意識をもっているのだろうか?」

なぜ、アイスランドの人は環境問題を自分ごととして捉え、社会に良い行動をとることができるのだろうか?」

こんな問いが頭に浮かびました。

思い返してみれば、北欧のフィンランドに住んでいたときも、フィンランド人の社会課題に対する意識がとても強く、例えば、CO2の排出量を減らすために、牛肉は食べないという選択肢をとる友人がたくさんいました。

一方、私を含め日本人は、環境問題、サステナビリティ、社会課題と言われると、どこか他人事に感じることが多いのではないでしょうか。ましてや、美味しい和牛を食す喜びを捨ててまで、CO2の排出量を減らそうという思想を持つ日本人には、これまで出会ったことがありません。

私と同じように、どうして、日本で「ソーシャルグッド」な思想が広がらないのだろうか?と考えている人もいらっしゃると思います。

その答えの1つを、東京現代美術館で展示中のオラファー・エリアソン〜ときに川は橋となるを鑑賞しながら、見つけたような気がしました。

そこで、日本とアイスランドでの体験に加えて、オラファー・エリアソンのアートに込める思いを紹介しながら、「どうして、アイスランド人は社会課題を自分ごと化しているのか?」「日本人とは何が違うのか?」について、私なりの考えを書きたいと思いました。

オラファー・エリアソンの作品について

オラファー・エリアソンは、デンマーク・コペンハーゲン生まれのアイスランドの芸術家で、場所や空間全体を作品として体験させるインスタレーションで有名です。

東京現代美術館のオラファー氏の展示を観ながら、どこか見覚えのある作品だと思い調べてると、フィンランドに住んでいた時に、EMMA(エスポー現代美術館)でお気に入りだった作品の芸術家で、さらに、旅行で訪れたアイスランドのレイキャビックにあるMarshall House(アートセンター)でも、オラファー・エリアソンの作品をみていました。

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フィンランドのEspoo Museum of Modern Artで撮影

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アイスランドのMarshall Houseで撮影

フィンランド・アイスランド・日本の遠く離れた3つの国で鑑賞した、オラファー・エリアソン氏の作品に惹かれ、彼のアート作品とその思想について調べてみました。

社会課題を自分ごと化を促すために

オラファー・エリアソンのアート作品を調べていくうちに、1つの共通するテーマがあるように感じました。

"感覚を研ぎ澄ますことによって、頭ではもう充分知っているけれど、身体的な関与までは至っていない実感をつかめていない問題に対して、実際の行動に繋げていくことができないだろうか。"
"漠然としたものを身体的にするという美術と文化による体験が「自分の声が尊重されている」「自分の意見が聞き入れられている」と思える状況に繋がるということです。"

彼のアート作品は、地球温暖化や、途上国の無電化地域といった社会課題に光をあて、私たち人間の感覚を研ぎ澄ますという"社会実験"をしているように私は受け取りました。

例えば、動画で説明している"Little Sunという作品は、太陽光を集めて、途上国の無電化地域にドイツで集めた太陽の光を届けるデバイスです。
この作品を手に持ちながら「太陽の光をドイツから運んできました。」と話ができるように、私たちが普段感じられにくい太陽の光という恵みを体験することができるようになっています。

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出展: AFP BB NEWS

こちらの写真の作品は、アイスランドの海に打ち上げられた氷河を模しているそうです。夏になると、溶けた氷河の一部が、海岸に打ち上げられるそうで、この作品を通じて、頭では分かっている氷河がどのようなものなのか、身体を通じて理解することができるといいます。

"Everybody knows this exercise. But, the knowledge from the hand is different from the head. So, sensitizing people...."

「すべての人は(氷河を手で触る)という行為の想像はつきます。しかし、手から情報を得て知っているということと、頭で知識として知っているということは、全く異なります。だから、私は、人々の感覚を刺激すること..」

この作品を通じて、オラファー氏は、地球温暖化により、氷河が過去最大級に溶け出しているという事実を、頭で知っているという曖昧な状態から、一人一人が、身体感覚を通じて知ってほしいという思いが込められているように感じられます。

また、彼のいう「感覚を伴う体験を通じて、知識を身体化すること」については、行動心理学でも同様の議論がされているようです。

Surprisingly emotionally and physically involved with rather than what we know. knowing something does not necessarily encourage us to act upon it as much as having physical relationship.....having a muscle memory of it or having experienced something personally.....

「ただ知っているということは、私たちの行動に変化を与えず、個人的な感情や身体感覚を伴う体験によって、私たちの行動は促進されるのです。」

行動心理学によると、頭で知っているということと、感情や身体的に体験しているということは天と地ほど異なって、身体感覚は、私たちの「行動」を促すと言われています。

つまり、氷河が溶けるという現象は私たちの頭のなかで思い描けるものの、地球温暖化によって氷河が溶けているという社会課題に対して、私たちが何かしらの「行動」を起こすためには、その知識を身体や感情を通じた体験によって身体化(自分ごと化)する必要があるとオラファー氏は考え、それを実現するためのアート作品を表現していると受け取ることができます。

まとめ:日本で「社会課題」の自分ごと化が進まない理由

オラファー氏は、環境問題や社会課題を身近に感じるためには、個人の感情的・身体的な体験を伴うことが必要であるといいます。また、私がアイスランドで感じた当事者意識の源泉は、日常生活のなかで氷河に触れるといった身体や感情を伴う"原体験"があると感じました。

そう考えると、私たち日本人の間で、サステナビリティや社会課題をよくする「ソーシャルグッド」な思想が広がらない理由もやはり、その課題に対する感情的・身体的な体験の少なさがあるのではないでしょうか。

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出典:SCSK株式会社HP

例えば、SDGs(国連の持続可能な開発のための国際目標)を考えてみると、「貧困を無くそう」、「質の高い教育をみんなに」、「安全な水とトイレを世界中に」、「海の豊かさを守ろう」、「平和と公正をすべての人に」など、17の開発目標があります。

これらの開発目標のうち、実体験を通じて、社会課題だと認識しているのはどれくらいあるのでしょうか?

目の前の人が貧困に喘いでいる、小学校に行けない子供達がいる、安全に飲める水が手に入らない人がいる、汚職や賄賂によって意思決定する権力者がいる、といった状況を実際に経験したことがある、見たことがあるという人は少ないように思います。

それでも、社会共通の課題として存在している以上、一人一人が当事者意識をもってくれたらいいな、そんな思いを実現できるのは、社会課題を声高らかに訴える啓蒙活動ではなく、案外、身体を通じて体験できるアート作品であったりするのかもしれません。

Photo by Alto Crew on Unsplash

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