わたしの不妊治療(精神編)
不妊治療シリーズ
出産前に書いてたの下書き保存したままでした。
しずかさんが頑張って書いてたので
このタイミングで投稿します。笑
わたしの不妊治療シリーズ
長くなりましたがそろそろ終盤です(笑)
バックナンバーはこちら
◎きっかけ編
◎妊娠までの経緯(前編)
◎妊娠までの経緯(後編)
◎身体編
◎経済編
今日は不妊治療をしていく中で1番辛いと思った
精神面について書こうと思います。
すっごい長いです、
前後編に分けようか悩んだけどこのままにします❋
不妊治療について1番知ってもらいたい部分なので
最後まで読んでもらえると嬉しいです!
さて
いつから本当に辛いと思い始めたかなぁと
今振り返ってみると
治療らしい治療を始めて1年半くらいの時。
結婚したばかりの兄夫婦に
すぐに赤ちゃんができたあたりから。
末っ子の私が1番先に結婚したけど
姉も結婚してすぐ授かりました。
姉の子が生まれた時はまだ
私も心に余裕があって、私もそのうち、
くらいの感じでいたんですけどね。
でも治療を始めて、余裕がなくなっていって
兄弟の幸せを素直に喜べない。これが事実でした。
そしてそんな自分がとても嫌な人間にみえました。
そこから終わりのない自己嫌悪が始まります。
こんな嫌な人間だから赤ちゃんが来ないんだ
旦那に一生子どもを抱かせてあげられないかもしれない役立たずだ
そんな私といる意味あるかな
今、別れれば旦那は新しい人と
これからまだ幸せになれるんじゃないか
とか。
そして目の前で大きくなっていく兄嫁のお腹。
生まれてくる孫の話で嬉しそうな両親の顔。
それらを見るのが本当に辛かった。
でも家族の雰囲気を壊したくなかったし、
喜べないなんて悟られたくなかった。
だって私の姪だもの。大事じゃないわけないんです。
だから、いつも笑顔で妊娠中の話も聞いたし
お腹も撫でたし、プレゼントもたくさん買いました。
けれどやっぱり辛かった。
自宅に帰っては旦那に泣きながら聞いてもらった
全部全部吐き出せるのは旦那の前だけでした。
そんなになるなら、会わなければいいのに
でもそれがどうしてもできませんでした。
だってたったひとりでも、しかも肉親が
祝福してくれない人がいるなんて悲しすぎる。
悟られないように悟られないように
一生懸命取り繕っていました。
友達の妊娠も、姉の2人目の妊娠も
心から喜べないことがその後ずっと続きました。
お正月などで私方の親戚が集まっても
妊娠適齢期の女性の中で子どもがいないのは
長い間私だけ。
話題はいつも妊娠中の話や子どもの話。
皆の、これが辛かった、あれが辛かった
という話(例えばつわりとか)は私にとって全部
憧れでしかありませんでした。
血の繋がった私でも聞いてるの辛い話だったけれど
旦那も横でグッとこらえて聞いていました。
自宅に帰ってはまた2人で泣いたりして。
毎回あまりにも辛くて
親族の集まりだけは、いろんな理由をつけて
行かなくなりました。
人工受精に切り替えて
期待が膨らむ一方で不安も大きくなりました。
仕事では通院を理由に迷惑をかけることも増えて
またシフト変わってもらわなきゃ…
と続くうちにストレスになっていきました
生理予定日の数日前からは不安と期待が入り混じり
情緒不安定。
フライングで検査薬しては
真っ白なのを見て落胆。
本格的に生理が来てはまた落胆。
旦那にもたくさん負担をかけたし
少しでもストレスを軽減して
専念するため仕事も辞めて
経済的にも不安定になっていました
街ゆく妊婦さんや小さい子ども連れの家族から
目をそらすようになりました。
それは旦那も一緒。
自分たちのメンタルを維持するために
ショッピングモールや家族連れが多いところには
行かなくなり
田舎の人が少ないところを選び
2人でのんびり散歩したりドライブしたり
そんな休日ばかりになりました。
結婚して3年以上も経って
久しぶりに会う友人に
子どもは?と聞かれることも数知れず。
そのうちね〜とサラッと言えたのは
最初の方だけで
数を重ねる毎に顔が歪んでしまっていたのは
自分でも感じてました。
(仲のいい友達にだけは治療してること
話してたけど
数年に一度会う程度の人に
わざわざ気まずい話題にしたくなかったのもあり
言わないことが多かったです。)
人工受精4回目もリセットしてしまって
体外受精にステップアップ
ここから連日の薬の服用と注射が始まり
薬の副作用で体調不良の日が続き
ホルモンの関係で一層、情緒不安定になりました。
経済的にもあとがなくなってきて
切迫つまってました。
それでも結果がでない。
リセットした時は本当に何も考えられなくなるくらい。
"スッキリ"で不妊治療特集やってくれた時
専門の先生が言っていました。
不妊治療中にリセットしたときの心のストレス度は
エイズや癌宣告された人と同じレベルで
それを毎月経験している。と。
エイズや癌宣告された人と比較しては
申し訳ないと思う反面
なるほど。どおりで。
という感じでした。
それを聞いて、私だけじゃないんだって
変に前向きになったりもして。
それでも
2回目の移植以降、判定日前の情緒不安定さが
ひどくて。
そんな中、祖母の法事。
例の親戚が集まり、
またしても出産、子育ての話。
自分で言うのも何ですが
結構気を遣うタイプの人間なので
笑ってやり過ごしてきたけれど
もう笑えなくなってました。
ただひたすらに用意された御膳をいただいて
携帯を見るフリをして俯くしかできなかった
片付けの時
様子のおかしい私に母が気づいてくれて
「ここは良いからもう帰りなさい
ご飯何食べたい?作っていこうか?
何かあったら連絡しなさいね」
って言って皆にわからないように
しれっと帰らせてくれました。
あの時はほんと助かったなぁ
後日、
母が見かねて買い物に連れ出してくれた時に
たまたまランチに入ろうと並んでいた隣に
小さな男の子が並んでいて
無邪気に私に話かけてくれました。
風船もらった〜って。
よかったねぇ〜なんて返して。
男の子の顔見れない自分。
後ろから男の子のママが
すみません〜(笑)って微笑ましく
男の子の頭を撫でる
なんて微笑ましい光景
よくある光景
なのに
それさえあの時の私にはとても耐えられなかった
先に呼ばれて入ったお店の中で
お手拭きで顔を押さえて自分でもびっくりするほど
母の前でボロボロと泣いてしまいました。
それまではそんなところ
見せたことなかったのに。
せっかく連れ出してくれたのに。
連日で母に縋りっぱなし。
もう限界でした。。
不妊治療をしていく中で
個人的にはなによりも辛いのは心でした。
辛い、辛いばかり言っても
本当の意味で理解してくれるひとは
本当に少なくて
自分でコントロールできないふがいなさとか
情けなさに追い詰められていく
子どもがほしいという
想いの強さは人それぞれだと思うんですが
きっと不妊治療をしてまで
授かりたいと思っている人たちにとって
子どもが自然にできない
治療してもなかなかできない
もしかしたら一生できないかもしれない
という恐怖で不安でいっぱいなことは
みんな同じだと思います。
すべての人にこの気持ちを理解してもらいたいなんて
そんなことは思いません。
子どもいなくたって、素敵な人生を過ごしている人だってたくさんいるから。
けれど現代では5組に1組が不妊だと言われてます。
自分のすぐ近くに不妊治療頑張ってる人が
何人もいてもおかしくないです。
そして当の本人は
こういうこと言えないです。
だから
どんな気持ちで頑張り続けているのか
どんなことで悩んでいるのか
なんとなくでも多くの人に知ってもらえたらと思って
書かせてもらいました◎
もし近くに治療中の人がいたら
(言わないけど治療してる人もいると思うので)
あくまでわたしの経験ですけど
参考になれば幸いです❋
つらつら〜と書いてしまったので
読みにくかったかもしれませんが
読んでいただきありがとうございます◎
下書き保存していたのはここまで!
本当は完結編を書こうと思ってたけど
今は幸せなことに育児に追われて
書く暇がなさそうです(笑)
なのでこれにて完結ということにします(雑
どうか
不妊治療費が保険適応となり、
日本社会が不妊治療に理解ある国に
なっていきますように。