隠し味と粗挽きブラックペッパー②
前回からの続きです。
ここから後半部分となります。前回のをまだ見てないよ!と言う方は、前の記事を読んでからの方が今回に繋がります。
前回の記事はこちら↓
前回は、中村一義くんの音楽について紹介をさせていただきました。
そこから「隠し味と粗挽きブラックペッパー」についての話となり、これは前回の記事を読んでいただきたいと思うのですが、「隠し味」と言う曖昧な伝え方ではなく、「粗挽きブラックペッパー」のようにガツンとパンチを効かせた伝え方の方が、これからの時代には必要なのではないか、という話をさせていただきました。
今回は、そのことについて考えてみたことを書いていきたいと思います。
青い(青臭い)話なのかもしれませんが、よかったらお付き合い下さいませ。
| 粗挽きブラックペッパーで伝える
ブラックペッパーが苦手な人からみれば、目に見えて黒い粒々が見えてるそれには抵抗感があるかもしれません。ブラックペッパーが掛かっていることで、拒否反応や誤解、敵を生み出すこともあるかもしれない。
それでも伝えることに重きをを置いて伝えてくれている。そういう方たちの活動は尊敬に値するものがあります。リスクを負ってでも大事なことを伝え、眠っている私たちを叩き起こす役割を担ってくれているのです。
この激動の時代に眠っていることは、命取りになるのかもしれません。
意見や価値観が合う合わないは当然あります。合わないとしても、一つの意見としてそこにあるものは尊重したい。合わないものにフォーカスするのではなく、合うものにフォーカスすればいいのだと思います。
フォーカスはすれども、どこにも依存はせず。
誰かが言ったことにただ乗っかり依存してしまうと、どこかでズレが起きてきてしまう。自分がどうしたいのかということに、本当の意味で自分で答えを出していないと、ズレて行くのではないだろうか。
与えてもらうという概念で生きていると、いつでも問題は起こるのです。
| 誰かが言ったこと
誰かが言ったことというのは、未来永劫固定されているものではありません。まわりの状況やその人自身の変化によって変わっていきます。解釈もその時々で変わっていきます。
誰かが言ったそのことだけに、ピンで刺したように止めて固執していると、まわりが変わっているのに気がつけなくなるのではないだろうか。変化の中にいるのに、固執している人の時間は止まったまま。
そこで何か問題が起こると、あの時誰々がああ言ったからこれは誰々のせいだと、ああ言った言わない論争などが始まるのです。依存で生きていると、何か問題が起きた時に、それは誰かのせいになってしまう。
起こることは全て自分が選択したものであると、そこに気づけないと、同じ問題が何度も何度も強制的に起こり続けて行く。自ら考え自ら選択することで、問題は解決されていくのです。
これはそのことに気づいていない場所からは、受け入れることが難しいことではあると思いますが。
原因は外側ではなく、いつでも自分の内側にあり、内側で起きていることが、外側で起きている。
外側の世界をつくるには、内側にあるものを必要とするのです。
| 白か黒か
白か黒か、ゼロか百か、オールオアナッシングか。その両極の罠にはまってしまうと、本当のことが見えなくなります。意味のないカテゴリー分けが自動的にされるようになり、自分で考えるとはどういうことかがわからなくなっていくからです。
言葉の表面だけ切り取って、ジャッジして振り分けてしまう。その言葉の意図や、奥にあるものを見ようともせずに。
白か黒で振り分ければ確かにスッキリします。揺れ動かされずに安定する。
でもそれは見せかけの安定であると思うのです。
本当の安定というのは、
変化し続ける中にある。
白か黒のどちらかではなく、常に自分の色を作っていかなければ、もはや生き残っていくのは難しい世界線であるのではないかと思います。
白の世界も黒の世界も、もうあなたの世界ではありません。
ここまで、粗挽きブラックペッパーを少しだけ振り掛けて書かせてもらいました。これは全て自分に向けて言っていることです。
私個人のひとつの考えに過ぎません。
みんなそれぞれ違った考えがあるのだと思います。
最後に、今回この話を書こうと思ったきっかけになったことがあるのですが、そのことについて少し書きたいと思います。
あと少しだけお付き合い下さると嬉しいです。
| スイッチを入れる
ためになるお話をいつも話して下さる、ある尊敬する先生がいます。こちらの先生のここ最近の発言は、以前に比べて粗挽きブラックペッパーが効いてる発言が多いような気がしています。
隠し味ではみんなが気がつけないと、少し伝え方を変えてきたのではないかと私は思っているのです。
誤解や敵を生み出すリスクがあるにもかかわらず、それでも覚悟を持って私たちに伝えようと、毎回大事なお話を伝えて下さっています。
伝わる人には伝わるように。
お花畑で花摘みをしている私たちに警笛を鳴らすように。
深い眠りにある私たちを起こしてくれるように。
私たちが本当の自分らしく生きられるように。
今この時代の変革期に、必要な役目を買って出てくれているのだと思います。
私は人に嫌われるのが嫌なので、そんなふうにはなかなかはっきりと言えないでいます。曖昧に言っておけばまあ安心です。
でもそこを守りに入らずに、伝えるべき大切な事をちゃんと伝えてくれることに、器の大きさや、これからの時代をしっかりと見据えている真のある心を持たれているのを感じています。
誤解を生むことも多々あるのかもしれませんが、気づいて目が覚める人もそれ以上に沢山いるのではないかと思います。
わかってくれる人はわかってくれている。
私たちは変化していかなければならない。
変化の中で循環する安定がある。
粗挽きブラックペッパーを効かせなければならないような、そんな危うい時代に私たちはいます。
隠し味ではスイッチは入らない。
ひとりひとりがスイッチを入れて行くことに、
気がつかなければならない時であると思うのです。
そこには粗挽きブラックペッパーが必要なこともあるのです。
最後の終わりに
独りで音楽活動していた中村君に、バンドメンバーとして新しい仲間が加わり、また少し変化のあった中村君の音楽を、最後に紹介して終わりにしたいと思います。
彼の音楽の中にある
彼の哲学は
変わらずに
在り続けています
私はそれが好きなのです
ここまで読んで下さりありがとうございました。
セブンスター / 中村一義
新世界 / 中村一義
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