あの頃の私をまるごと認めてくれる人がいたら #勝手にコルクラボ
私が所属しているコミュニティ #コルクラボ では、毎週お題が出される。それに答えることで、自分の内面を深堀りしていく。
今回のお題は残酷なのでは!!
Q.あなたの「たられば」を教えて!
たられば(タラレバ)…
『 《「もし…していたら(したら)、もし…していれば(すれば)」の意》事実とは無関係な仮定の話。また、事実とは異なることを仮定してする後悔。してもしかたがない話という意味で使われることが多い。 』(デジタル大辞泉より)
私が、コルクラボの掲示板に書いたのは以下の通り。
自分の行動じゃなくて、環境について考えてしまう。
10代とか、20代の「たられば」。
若い頃の私を、まるっと認めてくれる人が近くにいたらどうなっていたかなって。
私が「日記を書いている」と言った時に、それは素敵だねと受け入れられていたらどうなっていただろう。
初めて物語を書いた時に、褒めてくれる人がいたらどうなっていただろう。
好きな小説や映画の話をした時に、共感してくれる人がいたらどうなっていただろう。
そんなことを考えてみると泣けてきたんだけど、
思い返してみると、それぞれに見てくれて、評価してくれた人が「少しは」いた気がする。
それを自信に変えられなかったのは私の問題だったのかなと。
どうして自信にならなかったんだろう。
その人たちの存在が、少し遠かったのかもしれない。
近くの人には見せられなかったから。
もっと近くにそういう人がいたら、自分に自信が付いていたのかもしれない。
(今はずいぶん、近い人にも見せられるようになったけど)
あるいは、もっと別の観点からすると、「私に根拠のない自信があれば」と思う。
「たられば」は尽きないね……。
たらればを考えていると、「人や環境のせいにするなよ~」みたいな声が内から聞こえてきて、苦しくなるね。
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