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ダダ洩れの欲求を見られたくない

「今でも悔やんでいることは?」という質問をされて考えた。例えば「あれをしていれば、違う自分になれたかもしれない」そんな「たら」「れば」は普段考えないし、改めて考えても今の自分は自分相応な気がして、あまり大きな出来事としては、ない。

だけどそれでは思考停止だから、考えてみる。そういえば、ちょっとした後悔なら、ときどきある。

クローズドな掲示板には、次のように書き込んだ。

悔やんでいること……正直、何も出てこない。
告白のタイミングを間違えなければあの人と付き合えたのかなあとか、そんなことはたまにあったような(また恋愛ネタw)。

でも、ときどき悔やむことはパターンとしてあるので、その話を。

いつも悔やむのは「喋りすぎた!」ってこと。
2〜4人とかの集まりで、自分ばかり話してしまった、と後から気づくと小さな後悔がやってくる。
人は誰でも、話を聞くより自分が話す方が気持ちいいものなのではないか、と思っているので、できれば相手がたくさん話してくれた方が落ち着く。だけど自分も話したいっていう欲求があって、その欲求に負けたときに、相手にも悪いし恥ずかしかったなと思う。カラオケで歌いすぎたときも同じね

書いてみてから流行りのメタ的に見ると「欲求に負けたくない、コントロールしたい」という願望自体が、何だかねじ曲がっているような気がして、それ自体が器の小ささを物語っているようだなと感じたよ。

本当のこと言うと、英語をもっと勉強すればよかったなとか、そういう後悔はある。だけどそれなら今からやればいいんだよね。(と、いつも思う)

書いてみてから気づいたのは、欲求が自分の意図に反してダダ洩れしているときに、すごく恥ずかしさを感じるってこと。それをコントロールしたいし、なぜコントロールしたいかと言えば、「分別のある人」と思われたいからなんだろうね。

分析するに、「~したい」と強く思うことが、たぶん子供っぽいことなんだと思っていて、「~したい」という強い欲求が相手に伝わってしまうのが恥ずかしい。

勝負ごとが嫌いなのももしかしたら「めちゃくちゃ勝ちたい!」と思っていることが相手にわかってしまうのが恥ずかしいのかも。「たかがじゃんけんでそんなに勝ちたいのかよバカじゃん」と思われてしまうんじゃないか、みたいな。真剣勝負のスポーツ(バレーボールとか)が割と平気なのは、そこで真剣に勝ちたいと思っても恥ずかしくないからなんじゃないか。(まだ仮説。)

普段考えないことを考えてみるだけで、さらにそれを書き出してみることで、自分を発見する手がかりになるね。

(おわり)

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