くんくんにっき
寒い。非常に寒い。
身体を摩りながら歩いて帰る。
てくてく歩きながら色々な事を思い出したり考えたりするのが私は好きだ。わざと遠回りをしてゆっくり歩く。知らない道に入って歩いているとどこかの家の庭先から金木犀の香りがする。
私はこの季節の匂いが好きだ。季節の香りに思い出があるなんて不思議だけどそういうことってある。感覚や温度、いろんなものに私の記憶が散りばめられている。
枯葉の茶色、紅葉の赤や黄色。夕暮れのグラデーション。秋空に映える鮮やかな色彩に私は少しほっこりする。紺色の重ためのウールのコートはまだ少しこの季節には早かったかもしれない。
冷たい風に乗って湿った雨の匂いがする。近くで雨が降っているんだろう。もうすぐここにもやってくる。
乾いた街に久々の雨が降る。
買い物バックから飛び出たネギ、白菜やらキノコやら鍋の材料が肩にズシっと負荷をかける。
冷たい風が頬や鼻の頭を冷やす。
その風に乗って、金木犀の微かな香りがしてくる。
私はなぜか学生時代を思い出す。上京して大人になった気がした一方で、子供のようにとても寂しくなったりもしていたあの頃。知らない道を歩くことは愉快でもあったけど夜のしかも寒い日は心細くて仕方なくていろんな余計なことを考えて不安になった。
そんな時、懐かしい香りがふっとしてくる。金木犀の香りだった。知らないどこかの家に植えてある金木犀。小さい頃はあの甘く強い香りが苦手だった、家の近所でよくわざとくんくんかいでは母に「くさーい!」と報告してた昔から知ってる香り。あの頃、駆け寄って報告するたび母は「お母さんは好きな香りだよ」って言ってた。
そんな懐かしくなんだか恥ずかしいことを思い出していたら、寂しくも悲しくも、不安も無くなっていた。いつしか私も金木犀の香りが好きになってた。
学生時代1年目の秋はそうやって乗り越え、次の秋になる頃はすっかりそんなことも忘れ去ってしまっていた。
そんな心細かった頃の事をなぜ今突然思い出したんだろう?
遠くのマンションの明かりが点々とつく頃。
それぞれの部屋から漏れるさまざまな明かりがモザイクとなって寒空の夕暮れを彩る。
それぞれの部屋から温かい気持ちが漂ってくるような…
私もその一部である。その一部になって美味しくあたたかい鍋を囲みながら美味しいビールを飲もう。