大好きな人とのケンカを避ける話し方って?
ケンカって、疲れますよね。なるべくしたくないですよね。
でも、望んでいるわけじゃないのにケンカになってしまうのは、何故なのか。
えみすけLINEに登録してくださってる皆さんに聞いてみたんですよ。
そいでお話をまとめてみました。そしたらまぁ、わたしもほんと勉強になりました。大好きな人とのケンカを減らしたいみなさん、ケンカになる原因をまとめてみたので、いっしょに考えていきませんか……。
(そしてケンカ王のわたしと友達になりませんか……)←いややわ
①受け入れる役割が固定されていない
いきなりややこしいこと言いました。すみません。
これどういうことかっていうと、んーとたとえば、わたしは職業が鍼灸師なんですね。お金をいただいて、人に、鍼とかお灸をします。
このとき、鍼を刺される人は、いろいろなお話をしてくださることがあって。そのとき、暗黙の了解で、「患者さんが話す側、わたしは聞く側」という構図ができあがっております。これで、患者さんのしたい話をまったく聞かずに、わたしが一生しゃべってたら、やっぱり施術の間、患者さんはしんどいと思うんですよ。
大前提として「わたしは聞く側」てのがあるので、患者さんの話を聞くことがまったく苦痛ではないし、基本的に「あなたのことを!両手を広げて!受け入れまーーーす!!」ぐらいのかんじで接しています。全肯定の勢い。(ちょっとそこはちがうで!ていうとこは言うけど)
ただ、じゃあ、これが彼氏とか夫婦とかっていう、特別親しい関係になった時にはですね、そもそも当たり前やけど、前提がない。どっちが受け入れるかなんて、それはその時々で変わるし、そりゃもちろんお互いがお互いを全肯定で受け入れる余裕があれば幸せだと思いますわ。
一生懸命伝えるのは、「自分を理解してほしい」からだし、その途中で、わかってもらえない哀しさや、伝わらないもどかしさや、諦め、絶望感、いろんなものを感じるかもしれません。
一方、主張を受けている側も、相手のことを理解はしたいんだけど、やっぱり自分にはわからないところもあって、自分の言動にもちゃんと意味があるんだよって伝えたいからまた一生懸命話したら、結果それが火に油をそそいだりしてもう言わんかったらよかったーーーもーーーーーー!!\(^o^)/ってなったりする、と。
お互い「伝えたい」「わかってほしい」がぶつかってるんですよね。
だから、「自分はーー!!」って主張する前に、やっぱり相手はどうなのかな?というところに目を向けられるといいのかなと思います。いや、それはたぶんみんなわかってんねん……でもむずかしいときあるねん……。
②正しさを手放せていない
ついつい主張したくなるのが自分の正当性。
自分が正しい、相手が間違ってる!自分はなにも間違っていない!!!!
この考え方は、ものすごくケンカになりやすいです。
これ、あの~、勝ち負けみたいになってしもてるんですね。
わたしはゲーム「ダンガンロンパ」がすきなんですが、「それは違うよ!」って日常で連呼してたら、間違いなく友達減ると思う。仮に、相手のわるいところ(っていう言い方も微妙なんですけど)を指摘したとしても、そのあとに流れる空気って、地獄しか待ってないことないですか。
「そうだよね、自分がまちがってた。ごめんね(しゅん)」
「いいんだよ、わかってくれれば(にこにこ)」
とか、めちゃくそ気持ち悪いし、自分が正しいからなにってなりますよね。
ケンカ、というか、話し合いをする目的ってなーに?っていうと、相互理解ですよね。わかってほしいからおはなしする。で、そこに必要な要素って、お互いの笑顔だったり、お互いが気分よく過ごせることだったりします。「正しさ」は、最優先事項ではないんですね。
ディベートやってるとかならもちろんね、徹底的に詰めることも必要かと思いますし、ビジネスでは譲れない意見もあるでしょう。でも恋人とか夫婦のあいだに必要なのは、やっぱ笑顔とご機嫌さですよ。どっちが勝とうがどっちが正しかろうが、そんなんはどうでもよくて、いかにふたりが、いやな気持から早く脱却して、もう一度楽しく笑い合えるか、が大事なわけで。
だから、自分の正しさを手放せないうちは、自分の主張にこだわってしまうのかもしれないですね。ここでもたぶんまた、自分はーーー!!ゆうてるんですよ。きっとね。わたしはこんなに傷ついたの!だからわたしがこういう気持ちになるのも当然でしょ?!みたいな。
この「傷ついた」っていう感情はけっこうクセモノで、この「被害感情」があると実はさらに話や展開をややこしくすることがあるんですけど、それはもうまた別のnoteに書きます。いつか。
③正面からぶつかりすぎてて、避けられていない
わたしオンラインでカンフー習ってるんですよ。最近サボってるけど。
でね、その師匠が「ケンカを売られて、戦いになったときに、目線をうまく活用することがある」って話をしてはって。
目って、次にこうしよう、っていうのが出るんですって。だから、わざと、ちらっと目線をはずして、相手が「ん?そっちになんかあんのか?」て思わせたときに真逆からいくとか、そういうフェイントもかけられると。サッカーでもバスケでも、よくやるんでしょうねきっと。
でね、恋人や夫婦のケンカのときも、きっと目線が大事なんやわと思ったんです。お互いの目をしっかりみつめるんじゃなくて、敢えて目をそらすことが必要なんやと。
お互いがお互いの目をしっかりみつめてるときって、きっと、身体をお互いのほうに向けてるんですね。そうすると、自分から相手に向かう力は直線、相手からこっちに向かってくる力も直線で、お互い真正面からそれを受けることになる。これ、エネルギー総量として、けっこう負担がでかい。
むちゃくそ速い豪速球のボールをずっと正面でグローブなしで受けとめてたら、ものすごいおてて痛い。口を開くたびにその豪速球きてたら、もう正直、話すのいやになる。痛いもん。
だから、正面からぶつかるんじゃなくて、目線をそらす。そうすると、身体の向きも変えることになります。正面から、たとえば斜めに、方向転換する。この「転換」するのが上手な人は、あんまりケンカにならないかもしれないし、ケンカを長引かせない人なんじゃないかなって思います。
まったく関係ない話題するとかじゃなくてね。それもう「は?今までの話聞いてた???」ってなるだけなので。そうじゃなくて、少しだけ目線を変えて、別の観点から話をしてみる。そして、ふたりが向かいたいゴールを思い出す。
なんのために話をしているのか?先ほども言った、相互理解です。あまりにふたりが正面から近づいて話をしてると、相手の鼻とかしか見えないけど、だいぶ引いて、しかも身体の向きも変えたら、ちょっと俯瞰して状況をみることもできるよなーと。
そしたら、言葉悪いけど「無益なやりとり」に該当する部分もなんとなくわかると思うんですね。相手の言葉の細かいところだけを指摘しつづけるとか、一つに単語にネガティブに反応するあまり、いままでの文脈を一気に破壊して理解してしまうとか……。そういうのって、あくまでも相互理解を目指しているならば、時間と労力の無駄ですよね。
ケンカして張り詰めている雰囲気を、いかに早めにふわっとさせるか。それは、転換するからこそできる芸当なのだと思っています。これはもうきっと、難易度Sランクのソーシャルスキル。SSSですわ。
こういうことを常に意識して会話するかどうかで、ちょっとは不要な争いの種が減る……といいな!!と思いながら書きました。どんなに親しい仲でも、言い方って大事。言ってる内容は「正しい」かったとしても、言い方があかんから損をしている人っていっぱいいます。あ、わたしです。
これからも、わたしを含め、みんなが大好きな人と仲良くケンカできますように。ちょっとムカッとするけど、そゆとこふくめてすき!腹立つけど!!ってなるぐらいのケンカがいいですよね(*‘ω‘ *)
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