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7SEEDSの花ちゃんに学ぶ、正しさだけではない世界
わたしの父は、野菜が嫌いな人だった。
昔、家族でごはんを食べていて、わたしが嫌いな野菜をよけていたら「ちゃんと野菜も食べや」と母親に言われた。しぶしぶ食べながら、ふっと横を見たら、父は「ごちそうさま」と言って、きれいに野菜だけ残しているのだ。
「ごちそうさまちゃうやん。お父さん、野菜残してるやん」
わたしは指摘した。でも父は「お父さんはいいねん」と言った。
わたしは「ずるーー!」と思った。
大きくなって、相変わらず野菜嫌いの父に、その話をしてみた。そしたら、父は「覚えてへんけどたぶん、世の中の不条理を教えとこうとおもたんやろな」と言った。
「ほんまかいな」とわたしが笑ったら、
「そらそうやろ。世の中、なんでも都合ええようにいけへん。子どもの目線で正しい事ばっかり起こるわけちゃうんや。他人はいいけど自分はあかん、みたいな不条理なことなんか、なんぼでも起こるやろ?そういう世の中の道理を見せとこうとしたんやな」て言われたので、自分が野菜食べへんだけのことを、ようここまで理屈つけてしゃべれるなあと尊敬した。
でまぁそれはいいとして、この、父の言う「世の中の不条理を見せておく」というのはものすごく共感しているので、わたしも積極的に子育てに取り入れている。
子どもって、ある程度の年齢になると、倫理観という概念が育つじゃないですか。ルールを知って、それを守って行動する。コミュニティの中で、ルールを守らないやつ、輪を乱すやつは「悪」で、遠ざけられる。
まぁ、日本はムラ社会だし、協調性が特に重んじられるので、そんなふうになるのもある程度は仕方ないんやけど、このときに「正義感」が暴走すると、とんでもねぇことになるよな、と思っている。
わたしは子どもたちに「誰がどう見ても正しいことは、わざわざあなたが指摘しなくてもいいよ」と伝えてる。幸い、ふたりとも正義感をあまりクラスメイトに向けるほうではないので今のところあんまりトラブルは聞かないけど、追い詰められた人間がどんな気持ちになるか、そこはいつも考えててほしいな。
— えみすけ (@shinkyu_emisuke) September 16, 2021
今朝もこんなツイートをしたんやけども、この方針のおかげなのか全く関係ないのか、娘たちはいまのところ目立った友達トラブルを聞かない。もしクラスメイトや身近な人が「明らかに悪い」ことをしてるのを知ったとしても、それを直で指摘しても、あんまり得はないのだ。
そしてさらに、世の中には、ルールを守れない(≒守らない)人もいて、それは本人がルールを知らないのではなくて、何らかの理由によってルールのことを知っているけれど敢えて守っていないという現象なのだということを、我が子たちに伝えたい。
それを、「ルール守れよ!」って追い詰めたところで、相手の気持ちはどうしようもないねん。そんなことはたぶん相手もわかってんねん。
「なんでルールを守れ(≒守ら)なかったのか」
という背景に目を向ける、想いを馳せる、人であってほしいなという願い。相手の思考を尊重するというか。
行動だけを責めるんじゃなくて、「なんでそうなったの?」という原因を考えらるようになってほしいねんな。できたら、やけど。
相手の事情に理解を示すことができたら、たとえ共感はできなくとも、一方的に相手を責める、という行動にはならないはずやから。
昔は学級会とかいうものがあって(いまもあるんかな)、そのときに、多数決で「だれがわるいか」みたいなんを決めて、「悪い」ってなった人はみんなの前で謝らされるシステムがあった。嫌な思いをさせて、もうこんなことは繰り返さないようにしようね、という啓発なんだろうね。最近はきっともう、こういうのはないと思うけど、このやり方に教育効果があったのかはよくわからない。被害者は幾分か、気が晴れたのかな。謝らされた本人は、みじめだったろうな。
子どもの正義感は、時としてすごく残酷だと思っている。
どう見ても「正しい」子どもの言う理論には、穴がない。だれも口をはさめない。謝るしかない。だけど、いろんな事情があって、自分のした行動の理由をうまく説明できない子どももいる。そもそも行動の理由なんて存在するのか、自覚できない子どももいる。
行いだけみれば、確かに「あんまりよくはないこと」であったとしても、それを周りが「いけないんだー!!」って責めるのは、学級の出来事としてはほんとはやめてあげてほしい。
自分が考える「世界はこうあるべき」という姿が乱れていても、そこにたとえ不条理が存在していたとしても、相手は自分とは違う思考をもつひとりの人間であるということを理解してほしい。もちろん、明らかに他害性があるものや、命の危険がある行為に関しては、悠長にそんなこと言ってられないけど。
小児はりをしていると、多くのお子さんたちの、集団生活でのトラブルを耳にしたりする。で、やっぱね、被害者側よりも、圧倒的に、加害者側の親が悩んではるわけですよ。
我が子を叱っても叱っても、どんだけ寄り添って注意しても、問題行動が直らない。イライラするし、哀しいし、相手の親への謝罪は毎回心臓つぶれそうになるし、なんでこんなに理解でけへんの、となる。そら、なる。話を聞いてるだけでもつらい。
被害/加害、で考えると、どうやったって加害側が悪い、となる。実際に被害が出てるわけやから。擁護もできん。でもさ、やっぱり発端となったのは、なにかしらのきっかけはあるはずで、それが、被害者側の正義感のせいだったりもするわけです。
田村由美の7SEEDSの花ちゃん見てよ。正義感の塊のような、まがったことが許せない女の子。彼女、毎回トラブルに巻き込まれてます。本人も、自分がこれを言うせいやって自覚してるんやけど、止められへんのよね。自分から危ない目に遭いにいってる。いや、わたしは花ちゃん強くてかっこよくてすきやけど、でも自分の娘が花ちゃんやったら、もっと口のきき方と、世の中の不条理さを教える。行き過ぎた正義感で曲がったことにいちいち噛みついとったら、命がなんぼあっても足らんから。
正しさ、ってのは世の中に存在するけど、正しさだけで人を殴らないように気を付けたい。みんなもう少し、「どうしたん?」って聞いてあげられるやさしさを持っておきたいよね。
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