母の生家

2016年、叔母が亡くなった時から問題が発生した。

叔母は、商店街のど真ん中にあるその築70年くらいのボロ物件に亡くなる直前まで暮らしていた。私は入院中によく、猫の世話をしに行っていた。

元々は祖父母、母、叔母2人が暮らす家だった。

祖父が戦後の焼け野原に、遠く飛騨から檜材を運び、腕のいい大工を呼びよせて建てたらしい。

祖父は薬剤師で、笹塚で最初の薬局を営んでいたとのこと。そして、今回空き店舗になったその一角で母が「貸本屋」を営業していたという。

その後、三姉妹のうち二人は嫁に行き、祖父母は昭和の団地ブームの波に乗って団地へと引っ越し、独身の叔母だけがそこに残って住み続けた。

私が初めて叔母の家に行った時は、一階に三店舗(一つは一階が店舗、2階が住居という今で言うテラスハウスみたいな作り)、2階に独身者用(一階からすぐに階段で上に上がる)と叔母が暮らす部屋(一階に台所と小さな部屋、トイレがあり階段を登っていく)という作り。

木造の住居を改修したり増築したりを繰り返したのだろう、はちゃめちゃな建物になっていた。


叔母が亡くなった時に、相続問題が発生した。

その時に残っていたのは母、そして、もう一人の叔母は亡くなっていたのでその子ども達3人(私のいとこ)に、その物件が分割相続されてしまったのだ。

いとこ達にとっては寝耳に水。一体どんな物件なんだ?!と現地を見に行って、驚愕したらしい。なぜなら、見るからにボロボロで問題山積みなのは明らかな状態だったから…。

しかも一つの物件を分割相続されても、やっかいな問題を一体誰が引き受けるのか?!

実際、様々な問題が山積していた。そして、分からないこと、不明点が多過ぎて、未知すぎる状態。開けたくないパンドラの箱を誰が開けるのか??

誰も引き受けたくない厄介な負の遺産…。

そんな状態のまま、遺産相続の期限は迫ってきていた。

つづく。

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