僕が彼女だけにすること
一番大切なものはなんですか?
こう聞かれたら、迷わず「彼女」と答えるだろう。
じゃあ、二番は何ですか?
「自分」
これも間違いない。
親とか友達とか、仕事とかお金とか、大切なものはいっぱいあるけれど、僕にとっては、そういうものと比較できないのが彼女という存在なわけで・・・
「名前」
僕はラインでも電話でも、必ず彼女の名前を最初に呼ぶ。ラインなら「おはよう」「お疲れ様」「おやすみ」なんていうやりとりをたくさんするけれど、必ず名前を書くようにしている。
電話も同じ。こちらからかけたときは「もしもし」のあとに名前を呼び、かかってきたときは、まず名前を呼んでから会話を始める。このことに彼女は気がついているだろうけれど、その意味はきっと知らない。
なぜ、僕が彼女の名前を、ことあるごとに呼ぶのか。それはラインだろうが電話だろうが、それが僕からの連絡だってわかってほしいから。
彼女がこれまでどんな人と付き合ってきたか知らないし、興味もないけれど、今までの誰よりも特別でいたいと思うから。
「待ち合わせ時間」
僕は、彼女との待ち合わせには一回も遅れたことがない。自慢でも何でもないけれど、それにはこんな想いがある。
デートだろうが何だろうが、自分のために時間を作ってくれているわけだから、もし遅刻してしまうと、彼女の時間を無駄にしてしまうってことだから。僕は絶対に遅刻をしない。そして、約束の時間よりも、必ず早く到着している。
そして、彼女のことを待つ。この時間がたまらなく好きだから。今日はどんな服を着てくるんだろう?どんな顔で挨拶してくれるんだろう?って想像しながら過ぎていく時間だから。
「最後は」
ラインも電話も、終わる時は必ず僕の順番が最後。どんなに盛り上がっていても、どんなにケンカしていても、ラインのメッセージは必ず僕の順番で終わらせる。
電話を切る時もそう。彼女が電話を切ったのを確認してから、僕もスマホをポケットに入れる。これにはぜんぜん意味なんかないんだけど、それでも彼女に「最後」をさせたくないって思っているからなんだろう・・・と自分なりに考えてみた。
だから、デートの後「またね」って別れる時も、彼女の姿が見えなくなるまで後ろ姿を見送ってから、僕はクルリと方向を変える。
バイバイ、じゃあね、ってあんまり好きじゃない。
「またね」は「また逢おうね」って意味だから、いつも最後は「またね」って伝えるのが、僕の日常。
「何食べる?」
今日は何食べようか?
よくある会話だけど、僕は彼女とこの話になった時に、めちゃくちゃ考える。「なんでもいいよ」「君の食べたいものにしよう」なんて絶対に言わない。
彼女のおなかの減り具合を考え、最近食べたと言っていた物の話を思い出し、そして、今食べたいであろうジャンルを思い浮かべて、2つ提案する。
そして、その中で順位をつけて、1番になったほうのお店に行く。提案を3つにしないのは、彼女が迷ってしまうのがわかっているから。
そして、お店に着いたらドリンクをオーダーする。これまた僕の中に二つの候補があるんだけれど、その二つをオーダーして、好きな方を彼女に選ばせる。これで、彼女から文句が出たことは一度もない。
「買い物」
彼女は本当に洋服が好きだ。高級ブランドなんかには興味がなくて、手の届く範囲で、ZARAやらH&Mやらユニクロだってよく行く。そして、僕は洋服を選ぶ彼女の後ろを何時間でもついて歩く。
あっちへウロウロ、こっちへウロウロ。そんな時間も僕は退屈しない。だって、彼女の服の好みがたくさんわかるから。試着するまでのルーティーンだって手慣れたものだ。
彼女がお気に入りの服を見つけた瞬間に、僕はハンドバッグを持つ。そうすることで、彼女の両手が空くわけ。それから、彼女の手には何着も試着候補の服が溜まっていく。その服が溜まったら、全部僕が引き受ける。僕の両手はハンドバッグと、彼女が選んだ服に占領される。
それから試着。入り口で待っていると、彼女が次々に着替えて登場する。ちょっとしたファッションショー。洋服が変わるたびに「どうかな?」って聞かれるから「似合うと思うよ」「ちょっとイメージと違うかな」「今まで着たことないデザインだね」と伝えるのだが、そのアドバイスが届いたことは一回もない。もちろん、それでOK。
え? 彼女のことを甘やかしすぎだって?
他人からすれば、たしかにそうかも知れないけれど、僕はそう思わない。
彼女ってわがままでしょ?
そんなことない、だって僕が彼女のことをわがままだって思ったことは一度もないんだから。
それも、ひとつの想いかた