面接を前に③
面接まで残り2時間。面接の準備なんてまるでしていない私だが、この場をお借りしてなぜ私がなぜReach Programに参加したいのか、まとめていきたいと思う。
なぜReach Programに?
イエス様に長期間、いやライフタイムに渡って仕える者になるため。(life-long ambassador for Jesus Christ.)
奉仕の機会 Practical Ministry:
聖書勉強会を主催したり、留学生が集うGlobal Cafeやスポーツを主催したりする中で、奉仕することを通して、自分の信仰を深くしていきたい。
これまで、体験することのなかった、Reachというコミュニティに参加することで、トレーニングを受け、そして同じReachのメンバーと励まし合い、成長していきたい。
聖書に対する理解を深め、クリスチャンとして、自信を持って御言葉を伝えられる伝道師になるため。
Baibaから学び、メンターを受けながら、将来伝道師として成長するためのトレーニングを受けたい。
なぜFriends International?
イエス様の愛を、留学生に伝えていきたい。特に、カンタベリーに住む日本人留学生、そして中国人留学生。
私は今年33歳になるが、クリスチャン歴は3年目を迎える。クリスチャンとして、聖書による土台をこの1年を通して築いていきたい。
聖書勉強会をリードできるようになりたい。
私の信仰生活について Your own Christian life
私は、日本の母教会で洗礼を受けて3日後にイギリスに飛んだ。そのため、私の信仰はイギリスで育ったと言っても過言ではない。初めは、ぶつかってばかりだった。「神様を信頼する?」そんなんで大丈夫なの?私の人生は私で決めたいよ。
聖書の基本的な学び講座と洗礼を受けたとはいえ、まだまだ生まれたばかりのクリスチャン。私はイギリス行きを決行し、慣れない国での生活が始まった。
オーペア、ハウスキーピングとして働きながら、自らのプライドが削らた。逃げ出したくなり、実際に逃げ出すほどに辛い4ヶ月であったけれど、今思うと神様は、人の家のしもべとなることで、神様のしもべとなり、人に仕える準備期間をくださったのだと思える。
日本の教会は私を一度日本に戻した。私は10ヶ月ほどで鹿児島に戻り、また試練を通された。カンタベリーから呼ばれたが、行っていいのかわからない。そもそも、ボランティアで食っていけるのか。Friends Internationalってなんだ。前が見えない、手探りもできない、先が全くわからない、そんな状況だった。ただ、私はカンタベリーへの道が、生きる道だと、生き生きとして生きていける道だと信じた。私は、目隠しの中、航空券を取った。もう後戻りはできない。これまでキャリアや人からの目を気にして生きる人生から解放され、本当の楽しさを知るために。神様だけを信じて、私はカンタベリーへやってきた。
カンタベリーに来てから、祝福を受けた。もう十二分に、溢れるほどの祝福を神様から受けた。生まれて初めて、いや、クリスチャンとして生まれて初めて神様を信頼したという経験となった。
カンタベリーでの生活は、チームでの祈りがあり、教会のメンバーとのフェローシップと祈りがあり、奉仕の機会があり、周りの人のために働くという機会を頂いた。奉仕の機会、それは私が日本で探し求めていたものだった。だから、奉仕しているだけで、イベントの準備や紅茶を配ったり、家に学生を呼んで料理をふるまったり、奉仕する楽しさを知ったのもここカンタベリーに来てからであった。
聖書に触れる機会も増えたし、一対一の聖書勉強会も週に3回も頂いている。教会のメンバーとのライフグルーム、FIのメンバーとの祈り会、クリスチャンに囲まれて生活することはこんなにも幸せで充実しているものなのだと心から感じた。
もちろん、私たちが奉仕するのはノン・クリスチャンなのであり、常にクリスチャンといるわけではないが、クリスチャン同士で励まし合い祈り合っているのは大きな力となっている。そのようなバックアップをくれたのも、FIコミュニティだった。
今後は、引き続きこのコミュニティで、今度は私自身がみんなを引っ張ることができるくらい祈りを中心に、生活していきたい。
福音の理解 Your understanding of the gospel
私は、ノン・クリスチャンの家庭で育ち、母が亡くなった23歳から30歳になるまで、仏教を極めていた。
そんな私がイエス様と出会い、イエス様の愛に触れ、いまはイギリスへ飛び出してクリスチャンの伝道団体で奉仕するようになったのである。それは、神様のくださった奇跡としか言いようがなく、熱心な仏教徒であった私が救われ、神様と共に喜びの人生を歩むことができるようになったのは、神様からの恵みとしかいいようがない。
そんな私だからこそ、福音を伝えることの重要性がわかるのではないか。クリスチャンとは縁もなかった私が、光に導かれて本当の神様を信じるようになった私は、生きる証であり、神様の恵み、それしか言いようがない、説明のしようがないのである。
イエス様を受け入れてから、私の人生は変わった。
イエス様は私に本当の楽しさを教えてくれた。いや、楽しんで良いのだということを教えてくれた。これまで、自分を押さえ、我慢し、我慢し、キャリアを、挫折やコンプレックスを巻き返すキャリアを積むために全身全霊を注いでいた。そんな私は、イエス様を受け入れ、イエス様が「もう頑張らなくてもいいんだよ」と言ってくれた気がした。勘違いしないでいただきたいのは、私はキャリアも諦めていない、というのは、仕事は神様がくださったものであり、今まで私が積み上げてきたものも神様がくださった恵みだと信じている。国連で働いても、国際機関で働いても、神様のために働いていくのだと信じている。そして、神様は何一つ私から取り去っていない。むしろ、国際的なキャリアもくださり、英語も備えてくださり、何一つ私から取り去っていないのだ。ただ、私が背負ってきた名声を気にする心や、空虚の見栄やプライドを取り去ってくださったのだ。
この福音(Good News)を伝えることが私の生まれてきた理由なのである。
私は救われた。いま私は、人々に福音を伝えられる。私なりの、私にしかできないユニークな方法で。福音の伝え方はいろいろある。正解も誤りもない。でも、福音を伝えるための方法、聖書を学ぶ機会を増やすことは私たちの選択によってできる。ここカンタベリーで学んできたこと、そしていまJTJ聖書学校で学んでいること、これからの人生で学んでいくこと、それらはきっとこれから先私がクリスチャンとして生きること、そして福音を伝えるものとして生きることを支えてくれると信じている。
イエス様を信じた私たち一人一人は福音を述べ伝えるようにイエス様は私たちの背中を押している。イエス様を信じたのは、私自身が救われることだけではなく、これから、多くの人をイエス様が救うためなのである。
私の強みと弱み、そして能力 Your strengths, weakness and abilities
神様は私を祝福してくださった。そして、多くの恵みをくださった。それは私がイエス様を信じる前から、いや、母の胎内にいるときからであった。元気に育った私は体力があり、運動神経も良くて、高校生のロードレースでは 4位、体育科を除くと普通科で1位だった。20メートルシャトルランは中学生のときに108回。当時は女子の最高は80回くらいだったので、体力バカだった。もちろん、陸上部で毎日走り込んでいたし、バドミントン部でもフットワークだけは誰よりも早い自信があった。
話が逸れたが、私の強みは、コミュニケーション能力ではないかと思う。私はいい意味でも、悪い意味でも、人をあまり自分と違うと思わない。ホームレスの方と友達になってしまうので、東京で一人暮らししていたときは、ホームレスのおばあさんが私の友人だった。中国では出稼ぎ労働者の方々と親友、出稼ぎ労働者のおばちゃんからは母親からの愛を頂いた。車椅子の方々とも話を始めると止まらないし、発達障害とか言われても、自分もそうかもしれないし、そんなの気にしない。とにかく誰とも仲良くなれてしまう。
国籍もあまり気にしない。中国人だと思われていたし、自分も正直、半分中国人だと思うほど、私の人格は中国で形成された。イギリスでも、ホームレスの方々と親しくなり、私の苦難を話していた。
そんなコミュニケーション能力というか、友達作戦が、私の強みであると思う。
私の弱み
猪突猛進ということばは、私のためにあるのではないかと思えるほど、私は猪突猛進型である。一度決めたら、やり通したい。いや、やり通さないと気が済まない。人からの助言は、自分を推してくれるものしか信じない。昔はそんな生き方だった。イエス様を信じるようになり、私のボスが自分ではなくイエス様になってしまったので、常にブレーキをかけながら過ごしている。
いまは、この猪突猛進を少しでも和らげるように、周りの友人に行動する前に相談するようになった。そして、すぐに決断せずに、3日間待ってみる、など練習してできるようになりたいと歩んでいる。
これまでの働きの中で感動したこと Some of the experiences of international students you know.
ノンクリスチャンの留学生と一緒に「祈る」ということは私にとって祝福である。
昨年冬、日本人留学生を見送る時、私は20名ほどの学生の新たな出発を祈りで見送った。祈りの機会というのは、予期せぬときにやってくる。祈ろうと思って祈るわけではなく、神様が「えみ、いまだ。いまだから祈りなさい。」そう教えてくれるのである。
個人のために祈ることもある。Jadeは中国人留学生で、彼女の学校でのインターンシップが決まらなければ今週にでも帰国しなければならないというとき、私たちは一緒に祈った。二人とも泣いていたのは、神様が語りかけてくれたからだと思う。
もしかすると、留学生がほしいのは、求めているのは、食事や金銭面のサポートではなく、本当にあなたのことをケアしています、という誠実な心、心に寄り添うことであり、どこかで、神に祈りたい、祈ってほしいと思っているのかもしれない。私のできることは、留学生たちに交流の機会や場所を提供することだけではなく、心に寄り添うことであり、彼らの重荷を、心の悲しみを分かち合うことであるのかもしれない。そして、イエス様の福音をいつも握りしめている私たちにできること、それはイエス様に心を開いて全てを捧げ、イエス様に心の平安を頂くことである。