私がクワイアを育てる理由① 〜29キロ・15歳の私が今もそこにいる〜
タイトルの通りです。笑
私がクワイアを成長させていきたい理由。
大きく分けて2つあるのですが、今日は1つ目、私自身の話から。
文字通り、私は歌に「命を救われた」
これが比喩表現でなく事実だったことは、15歳の私を知っている中学の同級生、高校の友人たちは皆「…だったな!」ってなると思う。笑
あの絶望の日々。そして、歌をやると決めてからの、人生全てのV字回復。
今まで公の場で言ったことも書いたこともありませんが、
10代のころ私の身に起きていた、強烈なビッグバンのことをお話ししたいと思います。
身長156 cm、体重、29kg。
打ち間違いではありません。29キロ。
15歳の春、中学を卒業し、音楽高校のピアノ科に入学した時の私の体重です。
生理は止まり、低体温で寒く、歩くと骨がぎくしゃく、見た目はまるで骸骨。
後から知りましたが、命の最終警告だという「お尻の骨が飛び出す」状態に、拒食のどん底が終わるまでの数ヶ月、なっていました。
そう、誰がどこから見ても、拒食症&精神病。私はいつ死んでもおかしくなかった。
あぁ、今思い出しても、あれで生きれたの割と奇跡よ。自分…
摂食障害の引き金となったものは
拒食症や過食症をひっくるめて「摂食障害」と言います。
私はかなり重度の拒食症でした。
原因は、
「自分の心の声がわからず、親の厳しい教育方針に耐え続けたこと」
「それゆえ、10代の前半にはすでに親の愛がわからなくなっていたこと」
だったと、後からわかりました。
幼少期の私は、厳しいクラシックピアノの世界に閉じ込められていた
9.10歳の頃から「私は音大というところにピアノで行くらしい」とうわごとのように友達に話していました。
それ以外の進路を許さない親の気迫に、押されていました。
小学校のお友達と遊びたいけれど、私は早く帰宅してピアノの練習をしなくてはなりません。
ピアノは嫌いではありませんでした。音に身を委ねる喜びもすでに知っていました。
けれど、そこにはいつも「怒っているお母さんと厳しい先生」がセットだったのです。
5分練習を休むと、母が部屋のドアを開けて「何してるの?」。
学校から帰れば、監視された自由のない生活。
中学校に入っても、部活動はダメ、他の興味のある習い事もダメ、
「音楽高校入学のため」ピアノだけをやる日々。
夏休みは休暇を過ごす先で防音室のレンタルが押さえられていたwwww
いや、今思えばちゃんと遊ぶ時間もあったけどね♡
それに、ピアノを弾きながら譜面台に置いたマンガを読むスキルも身につけましたw(バッハとか無限ループしちゃって終われないやつ)
そんな中で、ある日拒食症の引き金はやってきました。
すべてが奪われる恐怖
中3の夏、親とピアノの先生が言いました。
「受験前はピアノのために中学校を休みなさい」
ここで私の何かが崩壊しました。
唯一ほっとできる中学校での友達との時間。
当時、付き合っている彼もいました。
これを奪われたら自分のすべてがなくなると思った私は、
「夜中寝ずに練習する」と宣言し、毎日学校に通いました。
早退でもいい、とにかく学校にいって、親に監視されない時間が欲しい。
放課後は、家に帰りたくなくて何時間も近所を彷徨ったりもしました。
私には、心から落ち着ける居場所がなかったのです。徐々にごはんが食べられなくなっていきました。
毎日夜中の2時までピアノを弾いて。
お風呂で寝てしまいブクブク沈んで。
週3回、片道1時間以上かけて電車でレッスンに通いました。
この時すでに、40キロぐらいでかなり痩せてしまっていたんだよな。
気がつけばどんどん痩せていき、食べるのが怖くなった
一度食べてしまえば張り詰めているものすべてが崩壊する気がして、こわくてこわくて食事ができませんでした。
私は自分に「一瞬たりともリラックスしてはならない」と言い聞かせていたのです。
「自分の自由を絶対に手放すものか。学校にちゃんと行きながらピアノで高校に合格し、ぬか喜びする親に冷や水を浴びせるように、きっぱりと、ピアノを辞めてやるんだ」
当時の想いを今こうやって文章に起こすと、なんて恐ろしい呪いを自分にかけていたのだろうかと思います。
受験に落ちてピアノを辞める では負け犬だ。
受験に合格してからピアノを辞める が、私の勝ちストーリーでした。
さて、なんとかそのストーリー通りに事は運びました。
けれど、唯一の誤算は、受験が終わった頃には私が精神を病んでしまっていたことでした。
29キロの16歳、一筋の光を掴む。
なんとか合格した高校生活は、痩せすぎて脳も萎縮し、明日着る服が決められずクローゼットの前で泣きながら1時間以上へたり込む毎日。(私服の学校だったのよw)
無気力で、親を見返すエネルギーも残っていなかった。
29キロの身体は、生命を維持するだけで精一杯だったのです。
私の自由は、音の中にあった
ある日、悲しくて悲しくて、私はこんな身になってまで一体何をしたかったのかと振り返りました。
私は「自由」が欲しかった。
「私らしくいられる時間」が欲しかった。
でも、私の自由って…なに?
その時思い出したのです。
親が寝静まってから、いつも夜中にラジオを聴いていたこと。
そこで流れてくる、ソウルやR&Bをルーツとする洋楽やゴスペルに、強烈な魅力を感じていた事。
いつか、こんな音楽を心からやってみたい!と思っていたこと。
そうだよ。
もうピアノなんて辞めてしまったも同然なんだから。
辞めるつもりだったんだから。
今こそ反逆の時。
私は、この音楽をやる道に進むと、親に宣言しよう。
突然、台所にあった「このパンを食べてみよう」と思いました。
命の限界と、立ち上がる決意を感じたのでしょう。
食べ始めたら止まりませんでした。
摂食障害のまま、歌うため歩き出す。光の先にはブラックミュージック。
さて、命は一応救われました。食べられるようになったんですから。
食べると、思考能力も少しずつ回復していきました。
どうやったらこの音楽ができるんだろう。
長らくの拒食ではたらかない頭を抱え、出た答えは
「歌いたい」
あの、ブラックミュージックに感じた光への渇望。細胞が蘇る感じ。
「あんなふうに自由に歌えたら…」その憧れだけを頼りに。
私は命の危機から、ほんの一歩、踏み出すことができたのです。
高校1年の夏休みが明け、体重も8キロぐらい回復し(それでも37キロ)、16歳になる頃でした。
(余談だが高1の夏は毎晩のように家出していました。団地の草っ原でぼーっとし、朝方に帰る日々。あの時私を心配して、そしてただ夏を楽しむために、友達として毎日付き合ってくれてたみんな。ありがとう…まじで忘れてません)
そこから16歳の私が具体的に起こした行動は
①ボイトレに通う
偶然にも知り合いが私の願いを聞き、ボイトレの先生を紹介してくれました。願い、口に出すべき。
②大学は、ピアノではなく歌で入ることに決めた
ピアノ科では、ピアノの練習が忙しすぎて歌がうまくなる時間がありません。大学から歌に転向することを決めました。環境、だいじ。
③自分の生き方は自分で決める、と親に宣言する
いちばん言い出しにくい相手にきちんと決意表明、だいじ。こわかったですよ。でも、骸骨になって死にかけてまで、私の魂が私の意識に訴えたのですから。親も、渋々聞き入れてくれました。
④心身の自由を手にするため、具体的な宣言をした
親に宣言したことは以下のようなことでした。
・高校は、卒業する。卒業できる程度にピアノを弾きます。(結局ピアノは嫌いじゃなかったんだな。窮屈な環境が嫌だっただけで。)
・私は歌の道にすすみます。
・ボイトレ、高校生の間だけお金出してください。その後はバイトします。
・門限は撤廃で。
・誰と交友関係を持とうと私の自由です。危険は自分で回避します。
そんな感じで幸いにして、病的なレベルの摂食障害からは2年半程度で抜けることができていました。
が、その後も「自分を認められない心」が食の異常行為として度々現れてはいました。
私の心は、元々ぜんぜん、強くなんてない。
歌なんてやったこともない私が歌をはじめたのですから、そりゃー下手だし、グループレッスンでは他と比べて落ち込んだり、順調なわけがなかったのです。
食の異常行為から完全に抜けられたのは実は22歳の時。
「ただのボイトレ女子」が、ヴォーカリストとして実際にキャリアをスタートした喜びとちいさな自信から なのです。
ほらね、人生って、いつも「魂がキラッとするわずかな希望」が支えてくれる。
キャリアスタートするビッグバンの話は、また。
奴隷だった黒人が魂の自由を手にするために歌っていた歌
暗黒の幼少期。
そこを抜けられたのは、私の憧れの音楽が心に、鳴っていたから。
ブラックミュージックは、奴隷だった黒人が魂の自由を手にするために歌っていた歌でしょう?
あの10代の頃、親の作った厳しい環境から抜け出せなかった私の魂がそこに共振するのは、とても自然なことに感じます。
私が今クワイア活動を育てていきたいのは、
かつての私のような誰かを照らすための光が、あったらいいなと思うからです。
大人になっても、人は何かに抑圧を感じているものです。
会社、夫、妻、子供、社会の空気、そして「今はまだ弱い、自分」。
あなたを縛っている(とあなたが勝手に思っている)ものはいっぱいあって。
そのあなたの本当の願い「歌いたい」を受け止める場所が、ここにあれば。
そんな思いなのです。
とっても長くなりました。
初めて公の場でひらく、パンドラの箱。
幸せへと完全に昇華した出来事だから、何もこわくありません。
むしろ、あの時の私を抱きしめちゃった。
死にかけてまで、歌への道を掴んでくれてありがとう。
私がうっかり有名になっちゃった時、過去の29キロとか途中過食で54キロとかの写真が週刊誌に出ても全然平気だわw
なんと4000文字、読んでくれたあなたも、ありがとう。