仕事を辞めても大してスッキリはしないが、そこは問題ではない。
総じて言えるのは、仕事を辞めた(職場との関係がなくなった)ところで大してスッキリはしないということ。辞めると決意したときの方がよっぽどスッキリする。なぜなら、それまで悶々と悩んでいたことへの答えを出すところまでようやくたどり着いたから。スッキリするに決まっている。
ただ、実際仕事を辞めるために、荷物を整理しに行ったり、人事と事務的なことを話したりするのは、後ろめたい気持ちが勝る。突然出社できなくなったことで混乱を招いただろうし、精神的なものだったから会社も声を掛けづらかっただろうと思う。そう考えると本当に申し訳ないなと思うが、あの時はどうすることもできなかったのは私にとっての真実だし、おかしくなるまでギリギリになっていることに気づかなかったのは私自身の大きな課題。同時に、会社がそこに気づかなかった(何とかなるだろうと思っていた)ことも、大きな問題だと私は思っている。ただ、後悔することだけは本当に嫌なので、これから私は「今回のことを糧に自分で改善していくよ」という決心を盾にして、やはり吐きそうになりながらも会社へ向かったのが正直なところだ。(吐きそうになっている時点で、スッキリすることなどないのだなと確信したのだけど)
退職に不安はつきものだ。ただ、今辞めないと決めたとしても、これまでとさほど変わらない不安がつきまとう。辞めると決めても、これまでとは違う新たな不安を抱える。どちらにせよ、不安などいつだってあるということ。不安は必ずしも問題ではなくて、それを上回って前に進めるのはどちらなのか、というところの方が重要なのだと思う。
私が辞めようと決めたのは、不安から逃れるためではない。そうならないように、ずっと考えてきた。どちらを選んでも生まれるであろう、不安を凌げるほどのパワーを再び発揮できるのはどの道なのか。そういう観点で決めたつもりで、その点は今も揺らぐことはない。これまで私の能力を広げる機会を与えてくれた会社にはこれからも感謝し続けたいし、この地で暮らしていくにあたって、これまでに関わってきた人たちとも細くとも長く関わっていたい、という気持ちもあるので、すっと消えるような辞め方ではなく、せめてメールで退職の挨拶をするくらいの最低限のことはしておきたいという考えも強い。
結局のところ、自分がこれからのことをどう考えるか、というのを根っこに持つことができれば、あとはなるようになるだろうと思う。
私は相当恵まれている。
病んで仕事に行けなくなっても、家族がいて、収入も安定している。
そして、メンタル崩壊の世界に片足入れた段階で私の中で警報が鳴ったことも、ある意味私の身体が正常に機能した証拠だと思う。
ましてやこのタイミングで、かつて働くことに依存していた星野源に出逢い、下ネタ満載の彼の文庫本を夜中に読んで可笑しさのあまり眠れなくなるという時点で、十分な追い風だろうよ。
仕事を辞めると決めたことで前に進めそうな気持ちになるのは事実。だけど、辞めたからと言ってスッキリするわけでもない。スッキリしなくても何かを掴めそうだという感覚が大事だと、今は書き留めておこうと思う。
(書き留めるというのは思ったより大事なようだ。今日は雑誌の整理をしようと思って、結局手つかず、夜にはその決心すら忘れている。だめなもんは仕方ないから他の方法で凌ぐ努力が大事)
やりたいようにやることで、バランスがとれる感覚は掴めてきた。
もう少し。もう少し。