経験値で背負いこんだものを篩にかけて
退職願を提出することにした。休職した当初よりは色々と冷静に考えられるようになり、先日、会社で最も仲良くしているパートさんに今の状況を聞いたり、家族と話を重ねても、やはり、続ける意欲は持てそうになかった。
冷静に考えられるようになったとはいえ、まだ、家から会社までのエリアはとても踏み込めるような心理状態ではない。「恐怖心に支配されているのだ」と、「顔を合わせればなんてことない」と言い聞かせて踏ん張りをきかせることが全くできない軽いトラウマのような状態。これまでの恩義もあるし、ちゃんと出向いて退職を願い出るべきだよなぁと思うが、なにせ今回の件で休職期間残り1ヵ月を切っても何の説明もない会社に何の気遣いがいるのだろうとも思うし、そういう気遣いのために何日も考えてしまうようなところが今の自分を引き起こしたのだと思うと、ここは悪になってでも、事務的に済ますべきかな、というところに今は落ち着いている。
退職願以外に、1枚くらい手紙を入れようとは思う。あとは個人的にメールでも送ればいい。うーん、取引先はどうするかな。一応、退職の挨拶だけはしたいなと思う。これは会社のためではなく自分のためだ。これから先、この田舎で生きていく以上、どこかで絶対に出くわす人が出てくるだろう。もしかすると一緒に仕事をすることもあるかもしれない。どんな理由であろうと、将来への種まきだと思って、そこは大事にしようと思う。
ただ、書く気がしなくて1週間以上経っているのが問題だ。そろそろやばい。
というかそもそも、便箋を買いに行かなくてはいけなくて億劫だ。だって贔屓にしている文房具店は遠……ん?便箋なんてコンビニにもあるな。おい、なんで気づかなかった。とにかく、行きゃーいいのに行く気にならない、というのがここ2週間は続いている。
ちなみに締切ギリギリまでやろうとしないのは、30近くなってから出てきた私の新しい癖である。締切は守る。ただ、締切まではひたすら逃げ続け、もうそろそろヤバイな、という時点で持ち前の集中力で一気に乗り越える。こういうことが「これまでの自分ではない」と不安を感じる一つだった。これまでの自分などそれほど誇るようなものでもないのにね。これは自虐ではなく「過大評価への気づき」と言うのが正しいのだと思う。
おかげで今は「やるだけマシ」と思うようになった。
ちなみに早めに取り掛かって終わらせるべきというのは、母の口癖だったと思う。でも今は「普通そうだろうよ、夏休みの宿題なんて出さない奴だって世の中には五万といるんだ」くらいに思っている。第一、その母が今となっては「なるべくならやりたくない」の急先鋒である。
というわけで、一応、3ヵ月の休養はそれなりの効果を見せているようだ。
しばらくは「経験値で背負いこんだものを篩にかける」ことが一つの行動療法になるだろうと思う。
ちなみにこの言葉は、国民的スーパーアイドルグループ嵐の「Make a wish」という曲の一節にあって、会場で一人号泣した曲である。号泣したということは、私にとっての課題だと知らせてくれているということだろう、と思う。
行動療法だと思って、とにもかくにも、そろそろ退職願を書こう。