私が生まれた日であり死んだ日。

1984年8月24日は私が生まれた日で、
2015年8月24日は私がいったん死んだ日。

仕事に行けなくなったあの日から、1年が経った。

去年の今頃は、得体の知れぬ痛みと精神的な不調で、悲しくもないのに涙をボロボロ流し、自分が何をしたいのか、ご飯を食べたいのかテレビを見たいのかも一時は判断できなくなった。

脳疲労を繰り返すと判断力が鈍る。

もっとひどくなると、判断力が鈍っていることさえも分からなくなる。

だから、まわりから何を聞かれても明確に答えられない。なぜ答えられないのかが分からないから、余計に疲労する。悪循環に陥った頃には、その断ち切り方が分からず、気力も底をついて、かつての自分として認識していた「元気でやる気のある私」が手元からどんどんこぼれて落ちていくことに、はっきり言って絶望した。

少し日が経って「ついにやってしまった」と思った。
分かっていたのに、防げなかった。
自分の失敗は必ず自分の行動で取り返すことを大事にしてきたけど、あの時は、周りに迷惑をかけることをとても申し訳なく思いながらも、それ以外の選択肢を自分で用意することはとてもできなかった。

うつのことはそれなりに勉強したはずだった。
知れば知るほど、自分が「なりやすい人」に良く当てはまることも前々からわかっていた。だけど、異変を感じ始めた1か月前くらいから当日まで、そのことは一度も頭をよぎらなかった。

今でも、あの日々を思い出すだけであの独特の不安感がふっと蘇り、引き戻されそうになる。そこから戻ってこられるのは、へんてこりんな私に構ってくれる寛大な親友や先輩や後輩や、顔も知らないのに声を掛けてくれるnoteの人々や、へんてこりんを生んだ家族がいるからであり、私を育ててくれたかつての職場と、これから私を育ててくれるであろう今の職場があるからだ。

幸いだったのは、判断力がまだ少し残っていたことだと思う。
人生で初めて、カウンセリングルームに通った。
独りで何でもやろうとしたから、やれる雰囲気を出したから、こうなった。
だから、人の手を借りなければと思った。かろうじて、そう思うことができた。

休職を決めて、少し調子が戻って冷静に判断ができるようになってきた時、何人かには自分の今の状況を話した。症状が悪化して、迷惑をかけたり失望させたりすることを防ぎたかった。友達を大事にしたいという気持ちがまだ何とか生きていることに、ホッとしたのも覚えている。

でも、私にとって一番大事な人にはどうしても伝えられなかった。転職することくらいは言えてもね。現在進行中の暗い話なんて聞かせたくなかったし、正直、何も知らないでいつも通りでいてほしかった。

そのかわり、その人に会う頃までには必ず乗り越えようと思った。それで頑張れたところもある。勝手に。

(偶然にも、転職してから早い段階で向こうが遊びに来てくれることになったのは、本当に、本当に、ありがとう、と思った)

与えられた時間の中で、私はひたすら頭の中を空っぽにした。
脳疲労はパソコンで言うところのフリーズ状態。リセットしてすべてをいったん強制終了させなければ、次へ進めない。
ところが、人間の脳はすぐにはリセットされない。たぶん、2ヵ月以上はかかったと思う。11月も半分を過ぎてようやく、先の事を考えられるようになったから。

社会人になってあんなにたくさん時間をもらうなんてなかなかない。そのなかで、大きく変わったのは「意識」だと思う。

仕事中心の生活をやめること。

女性としての健康を守ること。

そして、今の状況を後悔しないこと。

負荷をかければかけるほど、壁は乗り越えられると思ってきた。
女性だからというのも絶対に理由にしたくなかった。

最初は間違っていなかったと思う。いろんな経験に繋がったから。

だけど、今は間違っている。大事にすべきものが変わったから。

経験を得た一方で、こういう「自分を無視したこだわり」に首を絞められたことは、猛省しなきゃいけないところだと思う。私らしいっちゃーらしいんだけど。テヘペロ!

もちろん、仕事が私の生活のど真ん中を走っていたこと自体は、昔も今もこれからも大きな誇りだし、20代からこそできたことだと思う。それは自慢。

でも、そろそろ次のステップを考えなさい。

そう、何かに誘われたのだと私は信じている。

よりによってわざわざ私の誕生日にさ。意味ないわけないよね。意味ないなんて言わせない!(笑)

そうして、仕事を辞めたわけだけど、それから今の仕事を得たのは本当に奇跡と思う。

食品業界だったこれまでのキャリアを活かせる。さらに、新しいキャリアを積める。家から近い。収入も変わらない。ましてや、創業100年を超える老舗メーカーときた。面白いに決まってる。14~15人は応募があったと思う。前任者は勤続20年だった。そのポジションがこのタイミングで空くなんて。

その中から選んで貰えたのは、これまでの経験と会社がこれから取り組みたい事とが合致したからだと、後で知った。休職の事も会社には伝わっているけど、そんなの不問だった。ビビった私は何だったの!ってくらいに。

6年半前、就職の当てもないのに東京から地元に帰ってきて、私を面接日に即日採用した会社もあったな。えぇ、前職ですけども(笑)

人生とはそういうものなのだろうか。不思議。

というわけで、今。ずいぶん楽天的になったし活発になった。石橋も叩いて割らなくなった。叩くけど渡るようになったし、たまに叩かなくなった(笑)

嵐見たり、星野源見たり、小豆島に行ったり、弾丸で帯広に行ったり、真っ暗な襟裳岬に行ったり、ガスかかった旭岳に行ったり、思い付きで稚内行ったり、利尻行ったり、三笠で地層愛でたり、旭山動物園でペンギン愛でたり…。

これからも、ポケモンよりも「楽しい」をいっぱい集めることにします。

というわけで、この一年、いろいろありましたが、本日をもって、完全復活宣言としたいと思います。

さーて。これから仕事的には。

第一ステップ(前職):いかにして物を売るかをマナブ。

第二ステップ(今):いかにしてお金や人の流れを良くするかをマナブ。得意な分析力がピカーン!と光るはず。これがどこまで行けるか楽しみ。ほどほどにね。

第三ステップ(10年後?):これが、長年の夢。まだ秘密。

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