便箋を買いに行くはずが
昨日は、「便箋、便箋、便箋を買いに行くのだ…!!」と呪文のように言い聞かせて起床。
朝刊を広げて、「あ、そういえば、今日は油井宇宙飛行士帰還の日だ」。NASAやJAXAの中継などの情報収集……(無事帰還しましたね、NASA TVで声が聴けた)
…あ。年明けの星野源ライブの先行抽選が、当たったんだった。コンビニに支払いに行かなくては失効してしまう。CDに入っていたシリアルNoがいるな。シリアル…シリアル…シリアル…
ち が う。
(星野源ファンにしか分からないので元ネタは↓の4:50よりどうぞ)
おい。
今日は便箋、便箋、便箋を買いに行くのだ…!便箋、便箋、びんせん、びんせん…(ぶつぶつ)退職届を書くならたぶんハンコもいるな。朱肉と下敷きはどこだったかな…ガサ…ガサ…ゴソゴソ……あったあった。
……。
ぬおおおお!!
き、気づいてしまった。
ハンコの下敷きの隣に。
便箋。(写真撮ればよかった)
しかも私が欲しかった縦書きのフォーマルなやつ。
…おい、買いに行かなくてもいいってか。服着たぜ。メイクもしたぜ。
じゃ、じゃぁ!封筒は…ね。ないよね。
ないよね。
(これ以上探すのはやめよう…メイクして服も着て車のエンジンもかけて、外出る気満々なんだ私は)
結局今日は、便箋ではなく封筒を買いに行った。
退職願の封筒ってよく考えれば郵便番号枠が入ってる封筒じゃだめなのね。そりゃそうだよね。やむを得ず郵送するときは、封筒に入った退職願を一回り大きい封筒にいれて、手紙を添えて送るんだもんね。そうだよね。誰だ退職願と手紙を一緒に封筒に入れて宛名書いて送ろうとか思ってたヤツ。
調べてよかった…。
この頃には「せっかく外に出られたんだし、気力があるうちに気力が必要なことをやってしまおう!」みたいな気持ちが芽生えていて、退職願の書き方も調べたので、これならいっそこの勢いでカフェにでも入ってコーヒー飲みながら今日中に書いてしまおうと思った。
…でもまてよ。昨日は連絡もよこさないような会社とか悪態ついたけども、さっき気が向いてメールと社用携帯を久々に開いたら、突然の休職で、私に訊かないと分からないことの一つや二つはあっただろうに、着信が一件もなければ、社内の同報メールが入っていても私宛のものはなく、仕事の状況から見て、訊かなくても済むように何とか業務を切り抜けてくれていると感じた。
「連絡をよこさない」という不信感と、「訊かなくても済むようにしてくれている」という思いやりは、一見違うようだけど、感情を差し引いてしまえば、もとは「何もしない」という同じ行為である。相手がどう思うかは、自分の想像の世界であって、実際は相手の言葉を聞かなければ、それが当たっているとも限らない。それに会社の立場としては、私に復職の意思があるのか、あれこれ想像することはできても、具体的には知りえない。そんな状況で会社から私に声を掛けたら、話の主導権は自然と会社側になるだろうし、下手をすれば肩たたきのような形になってしまい都合も悪いだろう。休職期間満了退職だろうが、自己都合退職だろうが、どうせすぐには働けそうもないから、そもそも失業保険をすぐもらえる要件を満たしていない。ましてや再就職しようとしたってすぐには正社員にもなれまい。
よし。今日のやる気があるうちに、会社に電話をしよう。
そう考えられるくらい、気持ちに余裕があった。仕事を辞めるときと恋人と別れるときは、後腐れないように力を尽くすのが一番いい。今まで全部そうしてきたのは、一種の私の信念でもあり、誇りでもあることを思い出した。
メールでも限界だったのに、会社に電話しようとか、よく思ったなとは思う。
でも、思えば、「いつもの前を向いている(≒踏ん張りの効いている)私」だったような気もする。
母には話を聞かれたくなかったので、封筒を買いに行った足で、どこかの駐車場に車を止めて、ゆっくり話すことにした。
通話時間、14分。久しぶりの上司の声は穏やかだった。いつも穏やかで人の話をうんうんと聴いてくれる人。というか、もともと一人ひとりに根っからの悪気がある人などいない。でも、会社として動かすときに、どうしてもうまくいかないことがどこの会社でもある。それを私は何度も経験して乗り越えてきたつもりで、そうできたのも紛れもなく一緒に働いてきた人々のおかげである。
電話は、そう思えるような終わり方だった。
退職の意思を伝えたので、同封する手紙にも、迷いなくお礼の言葉と前向きな姿勢を表現することができた。極力失礼のないように注意したいので、一日置いてもう一度見直してから、投函することにしよう。幸いにも日曜は外出の予定ができたから。
便箋を買いに行くはずが、封筒を買いに行き。
一方的な手段ではなく、自分の意思で、しかも前の日には絶対にできないと思っていた「電話」という手段で退職を願い出、夕方には退職願を書き終えているとは。
我ながら、極端である。
でも、心の中でつっかえていたものが、すっと抜けたような気がする。
大好きな社長が寂しい顔をするであろうことも、会社に置いてある私物を片付けることも、退職の挨拶の仕方も、挨拶のタイミングも、挨拶のお菓子を何にするかも、会社で扱っているお気に入りの商品が買いづらいことも、もう、今さら悩むこともない。
結局、私の良くない想像はおおかた間違っている。そういうことだ。