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難聴記録②初体験。衝撃の「医療用ふんどし」

今でも忘れられないのは、「ふんどし」の存在です。
その名はT字帯(丁字帯とも言うらしい)。

医療用の下着なのですが、着用すると、見た目、どうしても「ふんどし」にしか見えない…。

当時、私は20代前半。
T字帯の着用は事件と言ってもいい程の衝撃でしたーー


手渡されたT字帯

「これに着替えておいてくださいね!」
看護師さんに手渡されたのは、検査着と「T字帯」と書かれた謎のパッケージ。

謎のソレを見つめている間に、サラッと退出してしまった看護師さん。
何に使うか分からないので、側にいた母に聞いてみた。

私:「T字帯ってなに?」
母:「うーん、下着。ふんどし…みたいなもの。」

ふーん。
……ん?
ふんどし?
フンドシ…?………!!!

激しく動揺しながらも、なんとか着用した私。
母の言う通り、どう見ても「ふんどし」にしか見えない…

上から検査着を着ているので、周りの人に見えることはないけれど。それでも恥ずかしいし、落ち着かない…。

T字帯が必要だったワケ

ふんどし…いえ、T字帯が必須だった理由。
それは「高気圧酸素療法」。
圧力の高い巨大カプセルみたいなモノの中に横になって、100%の酸素を吸入して全身に酸素を供給するというもの。

巨大カプセル内に持ち込める素材に制限があった様子。女性の下着はコットン以外の素材も使われていたり、飾り付きも多いので適さなかったのかもしれません。
(医療が日々進化している今、現在もT字帯を着用するかはわかりません。)

今は保険適用される場合があるようですが、当時は自費でした。
駆け出し見習いダンサーの私に、ポンと出せる金額ではなく。親に負担をかけることにーー

飴を握ってカプセルへ

そんな高気圧酸素療法。飴があると良いということで、ガーゼにつつんだ飴を持ち、いざ出陣。(パッケージは持ち込めない)

「ちょっと辛いと思ったら、ボタンを押してお知らせください」との説明。気圧を戻す時間が必要になるので、「ちょっと辛い」の段階で押す必要があるのだそうだ。

緊張しながら治療開始。
気圧の変化と共に詰まる耳。慌てて飴を口に放り込む。
「ドキンドキン」という心臓の音が耳の奥で響く。
だんだん、頭の中に心臓が移動したんじゃないか?と錯覚する程に大きくなる。

ちょっと辛い。ボタンを押そうか…

その時、頭をよぎったのはお高い治療費と母の顔。
途中でドロップアウトなんて、許されるものかぁ~~!!
ドケチ根性に火が付き、我慢を決意

どのくらいの時間が経過したのかーー1分?5分?
耳がこれ以上に詰まる事はないだろうと思えるほどに詰まり、自然と口が半開きになる。「ドキンドキン」が「ズキンズキン」に変化していく。
耳の奥を針で突き刺されるような感覚に涙が出そうになる。

トゥモロー

痛みを紛らわせるため、歌を脳内で再生しました。(私は幼いころから歌が大好きなのです。)
この時、応援歌にしたのは「トゥモロー」。ミュージカル・アニーの曲です。

朝がくればトゥモロー いい事があるトゥモロー 明日
夢見るだけでトゥモロー 辛いことも忘れる いつか

小学1年生の頃だったか。ミュージカル・アニーを観に行きドはまり。買ってもらったパンフレットは読みすぎて綴じ部が壊れ、バラバラになってしまった。それでも読み、歌も熱唱していました。

そんな「トゥモロー」を脳内でエンドレス再生するーー

耐えろ。耐えろ。
たえろ…
たえられん…

心が折れそうになった時、治療が終わりました。
外に出たときは放心状態だったと思います。だって、どうやって病室に帰ったか覚えていないのですから。

もう嫌だ。でも聴力を諦めるのも嫌だ

辛すぎた1回目の高気圧酸素療法。
次回日程がとにかく憂鬱でなりませんでした。

同室に入院されていた「突発性難聴」の女性も同じ治療を受けていました。
彼女はこの治療が影響したかはわかりませんが、「中耳炎」を起こし「次回は受けない」と話していました。

私は…キツイと思いながら。
これで耳が治るなら!と期待をして何回か治療を受けました。

今だから思うこと

自費の治療。
お金を出してもらえて当然ではありません。治療を受けさせてくれた両親に感謝しています。

自分が親になって、その当時の「ありがとう」よりも、ずっと切実にそう思うのです。
親孝行しなきゃ!

高気圧酸素療法といえば、愛してやまない「ミュージカル・アニー」と「ふんどし」(笑)の記憶ーー
痛みと笑いが同時に訪れる思い出です。

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