短編小説 鋏の音、もらわれていった雌ヤギ
2021年11月 東京
「3か月東京を留守にするから。」
私がそう言うと、彼は私の顔を注意深く見た。
そして、その意味を理解して、
「うん。じゃあ、どうしましょうか。短くするか、伸びて少しボブっぽくなるようにするか。」
私は少し考えて、ボブっぽくする。と伝えた。ここに来ると、私はいつも居心地があまりよくない。表参道の有名な美容室。
彼はいつものように、真剣に髪を切り始める。ただ髪を切るだけのことなのに、どうしてこんなに真剣になれるのか。私は不思議な気持ちになる。
もちろん、ヘアカットは「表現」の一つの手段であることには違いない。
でも、その対象は、何の取り柄もない、凡庸な、そして、今は、何事にも確信の持てない抜け殻のような私だった。
鏡の中の私を、いや、正確には、「私」ではなく、私の髪や頭のかたちを一心に見つめたあとに、思いついたように彼が聞いた。
「今度はどこへ行くんですか?」
私がここ1年ほど、長期でいろいろなところに出かけていることを彼は知っている。
北海道。スキーをするの。私運動神経があまりよくなくて。スキーは20年ぶりくらいで。長くいたら少しはうまくなるかな、と思って。
などと、普通の人が「へえ。いいですね。」と返事をしやすいように、注意深くその理由を説明していると、返事には早すぎるタイミングで
「そうですか。」
と興味なさそうに彼が言った。興味はないけれど、一応聞いたのかもしれない。いや、どこに行くかによって、髪の切り方を決めるのに何か、情報が必要だったのかもしれない。
再び、彼の手と鋏が動き出す。鋏の音が心地いい。私は再び関心する。彼は真剣そのものだ。
美容室を出るとき、彼は、「ありがとうございました」と言ったけれど、なんとなく、それを言いたくなさそうだった。というか、どうでもよさそうだった。
「髪」のことしか考えていない彼は、美容室を出る私の髪の後姿を最後までそっと確認していた。もし、何かが違うとかんじたら、「ちょっと待って。」と言われるのではないか、というくらい、髪型の仕上がりにこだわりがあるようだった。そして、当然、「私」という人間にはこれっぽっちも興味がなさそうだった。
別にそれでも全然問題ないけれど、私は、一応、表向きだけでも、人とうまくやりたいと思ったりする。だから、彼がまるで迷惑そうなそぶりで不愛想に礼を言い、私の後姿を見ているのを感じたとき、やはり、この美容室は居心地が悪いと思った。
そう思いながら、早足で外に出て、乾いた都会の空気を吸い込んだ。
2020年6月 札幌
「そんなこと・・・聞いてません。っていうか理解できません。突然・・ひどすぎます。だって・・。」
部下の女性は、身体を震わせて怒っていた。彼女のチームメンバーも同様だった。部屋の中は、その怒りと同じく色濃く、重苦しい空気が立ち込めていく。私は辛抱強く、一人ひとりの言葉を聞いた。
札幌の事業所は、3か月後に経営不振のために閉鎖することになった。会社としてはできる限りのことをすると決めた。ここに書いてある条件をよく読んで、東京に転勤するか、よい条件で会社を辞めるか選んでほしい。
人事部の担当者とともに、繰り返し丁寧に説明し、今回のことは、本当に残念なことだけれど、今後の人生のことをよく考えて、よい選択をしてほしい。と全員に告げた。
この決定は私が決めたことだった。少なくとも責任者である私には、そうする必要があった。でも私にはわからなかった。この数か月に決断したすべてのことが、正しかったのかどうか。誰にとって必要なことなのか。
私の上司は、私のいくつかの決断を一つずつ確認し、ほっとしているように見えた。突然、なんだか、すべてのことがばかばかしく思えた。そして、私の中で何かが壊れ、何かが終わった。
私が静かな声で、札幌に行きます。というと、上司は、わざわざ行かなくても。いや。そうしてくれるとありがたい。大変な仕事だけれどよろしく。と言った。
札幌の重苦しい会議室の中で、チームの中の二人だけは、会社の状況や、私の言葉の意図を理解しようとしていたし、最後は私の目を見て、遠いところまで、わざわざ、直接説明に来てくださって、と礼を言ってくれた。
でもほとんどのメンバーは、最後まで怒りの目で私を見ていた。怒ってるというよりは、あきれているようにも見えた。
彼らには言わなかったけれど、これが私の最後の仕事だった。私も彼らと一緒に、というか、それよりも先に会社を去った。
鹿児島 2020年春
会社を辞めたあと、私は日本のいろいろなところへ行った。山に登り、海で泳ぎ、神社をめぐり、寺や、城を訪れた。いろいろな場所に行き、いろいろな人に出会うたびに、百聞は一見にしかず、ということを身をもって知ることになった。今まで自分が知っている、と思っていたことは一体何だったんだろう。
1日、1日が過ぎるごとに、なんだか自分が浄化されるような気がしていた。でも一方で、過去のいろいろな出来事が頭をよぎり、今まで、当たり前だと思ってしてきた様々な判断や行いが、果たして、正しかったのかどうかますます自信がなくなった。
でもそれは、言い換えれば、自分が変わったことの「兆候」のようなものなのかもしれない。
私は変わりたかったのだろうか。自分のことが嫌だったのだろうか。長い長い間に、本当に自分がしたいことと、すべきことが入れ違ってしまっていたのではないのだろうか。
2020年の3月、私は鹿児島県の大隅半島で、早い春の3週間近くを過ごしていた。鹿児島湾に沈む大きな夕日を毎日眺めて、近所で生まれたばかりの2匹の子ヤギと遊んで暮らした。
オスとメスの子ヤギ。お母さんのお乳を飲んでいる間は、繋がれていなくとも遠くへは行かないらしい。ぴょんぴょんと跳ねる子ヤギ。時々は私のそばにきて、おとなしく、耳や、背中や、眉間の間をなでられている。
朝起きると、海を見に外に出て、ヤギに、おはよう と言う。私は、海の見える部屋で、毎日短い詩や、長い日記を書き、疲れると、また外に出て海とヤギを見に行った。
暖かい日は、海岸に降りて行って、靴下を脱いで海水に足をつけた。3月の鹿児島の海は想像していたよりも生温く、不思議な感覚に全身が包まれるようだった。私は浜に流れ着いた流木に座って、答えのない考え事をしながら、乾いた砂に足をくぐらせて濡れた足を乾かした。
夕暮れ時になると、長い時間、太陽が海に沈んでいくのを眺めていた。時々、雨上がりには大きな虹が見える日もあった。夜は、窓から星を眺めた。時々、遠くから子ヤギの鳴き声が聞こえた。
ある日、雌の子ヤギがどこかへもらわれていって、子ヤギは1匹になった。
モノローグ
私の答えのない考え事は、いつまでたっても終わりそうになかった。人は、どうやって、答えのない人生の悲喜交々に折り合いをつけているのだろう。
忙しい日々は、とりとめなく考える暇を与えないし、時間は流れるように過ぎていく。普通の人は、そうやって生きていくのだ。かつての私のように。
幸か不幸か、私は、人生のある時点で、否応なしに立ち止まってしまったことで、前にも、後ろにも進めなくなってしまった。
「これから一体どうするの?」多くの人から聞かれ、自分にも問いかける質問だ。
選択権は自分にあるような気もする。普通の人生を送りたければそれは可能なのだ。今なら。でも、再び忙しく日々を送り、考えることを忘れるという人生を始めることは、なんだか恐ろしい選択のような気もするし、答えのないことを考え続ける人生も、それはそれで、しんどいように思えた。
海に行っても、山に行っても、見つからない答え。どこにも進んでいない。でも私は確実に浄化され、変化している。進化しているのか、退化しているのかわからないけれど、違う私になりつつある。
「どこまでも行こう」の歌を心で口ずさみながら、私は決めた。もう少し続けよう。今まで行ったことのないところ、したことのないことを。
北海道、雪に閉ざされる村。冬の間、そこで暮らすことを決めた。
2021年 11月札幌
北海道の雪深い村に行く前に、札幌で、スキーや防寒具の買い物をした。東京で生まれ育った私は、マイナス20度を下回る、不便な雪山の村で過ごす日々がどんなものなのか、想像しきれなかった。でも、すでに11月の終わりの札幌は、日中18度の暖かい東京とは違って、本格的な冬になっていた。
白い息、寒い。マフラーや耳あてをして、街を歩き、スキー用の帽子や手袋やブーツを買った。防水スプレーやら、なんやら、必要と思われるこまごましたものを揃えていった。
私はかつて、何度も札幌を訪れたことがある。仕事をしていた頃も、仕事を辞めてからも。
多くの人は、「北海道は食べるものがおいしい」というけれど、私は、いつも、なんだかそういう陽気な気持ちにはなれなかった。札幌は、常に、仕事での暗い思い出に満ちている。いつか、私は楽しく札幌で過ごすことができるようになるのだろうか。
買い物を終えてホテルに戻り、重い荷物をソファにおいて、洗面所で手を洗う。
はあ。重かった。疲れた。
ふと鏡をみると、髪を切ったちょっと目新しい自分が写っていた。ああ。やっぱり彼は髪を切るのがうまいんだな。とあらためて思った。
あとがき
物事にはいろいろな側面があるように、私自身のパーソナリティも同じく多面的です。多面的、というよりも、いろいろな「かけら」が詰まって人格ができていると思います。
その小さなピースの一つ一つの大きさや色が変わったり、少しずつ入れ替わったりして、なんとなく雰囲気が変わったり、大人になったり、子供返りしたりしながら、死んでいくのが人というものなのだと思います。
私は2020年に会社を辞めて、多拠点生活を始めました。住所不定無職という肩書を楽しんで生きています。時間があるので、いろいろなものを書き始めました。
今回は、多拠点生活の中で見えた世界、私の中に存在する、ほんの小さなダークなピースにフォーカスして物語を書きました。本当でも嘘でもある物語です。
*実際の多拠点生活は私にとってはおおよそ、もっと、ハッピーで楽しいものです。
今回の小説は、noteの読者の方が気軽に読めることを想定して、少しライトめに書きましたが、一つ一つのエピソードをもっと膨らまして、1冊にできるくらい背景を書くこともできるような気がします。
私は、文字を使っての表現には大きな可能性があると思っています。まず、文字数。日本には俳句や短歌、そして現代ではTwitterなどの短い文字数での世界観の表現のチャレンジ。
また、何をどう書くのか、ということについては、かつての文学の先人が様々なチャレンジをしてきたように、絵画的、彫刻的、または音楽的、な要素を以て表現することにも憧れます。
ストーリーであるものの、ストーリーであることが目的ではない、というような小説を書いてみたい。というのが私の夢でもあります。
また、一つのストーリーを、ゴッホのひまわりや、モネの睡蓮のように、様々なテイストで書いてみるようなことにも憧れます。
あとがきが一番長いのは変なので、このくらいにしようと思います。読んで感想を持ってくださった方がいたら、コメントくださるとうれしいです。
今夜もよい夢を見られますように。