50代の私が将来のことについて考えたこと 2023年
私は今56歳です。いったい私は何歳まで生きるんだろう。この先の人生はどうなるんだろう。
少なくとも、私のこの先の人生は、親の世代のそれとは違うものになることだけは確かで、多くの人が私と同じように、この先の人生が不確実であることを知っている、でもそれを実りあるものにしたいと考えていることでしょう。
私はこの秋(2023年)、東京都が主催する「東京セカンドキャリア塾(プレシニア)」に参加しました。その塾での2か月経験を踏まえて、いろいろ考えたことをまとめておきたいと思います。
振り返り:人生100年時代を考え始めた53歳(2020年)
私は53歳の時に、長年勤めた会社を辞めました。それは、大きな決断であったものの、何かに突き動かされるように、後先、損得考えずに道を進みました。現在はまた働いていますが、そのことは後程ふれます。
会社を辞めたこと、その後のことは過去にブログに書きました。このnoteにも退職や、セカンドキャリアについて考えたことをいろいろ書いています。
今回(2023年)参加したセカンドキャリア塾では、下記3つの軸で、セカンドキャリアを考えるという構成になっていました。
1)キャリアの軸
2)お金の軸
3)健康の軸
これは大切な軸3つですが、2020年当時、将来のことで私が懸念していたことはもう少し具体的なことでした。
「私は今まで自分勝手に好きなように生きてきた。でも将来自分の身体の自由が利かなくなって、老人ホームに入った時、他者との共同生活はできるだろうか?」
「私は自分が死んだとき、自分の持っているものをを片付けてくれる人はいないかもしれない。そのためには、断捨離をしておいた方がいいんじゃないだろうか?」
「私は今までお金に苦労することなく、収入を増やし続けることができた。働かなくなって、生活をミニマイズしなくてはいけなくなった時、それはつらいことなんだろうか?」
これについては、退職後、多拠点での生活を始めたことで、不安をなくすことができました。他者との生活は豊かであり、断捨離や、ダウンサイズした予算の中での暮らしも、いろいろ楽しかった。だから、私はこの不安は今は持っていません。
やりたいことがみつからない
やりたいことを模索し、53歳(2020年)の退職時に、経済評論家の勝間和代さんの主催するオンラインサロンに1年間、入りました。
このサロンでは、独立・起業を目指している人が、いろいろな取り組みをしていて、私もこの段階で、SNSやブログにチャレンジしました。Word Pressで自分のブログサイトを作り、Facebook、Twitter、Instagram、後にはこのnoteも始めました。ココナラで「副業」のレクチャーを受けて、「ビザスク」でコンサルにもチャレンジしました。
「今までの人生は忙しすぎて、将来のことを考える余裕なんてなかった」
「私にも何かできることがあるかもしれない」
「(そしてそれが少しでも収益化できたらラッキー)」
みたいに思っていたし、実際にオンラインサロンの仲間は、積極的に独立起業に向けたアクションを起こし、私も触発されて、その仲間に入ってみたこともありました。でもやってみて気づいたことは、私は自分のことを一生懸命「売り込む」ような情熱もなかったし、「儲けのポイントを見つける」ということに関してもどうしても関心がわきませんでした。
そんな時、塾生のある人が私に言いました。
「起業して、ちゃんと収益化できる人なんてほんの一握り。それなら近所のスーパーのレジ打ちのバイトでもした方がいい」
なるほどな、と思いました。
その後、このサロンを退会、飲食業などの経験もしてみたいと思い、北海道のスキーリゾートで4か月、住み込みで働きに行ったりしました。
結局何も見つからずに56歳
結局「やりたいこと」が見つからない私は、55歳の時に性懲りもなく、ある会社に再就職しました。運よく正社員雇用され、ジョブ型雇用のため、65歳定年まで条件変更なく働くことができます。ホワイト企業で、仕事は大変でも難しくもなく、時に退屈です。「ワークライフバランス」のライフ優先の日々で、プレッシャーは全然ありません。つまらないな、辞めたいなあ、などと思いながら日々働いています。
周囲のどんな人に話しても、私の今の状況は「恵まれている」らしく、「うらやましい」とまで言われてしまいます。(今辞めるなんてありえないということです)
あきらめの悪い私は、またしても、「何か見つかるかも・・」という淡い期待を持って、「セカンドキャリア塾」に入塾しました。2か月間、様々なノウハウを教わり、いろいろな方の体験談や考えを聞いて尚、結局、「やっぱりやりたいことがない」のが私の現実的な状況です。
セカンドキャリア塾で、キャリアのほかに、お金や健康に関するいろいろなヒントは得たけれど、お金や健康のことは、結局、「ある程度」までしか予測できないということが明確になりました。
大きな病気やケガをする確率は、若いときに比べて格段に高くなる。でも、逆に親の世代とは違って自分が元気で100歳以上まで生きるかもしれなくて、結局どこに住もうか、何をしようか、が決まっていない私にとって、将来像を描いたうえでの人生設計、経済予測そのものが無理でした。先が見えないまま、日々は過ぎていきます。
現時点で思うこと、現実的な話
なので、私はやっぱり流されて生きよう、今、その時、思いつくことだけをしよう、という結論しか出せませんでした。それが結局一番私にとっていいことなんじゃないかなと思います。
会社を辞めたくなったらやめてしまおう、どこかに行きたくなったらそこへ行こう。
これは完全なる私の私見ですが、何かを手放すまいとして、そして何かを手に入れようとして必死になったりすることで、失っているものがあるということに気づいていない人はたくさんいるように思います。
努力すること、頑張ることは尊いことである一方で、そのことが当たり前、上昇志向がよいことだと思い込まされた私たち世代は、偏った考え方に縛られている可能性があることを、ちょっと意識しなくてはいけないのではないか、ということです。
階級社会であるヨーロッパの人たちは、やみくもに上を目指したりしません。今あるもの、自分に与えられた境遇のなかで、豊かに暮らし、毎日を謳歌しています。今の日本の若い世代もある意味、自分の行く末を冷静に予測し、自分に合った幸せのかたちを見つけることを自然にしています。私たち世代も見習うべきです。
「今の生活レベル(経済的に)を維持する」という、椅子取りゲームのイスの数は、年をとればとるほど、めちゃくちゃ少ない。負けの確立の高いゲームでギラついたり、何とかしがみつこうとするよりも、ゲームから降りてしまった方が幸せ、と私は思っています。
大した能力を持たずとも、高い給与を得ることになってしまった世代の私たちは、自分に能力があるとか、頑張ってきたとか、なんだか、勘違いしてしまっている可能性があることを認めた方がいい。経済的に成功する人はほんの一握りで、ほとんどの人の「ラッキー!」はもう続かない、ということも。
大切なことはステップバイステップだということ
今振り返ってみても、やっぱり私は2020年に、会社を辞めたことはよかったことだと思っています。将来得られたかもしれない収入を捨ててまで、そして何も見つからなかったという現実的な私の姿を見て、間違った選択だったと思う人もいるかもしれない。でも私はそうは思えないのです。
今、私は無形資産がどんなものなのか、体感的に理解できているのです。
会社を辞めて、3年間、今までと全く違う生活をしたことで、私は、確実に、そして少しずつ変化したことを今回、セカンドキャリア塾で実感しました。
私は今、会社員の傍ら、ADDressという多拠点生活のサービスを提供しているプラットフォームの家で、家守(管理人)みたいなことをしています。家は、築40年(もっと古いかな?)の一戸建てで、昭和な雰囲気の家に暮らしています。
現在の会社員としての待遇も、部下のいない一般職で、収入は現役時代の三分の一くらいになり、働く時間は十分の一くらいです。
現役だった2020年当時の私は、ダイレクトにキャリアダウンで収入が三分の一になる転職先を選ぶことはできなかったでしょう。
そして、「新築または築浅、日当たり良好、オートロック、収納多め、閑静な(高級な)住宅地」みたいな条件でいつも家を探していた私が、今の家みたいな物件を選んで住むことはなかったでしょう。
会社を辞めた後の3年間でいろいろなことを経験し、信じられないくらいたくさんの人と出会いました。今までの人生においては、出会ったことのない種類の人たちです。
200か所くらいの家を住み移り、時給1,150円のスキー場のアルバイトの経験をして、自分が知っていた世の中がいかに小さかったかを知ったのです。豊かな暮らしや、幸せの定義、居心地、住み心地の概念も大きく変わりました。
来月どこに住んでいるかもわからない多拠点生活で、「決まっていない」ことに対しての不安も小さくなりました。決まっていないからといって、「悪いこと」が起きるわけでもないということを体感しました。
不思議なことに、私は収入も、社会人としてのステイタスも失ってしまったのに、前よりも幸せを感じるようになりました。そして何も持っていないのに、なぜか自分に自信を持てるようにもなりました。
それはここには書ききれないくらい、小さな経験の積み重ねの結果です。3年の年月をかけて少しずつ変わったのです。
おわりに
セカンドキャリア塾で出会った多くの人は、誰しも将来が不安なようでした。何かを見つけたいと思っている人が多く、現在の経済的な生活レベルを維持したい、且つ、やりがいのある人生を送りたい、そのために何かできないか、と模索している人が多いようにも見えました。
私も彼らと同じように不安がないわけではないので、かつてのように、一瞬、計画づくりや自分に合った起業を目指したくなりましたが、やっぱりやめることにしました。私にはそういうことは向かないし、私は幸せになったのだから。
塾に行ってよかったことは、まあ人生、何とかなりそうだ、という感触を持てたことです。将来設計がなくても、何とかなるんだ、別にいいんだ、ということ、それよりも大事なことがあるという確信がもてたことです。
そして、自分はもうすでにセカンドキャリアを歩いていたのでした。
先のことなんて誰にもわからない。幸せに生きるために大事なことは、「あたりまえを疑ってみること」そのためには、「あたりまえじゃないことをする」ことなのかもしれない。
学術的に考えたい人にいい本を紹介します。
今夜もよい夢を見られますように。