「女の子」を育てる、不安
臨月に入りました、エミリーです。
今だから書けることですが、私、第二子が女の子だと分かった時にかなり不安でした。(第一子は男の子)
産まれる前は「男の子3人兄弟、どんとこい!」「女の子だったら・・・(ちょっと心配)」という気構えでしたが、女の子の育児については1人目を育てるうちに知り合ったママ友さんの様子をみるにつけ、段々と無くなっていったのです。。
そこで今回は、なぜそんなに自信を無くしてしまったのかという理由と、そこから、現在立ち直った(?)というか「まぁ女の子でも大丈夫!きっと!」までに思えるようになった経緯を書き留めておこうかなと思います。
なぜ女の子の育児が不安なのか?
具体的に、なぜ女児の子育てが不安なのか理由を書いていきますが、やはり「子どもと同年代の女児の様子を見て」という実体験と「私の思春期、体験談」については外せない不安要素になっていると実感しています。
短期における不安要素なら期間限定と割り切ることができても、子育ては20年弱に渡るプロジェクト(?)ですから、長期的な視点で子育てを考えざるを得ません。
そしてなまじ自分が育てられる側を経験し、周囲の女児(女子)のサンプルを多数見てきているだけに不安要素が多いのが<女児育て>な気がしています。
では、男児の子育ては?
男児の子育てに不安がないのか?と尋ねられた時、私は「一切不安に感じるところはない」と断言できます。なぜなら、知らないから。
無知というのは精神的には本当にラクなものですね。
男児育ては、どちらかというと「自分とは別の生き物」を育てている感覚に近いかもしれません。何せ、男児がどのように男性になっていくかの過程を実体験したことがないのですから。(私には1歳違いの弟がいますが、彼を身近で見ているにも関わらず・・・です。)
だから思春期にどうなるのかが全く読めないし、想像すらつかないので出たとこ勝負で子育てできるのが良いのかなと思っています。
(決して、男児育ては「育児のハードルが低い」という訳ではありませんよ!)
まぁ、でも今のところ2歳5ヶ月の男児を育てている限りは、行動が素直なところ(時に愛嬌のあるアホさ加減)が可愛らしくて大好きです。あと2〜3人くらい男児を育てたい!と強烈に思えるくらいのクセのある可愛さが彼らにはあります。
(ただし力もタフさも女児の比では無いので、体力勝負です。)
また、私の周囲には聡明でウィットに富んだ会話のできる尊敬できる殿方が多いので、彼が(こんなアホ丸出しの子どもが※失礼)どのように大人の男性になっていくのか、楽しみでもあります。
身近な女の子(2~3歳児)の様子を見て
私は絶賛子育て中ということもあり、やはり身近には同年代の子どもを持つママが多いです。息子と同年齢の2〜3歳児ですね。
その頃の年齢は、俗にいう「イヤイヤ期」にあたるのですが2〜3歳女児のイヤイヤ期は(私視点では)かなり壮絶な光景でした。
3人の女児を間近で見てきた訳ですが、私が見た限りでこんなことがありました。
・転んだ(血が出るほどではない)だけで、ギャン泣き30分。(その間、ママも気を紛らわそうとするが、何をしても意味なし。)
・玄関先で、靴下を自分で履きたかったらしく、ママが履かせようとしただけでギャン泣き。再度靴下を脱がせて、やり直そうとするも、今度は「自分で脱ぎたかった!」と言ってギャン泣き。これも落ち着くまで15〜20分かかった。
・お友達とオモチャの取り合いになり、力負けしてギャン泣き。20分
・オムツを替えたくない!とギャン泣き。無理矢理替えたところ、今度は服を自分で着たかったようで、ママに手伝われたことで怒りのギャン泣き。その後、結局自分で着ることができずに悔し泣きのギャン泣き。60分
もはや「知らんがな。」と突き放してしまいそうになる程の、大声で泣かれることや、その後の尾の引き方は女子だなぁと感じるところがあります。
他にも、オモチャの取り合いで狡猾に立ち回っていたり、パパとママに対しての接し方について違いがあったりなどなど。
なんというか表現が難しいのですが、女という生き物に多い粘着質な感じとでも言いましょうか、その片鱗をこれでもかと見せつけられたのです。
自分の思春期を思い返して・・・
ちなみにですが、周囲の2〜3歳児を見て「私には女子育ては無理だ・・・」と思ったという訳ではありません。(きっかけの一つではあります)
他にも、自分の思春期を思い返して感じるところもあったので、大変だなぁ。。と思っていたのです。
全部が全部、私が直接経験したものでは有りませんが、聞いた話も含めるとこんなことが思春期女子特有のものかと。。
・弁が立つ(嘘が得意)
・群れを作りたがる(いじめの温床にも)
・性犯罪の被害に遭う
・自分が悪いと思っても、謝らないどころか逆恨みされて報復される
(靴に画鋲入れられたりとか)
・粘着質で一度嫌われると二度とグループに入れてもらえない
・明確なヒエラルキーが存在し、ヒエラルキートップのグループに嫌われると下部グループまで通達が及んでボッチになる(≒不登校)
など。
私の性格も影響?
もし、自分の子どもにこういった事象が起こったときに、私は何と声をかけてあげたら良いのか、全く想像ができないのです。
なぜ想像できないのかを語る上で、私の育ちをここで簡単にご説明すると
中学までは共学で男勝りな部分(というか女性らしからぬ感じ?)があったので、女子とグループを組むというよりかは、男女区別なく関わりたい人とだけ関わるといった交友関係を持っていました。
しかし、ひょんなことから女子校に進学。(本当は男子が90%以上いる高校に行こうと思っていました。中学時代の女子グループのいざこざを見て、辟易していたので。。)
そこでは中学時代よりも遥かにエグい女子のドロドロが渦巻いていたのです。。。
私は彼女達が織りなすドロドロした空気に当てられ、結局どうすることもできず、気の合う数人の仲間とだけ付き合い、それ以外には一切の関わりを持たないというある種極端な、屈折した高校生活を過ごしてきました。
気の合う仲間がクラスにいない時には、MDウォークマンだけが友達でした。(苦笑)
「女性らしく」なんて無理
そんな暗黒の(?)高校時代を過ごしてきた私にとって「女子でいること」というのは本当に本当に辛かったのです。
子どもには、そんな辛い思いをさせたくない。そんな気持ちが先立って、女子育児への不安感が増してしまったのかもしれません。
そして、社会に出ると女子のドロドロは表層上隠されますが、代わりに必要とされるのは「女性らしさ」です。
化粧はマナー、スカートにヒールの靴。お上品な言葉遣い。男性からどう見られるかを常に意識することなど。
どれも私には縁の無かったものたち。
(私は生来勝ち気なところがあって、腕力でも技術でも何でも良いのですが、いつも何かの分野で男性に「勝ちたい」と思いながら生きてきました。そのこだわりは一体どこから来るものなのか、今となっては分かりませんが・・・)
なので、女性らしい立ち振る舞いを求められるだけで身の毛もよだつというか、どこか「女という価値を売っている」ようでイヤだったので、女性らしさからは縁遠い場所にいました。
そんな私だからこそ、子どもが女という性を持って生まれた時に一体どのようにして世渡りや何やかやを教えていったら良いかわからないというのも、正直不安の種にもなったりして。
次回に続く。
おっと。随分長くなりました。
以降は、そんな「女子育児不安症」の私が立ち直ったきっかけについて、
また別の記事にて書きますね。
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