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いじめにあった私とその心情

みなさん、こんにちは!ちえみりーです。

私はいつもポジティブな発信をしていますが、過去にはネガティブな経験をしてきたこともあります。その内容についてお話ししていきますので、ネガティブな内容が苦手な方はご遠慮ください。

きっかけは、いじめられていた子をかばったこと

私は中学1年生、クラス内の友だちも少しずつでき始め、楽しい学校生活が始まろうとしていました。
私は何とかある女の子のグループ(カーストでいう真ん中くらい)に入ることができ、手紙を交換したり、メアドを交換したりしていました。

そしてクラスにはある男の子がいました。
その男の子はお世辞にも清潔感があるとは言えないタイプの子で、体型もふくよか、独特な世界観を持っていて、少しオタク気質の持ち主でした。

入学から3か月ほど経ち、私のグループである遊びが始まりました。
「○○君エキス、タッチ!」「いや~!やめてよ!!」
そう、先ほどの男の子の机をある子が触り、それを擦り付け合う低次元なお遊び。

私は最初はノリよく一緒になってやっていたのですが、何だか誰得なのかもわからなくなってきて、その男の子にも申し訳なさが生まれました。

そして遂に私はそのエキスを一手に引き受け、平和に終わらせようとしました。

いじめられていた子の担当になる

時を同じくして、私は小学校で児童会の代表だったためか班長に選ばれました。
そして、班員を決めるのは班長会議で行われます。
今考えると、最悪な班の決め方だったように思います。

まず、先ほどの男の子を誰の班にするか議論がはじまりました。
誰もやりたがりません。
忘れ物も多く、勉強もできない子だったので、隣の席になると常に机をくっつけて教科書を見せたり、勉強を教えてあげなければいけなかったからかもしれません。

私は様子を伺っていて、時間だけが過ぎていくのを感じました。
中学生とはこの程度なのかもしれませんが、班長に選ばれているにもかかわらず誰もがどこ吹く風です。
段々といら立ちを覚えたのをはっきりと覚えています。

このままではらちが明かない、そう思った私は名乗りを上げました。
その瞬間その場のみんなが私の方を見て微笑んだことでしょう。(ここはよく覚えていません)

そして無事、班が決まり、席決めの段階に。

その時は1つの班が5人で、2人ずつの2列と1人だけ他の班の子と隣の席になります。
班長は班員の授業中の様子がよく見えるように、必ず真ん中になる必要がありました。そう、必ず班員の誰かが隣に来るようにしなければなりません。

担任の先生は私に例の男の子の隣になるようにお願いしてきました。
正直私もいい気はしません。
なぜ私だけ背負わなければいけないのか。
その上こういったのです。
「班員の中で一番成績がいいちえみりーがその子の適任ではないかと」

もう、断る理由も思いつきません。

変な噂を立てられる

新しい席が決まり、私の隣にはその男の子。
最初は席をくっつけるのも正直嫌でしたし、消しゴムやシャーペンを貸してと言われたときは、何で私だけなのかと思いました。

それでもなぜか正義感が強かった私は、差別をしてしまう自分が許せないとも思えてしまい、その子をどうにか受け入れようともがく日々。

そうそう、仲良しグループの子はどうなったかって?
私がその子と席が近く菌が移ったように思えたのか、段々と避けられるようになりました。
段々、段々、私には話す相手が、仲良く遊ぶ相手がいなくなりました。

その頃にはある程度仲のいいグループが固定され始め、カーストも出来上がってきたころでした。
そのため私は自由に新しいグループに入るわけにもいきません。

ついにカーストが一番低い一匹狼になりました。

そしてまた席替えの時期がやってきました。
私には待ちに待ったときです。やっと大役から解放されるのですから。

しかし、私が思っていたようにことは進みませんでした。
そう、その学年の間永久にその子の面倒を見ることが決まってしまったのですから。

担任の先生も私が最初に名乗りを上げたのをいいことに、私に任せきりです。ずいぶん業務が軽減されたでしょうね。

そんなことも知らないクラスメイトはこんなうわさを立て始めます。
「ちえみりーと○○君(例の男の子)、付き合ってるらしいよ。」

私への質問攻めやいじりの総攻撃が始まりました。
どうみたらそう見えるのか、本気でそう思っていたのか教えてほしいものです。

否定しても、「照れんなって」で返してくる人たち。
私を指さしてコソコソ話す人たち。
あらぬ目撃情報を流す人たち。

あきれてものも言えません。

本と勉強以外友だちがいない暗黒時代

こんな生活が続いたので、私は人が信用できなくなりました。
仲良くしても、どうせ裏切る。
私は裏切られる運命なのだと。

そして好きな人も自由に選べないのですから、もう人に対しての期待は捨てました。

2年生に上がり、私の成績はどんどん上がっていきました。
模試では県で20位に入るくらいにもなりました。
本は年100冊読みました。(内容は忘れたものも多いですが)

そして母にも相談しました。

母は私にこう言ってくれました。
「もっと勉強して、いい高校に入れば自分に会う人に会えるからと」

これに関しては感謝しています。
終わりが見えたような気がしたので。私は何とか全力で頑張り続けました。
このおかげで最終的にいい大学、いい会社への就職もできたので、良かったと思います。

泣きたい日々、泣いたら負けると我慢する日々

私はなんとか学校にいる間だけは泣かないようにしました。
何度も目に涙が浮かびそうになることもありましたが、必死にこらえました。
そして、学校の人に対しては完全に見下すような見方をすることで精神を保っていました。
『こいつらは頭の悪い人間だ』と

・その間にも掲示板を見ている私の後ろから、冊子を丸めた硬いもので頭を思いっきり叩いてくるやつ。
・友だちに書いた手紙を勝手に見つけて堂々と読み上げるやつ。
・修学旅行で私のハンカチをゆりかもめのレール(線路)に落とすやつ。
・かわいそうだと近づいて、周りからの評価が上がると手の平を返したようにふるまうやつ。

  • その間にも掲示板を見ている私の後ろから、冊子を丸めた硬いもので頭を思いっきり叩いてくるやつ。

  • 友だちに書いた手紙を勝手に見つけて堂々と読み上げるやつ。

  • 修学旅行で私のハンカチをゆりかもめのレール(線路)に落とすやつ。

  • かわいそうだと近づいて、周りからの評価が上がると手の平を返したようにふるまうやつ。

  • 友だちという言葉を都合よく使うやつ。

  • 緊張しすぎてゲップが出てしまったことをネタに一年以上いじってくるやつ。

  • 筆箱を勝手に逆さに向けて中身を出して立ち去るやつ。

  • 私が悔しい顔をしているとテストの点数を聞いてきて、高いじゃないかと机をけり倒してくるやつ。

  • ナルシストと囲んできて名指ししてくるやつ。

  • 部活の後輩に私の指示には従わないように別の支持を出すやつ。

まだまだあるかもしれません。でも私は絶対これを理由に学校を休むことはありませんでした。

だってばからしいでしょ、こんな人たちのために成績まで下げるなんて。

それでも、不登校の友だちを学校に引っ張り出した

ここまで友だちがいない、いないと言ってきましたが、必死で作った友だちもいました。

その子はもともと仲良くしていた子ですが、ある事件を起こしてしまったこと(嘘をつくなどの人間関係的なトラブル)を皮切りに不登校になりました。

もしかすると迷惑だったかもしれません。
毎日その子の家まで行って「一緒に学校行こう」と誘う私が。
後日談としては感謝されましたが、私は私のために、私のコンフォートゾーン(リラックスできる、快適な居場所)を確保したい一心で連れ出そうとしていたのかもしれません。

その友だちはついに保健室に通えるようになりました。
その後クラスに戻ることもできました。

それが唯一の救いだったかもしれません。

いじめにあって

私は正直言うと、人間関係には今でも自信はありません。

高校の寮生活で面と向かって「私あなたとは合わないと思う」と言われたり、社会人になってからも同期から無視された経験もあります。

でも、辛い経験をしたからこそ、何気ない人の優しさに人一倍敏感に感じて、感謝をすることができるし。

他人には自分が辛かったような思いはさせたくないと、人に優しくなれた気もします。

これらはポジティブに考えただけでしょ。と思われるかもしれませんが。

実際、自分の人格を形成される経験やきっかけにはなったと思います。

そして、ハングリー精神なのか?笑
たくさん勉強をして、いい大学や就職先に恵まれただけでなく、視野が広がって素敵な人に出会えたことは本当に良かったと思います。

今思う、いじめを乗り越える考え方

今でしょ!で有名になった林修先生も人間関係がうまくいかなかった学生時代もあったそうです。

メンタリストのDaiGoさんもいじめの経験があることで有名ですよね。

このように現在は、一般的に成功していると言われている人でも、学生時代や幼少期にいじめを経験しているケースは少なくないよう。

林先生が「大人になっても(いじめてきた人と)会うとは限らない」と言っていたように、

今思えば、私もあの時は本当につらかったけど
大人になってみると辛かったときにいた、”学校”という環境は社会の中では本当に小さくて。

その小さい環境で上手くいかなくても、他の環境でも上手くいかないとは限らない。

これに気づけるかどうかがとても重要だと思います。

つまり、
「視野を狭めて自分を責めてしまうのではなく、他にもっと素敵な、自分に合った世界がきっとあるはず

これをどれだけ意識して視野を広げて、必要であれば転校など環境を変えてしまうのも手段なのではないかと思います。

役に立ちそうな記事たち

どうしても今の環境しか考えられなくてつらい思いをしている方は、併せて読んでみてください。


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