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鼻をへし折るとは。。

私は、自分の日常や頭の中を自分のファンクラブ
(閲覧が主なLINEのオープンチャット)で発信しているのだけど、

そこでコメント書きたくなったら書いていいものなのかな?っていうコメントをもらった。

コメントが長くなったり、質問になるようなら
メインの投稿がブレてくるのでスレッド機能を使ってくださいって前もって説明してるのだけど

それについて、これはいいのか悪いのかが、
よくわからないのは当たり前のことで、それはその人のセンスなり、分別だったりするんだけど
でも、出してみないとわからないもので

その出してくれたコメントに対してこれはスレッドに書いて欲しかったなっと私が言ったとしても、それはそのやりとりで、実は完結してて

言われて始めて、これはなぜ、そうなのかということにその人が納得すれば、その人はまたバージョンアップするわけで

不正解を恐れて、何もしないならいつまでも、
不正解を避けて通る生き方ということ。

それは、いつも何かの顔色をうかがって
つまり、その人自身が窮屈だということ。

そういう人は、苦難を避けて生きてるから、
大抵、自分が予期せぬことが起きて自分が被害にあうようなことが起きるとすごい勢いでブーブー言う

なぜかと言うと
私は"こんなにもそれらを避けて普段から用心しているのに、なぜ、こんな目にあうんだ!"という
思考回路(マインド)だ。

このメカニズムは、
自分が鼻をへし折らないから、起きること(事象)を通して、他人にへし折られている。

チャレンジし続ける人(小さなものでも)は、自分から飛び込み、そもそも自分で普段から鼻をポキポキへし折っているので、自分の中にあることを知っていて、人に対しての文句にならず他責的にならない。

他責的にならないってことは
自分の責任で生きてるってこと。

つまり、幸せもそのまま、まるまる自分の責任だから他の人のせいにしている人よりずっと豊かで幸せである。
生きてるだけで丸儲けの本質とはこれである。

自分は、分別がしっかりあると思っていれば、
これは違うよと言われれば、傷つくし

できていると思っていればいる程
その鼻をへし折られるのが怖くて
そこを守るために臆病になり次のステップに踏み出せない。

だから、今以上に幸せになりたいのに、それ以上進めなくて、でも進みたいので、文句を言ったり人を妬んだり、歪んでいく。

誰かが言っていた。
『人は本来傷つくことはない。自分のプライドが傷つくだけだ』と。

これが、鼻をへし折るってことの話。

私は自分で鼻をしょっちゅう鼻をへし折っていたら、本当に実際にリアルの自分の鼻が小さくなったのだ!笑
昔からBIG NOSE(デカ鼻)とあだ名がつくくらいの私の鼻が少し小さくなった嘘のようなホントの話。笑


私の友人の歌で
『どう生きたいの?』と投げかけてくれる
ノータイトルのオリジナルソングがあるので今度載せます。

この歌はそれを投げかけてくれているし
とても素敵な歌で耳に残るから聞いて欲しい。

私はこの人のボイスディスカッションという仕事もしている。


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