
歌い方が言語化できた!
この話は、実に言語化した良い成果。
歌の話でいうと、こうなりたい、ああなりたい
と目標を掲げて生きていたり、こんな風に歌いたい!と向上して歌っている人の歌い方は、違和感がある。
その話をボイスディスカッションという仕事を通して、お客さんにお話した。
この話の前提は
そもそも"できていないことをできるようにしよう"とする歌い方や表現の在り方は、ちょっと気持ち悪いことがあるので、ありのまま等身大の表現に尽きるし、それしかできないよねっていうところから始まってて
今日ね、昔そのお客さんが収録した曲を今日聴いて私が共鳴して震えたっていう良い感想を伝えたらそれはかなり前に録ったやつと言う返事がきて、これ、絵に関しても同じことが前に起きて、とある人のとある絵をみて最近の絵がさらにどんどん良くなってて素敵!ということを伝えたら、それは最近出した絵より前の絵 と言われたことがある。その人は(お客さんじゃない人)何にもわかってないやんー!と突っ込んでいたけど、それを私は"自分はわかってないなー"とも思わなかったし、キョトンとした。
そもそも、だんだんと次第にうまくなっていかないといけないと思ってないし、いいものはいいから、描いた順番が逆でも別に私にとっては全く大事なことではない。
この2つの、同じ様な出来事を通して気づいた!
何事も、前からもともといいから、変える必要はないのではないかと。変えようとしたり、向上したりしようとすると"変えようとしている歌"になる。
作品があって、それを聴いたり観る人がいる。
それを作った人も、観たり聴いたりする側も
変わっていく。だから、亡くなってから作品が認められることがあるんじゃないのかと思う。
それじゃあ、目標はいらないの?って思うかもしれないけど、私がよく持ち出すオズの魔法使いの話で願いを叶えるためにオズの魔法使いのところに行くけどその魔法使いはただのおじさんだというコントみたいな結末のこの世の真理を描写したようなあの物語も、そもそもあの"旅自体"が魅力的でおもしろい。
それは、目標があるからこそ始まる旅であり
目標に向かうことにもうとことん突き抜けると決め、いききるという存在状態それが音楽でいうとロックだと思う。だから人はロックに憧れる。
だから、全体から俯瞰すると
目標というのは、この世において釣りであって、だからこそ人間は不完全にできていて、目標を設定するように自然となっていてそこから切磋琢磨して色んなことを学んでいく。
結論、そのお客さんには、その目標に行ききる(域ききる)表現と等身大をステージの中で"自然と"使い分けるようになれば最強じゃね?と伝えた。
あと、今日ちょうどステージの前だったので
"前からできている"ということをさらに実感してもらえたと思う。
この人は、歌が好きだけど歌えないくらい
歌が"苦手だと思っていた"人だ。
今は色んなステージに出て夢を毎瞬叶えている。
どうだ!the!言語化!
#今日の発見