
可能性は未知数
『何になりたいか』と問われると、正直わからない。
子供のころは、芸能人になりたかった。
実際、チャンスにも恵まれて、養成所に入り、
大手の事務所で研究生として所属もした。
しかし、高校受験で休んでいた時、
担当していたマネージャーが辞めて、
自然とその事務所を辞めた。
高校に入ってからは、
漠然とした海外のイメージを追って
英語の勉強と、アルバイト、ボランティア活動に
精を出した。
成績は、みるみる上がり、
平均低下だった英語はクラスで五本の指に入るまでになった。
高校2年生の時、
ボランティア活動や日常生活で感じたことを
小論文にしたら、県の代表でアメリカに行ける切符を手に入れた。
小論文の内容を突き詰めたくなって、
大学進学を決めた。
しかし、たまたま参加した大学の授業の環境が
自分に合わないと感じ、逃げるように翌日英語科のドアを叩いていた。
そこで勧められたのが、『海外進学』だった。
しかし、母子家庭で日本の大学に行くのもやっとの私が、
海外進学など夢のまた夢だと思っていた。
そのことを高校の先生に話すと、
『アジアへ行け』と言われた。
調べてみると、
国によっては、大学の授業料が日本よりはるかに安い。
そして、物価も安い。
そうして、私は、学費も物価も安いマレーシアに行くことにした。
しかし、2020年が私の人生を襲った。
2020年の4月に渡航予定だったが、
ロックダウンの状況下で行けなくなった。
半年、1年と渡航時期をずらし、
アルバイト先と家の往復の日々が続いた。
1年後、オンラインで留学をスタートすることになった。
海外の大学を日本で受ける…
なんとも滑稽な生活だった。
なぜ、海外進学を選んだんだろうと日々自問自答を繰り返した。
悶々とする日々の中で、
芸能事務所時代のマネージャーとやり取りが始まった。
きっかけは、一通の年賀状だった。
そこで、メールアドレスを知り、やり取りが始まった。
マネージャーは、
舞台の運営のお手伝いの仕事をいらいしてくださったり
営業に一緒に行ったりと日本の芸能に携わる機会をくださった。
最初は、暇つぶしだった。
しかし、舞台を手伝った際、その舞台を観て
ワクワク、そわそわしている自分がいた。
本当にしたいことは、
きっと表現に携わる仕事なんだと。
今、私は、マレーシアで日本の文化を発信するクラブにいる。
私のそのクラブでの楽しみは、
日本の踊り(盆踊り)をマレーシアの人たち踊ることだ。
そして、参加した人の笑顔を観るのが嬉しい。
未来はわからない。
でも、私は、表現で日本と世界をつなぐ仕事をしたい。
そう、思って、その方法を模索中だ。