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演劇の劇は「劇薬」の劇

 今まで書き散らしていものをまめようと思ったが、取っ散らかりすぎて不可能だった。そのため、また新しくnoteをはじめる羽目になった。自分の書いたものを読み返すと恥ずかしいけど、その時に何を考えていたか見るのは、やはり面白い。
 珍しい事に今年は、現時点で既に3本の日本オリジナルのミュージカルを見る予定になっている。4月の「薄桜鬼」と先日の「CROSSROAD」。更に今月には劇団四季の「ゴースト&レディ」を2回観劇予定。昨今のチケット事情もあり、「本当に観たい作品」を選ぶのに慎重にならなければならないこの頃。残念だけど以前の様に「何だか分からないけど面白そうだから来た~」がなかなか難しくなってしまった。
 「審美眼」もしくは「オタク魂」を磨かなくてはならない時だ。
 そもそも何故私は、そこまでミュージカルにこだわるのか。たかが趣味、されど趣味。人生を豊かにしてくれるが破滅させもする。
 非日常体験であれば、ストレートプレイでも歌舞伎でもバレエでも、テーマパークでも構わない。勿論、どれも大好きだ。しかし、会社なんかで「どうしてミュージカルが好きなの?」と聞かれた時に「親が好きだったからですかね~」の返答は、嘘ではあるがそれだけではない。ミュージカルが面白いのは、登場人物の感情のリミットが外れた時の表現が「歌(もしくは踊り)」になるからだ。そこに描かれる心情描写が私はみたいのだ。
 台本だけだったら、文学だけでいい。音楽だけだったら音符だけでいい。でもミュージカルはそうじゃない。だから、同じ演目だったとしても演出家等のスタッフによって、キャストによっては無し方歌い方も変わる。現実と違って、短時間での感情の起伏が激しい世界感。だから、好き嫌いが極端に分かれる娯楽でもある。そして、そんな劇的に表現できる人たちが作ったものを私はとても面白いと感じている。
 昨今、クオリティの高い日本オリジナルミュージカルが多く上演される様になった。それは、大学にミュージカル学科ができたり、技術の高度度化により小さな劇場でもミュージカルができるようになったのも理由の一部かもしれない。精巧な舞台芸術を作成できるスタッフが増えた事、また、実力が高いキャストが増えた。それらは「日本独自のミュージカルスタイル」というものが確立に繋がっている。
 話が「薄桜鬼」と「CROSSROAD」に戻る。今回、全く異なる様に見えるこの二作品からは、共通点を感じる事ができた。もともと、歴史やファンタジーといったテーマは登場人物の感情の起伏を描きやすい。そして、解釈の自由度が高い。その二つを組み合わせるのであれば、尚更。
 ヨーロッパ、英語圏内の劇中では「神」「天使」そういった宗教的なものは、「習慣・慣習」である事が多い。レ・ミゼラブルで神はでてこないし、オペラ座の怪人で音楽の天使は怪人その人の事。一方、日本の劇中では登場人物の人生が岐路に立った時に現れる、人知を超えた存在として描かれる事が多い。今回であれば、「悪魔」「鬼」「羅刹」。それらが登場人物として役名があり、主人公と関わり破滅に導く。
 さるスペインの新聞記事にあった内容だが、西洋は二分法の傾向が強い。白なのか黒なのか、昼なのか夜なのか、死んでいるのか生きているのか。主張は分かりやすい方が良い。理解の近道は、親近感や一体感を産みやすい。しかし、日本の文化自体が二分法とは少し遠い所にある。歌舞伎・宝塚・漫画・ゲーム。存在しないものと存在するものが共存する事を美しく、良しとする。現実と非現実の境界にあるもの、かすかに感じ取れるものに接近する空間を作られる劇場にいつもワクワクせずにはいられない。
 私は基本的にスピリチュアルな物をあまり信じないが、今回のパガニーニ役の相葉裕樹と土方歳三役の久保田秀敏は、場を去った後の名残が似ていると感じた。「名残」は他の国の言葉でどう表現したら良いのか分からない。もしかしたらどこかにあるのかもしれないが。立ち振る舞い、歌、せりふ回しが綺麗なのは、最早彼ら位のレベルになると当然の事になってくる。不思議だったのは、全く薄桜鬼を知らない姉が舞台映像を見た際に久保田秀敏の土方歳三を「ああ、あの一番アンジョルラスっぽいのが土方か」と言った事だ。アンジョルラスは、ヴィクトル・ユゴーの小説の登場人物だが、パガニーニ、土方歳三とどこか似ている。これら登場人物の共通点としては、自らに架した厳しい掟に従い、高みを目指す事に喜びと開放感すら感じているよう、というところかもしれない。一般人には最早理解しがたい。
 観客がそんな登場人物に魅力を感じるのは「己の選んだ道こそが正しく、この世には命をゆだねるべき崇高なものがある」と信じてやまない果敢な姿なのだろう。
 ミュージカル、レ・ミゼラブルの歴史は長い。薄桜鬼も上演して十二年になるらしい。CROSSROADは二回目の上演だが、元来の朗読劇の上演は2016年だ。ミュージカルは数々の伝統芸能とはまた別のもの。不変である必要は全くない。土方が振るってきた刀と違って、いつでも表現空間は曲げる事ができるのだから。

以下、更に書き散らし
「CROSSROAD」
・中川アッキーって、本当にいつでもアッキーだ。「アムドゥスキアス」とかいう大層な名前がついているけど、X上で「アムちゃん」と呼ばれているのがしっくりくる。
・流石アッキー。歌で無理やり世界感に引っ張ってこようとする。
・アムちゃん、基本的にアッキーなんだけれども、突然の不穏発言と赤黒い証明で「あ、やっぱ悪魔だわ」となる。
・自由過ぎるアムちゃんとばっちニーニ。酒場で話すシーン自然過ぎてよく考えたらおかしんだけど、違う形で出会ってたら仲良しだったかもね。
・生山ちゃん!!
・山ちゃんの生歌、最高だった。終盤の「bring him home」みたいな歌、めっちゃ良かった。泣いた。
・ばっちニーニの山マンドの前での隙だらけの瞬間、可愛い。私が観た日はコアラになって抱き着いていた。181cmのコアラ。
・有沙アーシャとばっちニーニの関係性、心地よい。恋愛要素なしだったのが、良い。ユフィとクラウドっぽい。
・春野さん、さかけんさんの声、相変わらず沁みるな。絶対の安定要素。安心しかない。

「薄桜鬼」
・今年で四回目の薄桜鬼。毎回がジャック・インザ・ボックス。今年はそうきたか。
・誰かが書いてた土方が多摩のヤンキー説。多摩に住んでいるが、多摩にこんな綺麗なヤンキーはいない、が、言いたい事はなんかわかる。
・るり千鶴ちゃん、セリフと歌の時で声が違いすぎてビビる。ぜひ、もっとミュージカルやらないか?
・キスシーン、配慮してる。時代だな。私がかつて見たロミジュリなんて、な。。。
・新山南さん、顔小さい。歌うまい。そしてなんともいえぬ変な宗教の教祖っぽい。
・ノートルダムの鐘あたりから動く階段(人力)が流行りはじめたよね。
・平助君、1789のロナンっぽくなってきている。この流れは、もう止まらないのだろうか。
・殺陣!殺陣!殺陣! 見ている自分の肩に力が入りっぱなし。肩凝った二日間だった。


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