《365》予科練って知ってますか?
食とエネルギーを繋ぐ専門家
松永泉です。
今日は、終戦記念日ですね。
オットのお父さんは、大正14年生まれ。99歳です。
終戦から79年目です。
【甲種飛行予科練習生】を
予科練と略していいます。
オットのお父さんは、20歳のとき、ここに志願兵で入隊していました。
本来は、飛行訓練生なのですが、
特攻隊の予備軍として、駆り出されていました。
海軍は、当時、エリートの集まりと言われてました。
戦争が飛び立つ前に終わり、
オットのお父さんは、切腹をしようとしたのを止められたそうです。
未来を作るのは君だと。
松永家を終わらせててはいけないと。
だから、オットが生まれ、
私と出会うことができた。
娘も生まれました。
切腹って、、
それくらい切羽詰まってた?
お国のために。
戦争にいつでも行くという。
予科練の仲間とは、
靖国で会おう
が合言葉だったと。
お父さんはおっしゃってたそうです。
オットのお父さんが60代半ばころ
上官だった人が、
当時の予科練の仲間を見つけだして、このビデオを
託したそうです。
私は、これを再生したとき、
鳥肌が立ちました。
痩せてはいるものの、
筋肉質で
みんな、バク転をやったり
すごい運動能力なのです。
皆が体操日本の代表のようです。
今回、私の息子が見たいたいうので、オットが見つけて持ってきました。
再生するビデオデッキがないので
CDにしてもらうのを頼んできました。
貴重な映像です。
あれをみたのは、10年以上まえ。
また、見られると思うと感慨深い。
息子にも感謝です。
私が生まれたのは戦後24年が過ぎたとき。
20年前なんて、年取ってみると
ついこの前のようです。
そんな戦後、高度経済成長の波とともに育った私たち世代。
もう、戦争経験者がいなくなりつつあります。
私の父でさえ、92歳。
あの戦争が何を教えてくらたのか。
あの戦争で、日本は何をなくしたのか。
優秀なエリートたちはいなくなりました。
食文化も奪われました。
考えてみる時間が、終戦記念日なのでしょう。
【もしも徳川家康が総理大臣になったら】
ピンチのとき、どんなリーダーがいいのか。
徳川家康や特攻隊として亡くなった人たちが望んだ世の中になっているだろうか。