見出し画像

タンパク質を摂ると撮る4

今日は4日目。虫は新しいタンパク源となるだろうか?対して環境負荷が高いと言われる牛を食べるってどういうことだろうか?を考えることにした私は、牛の撮影から始めることにした。なぜなら撮れるかわからない、時間がかかると思ったから。

最初は色々聞いてみたり調べてみたりしたものの、ゲップだってわかるんだろうか?撮れるんだろうか?どんなものかわからないので、大きな観光牧場に行ってみた。しかしまだ寒い時期で放牧もされておらず、関係者以外立ち入り禁止の看板があり牛舎には近づけない。伝染病、口蹄疫などもあるので簡単には入れてもらえない、ましてそんな理由で…と言われてたので「やっぱりかー。確認すらできないかー。ハードル高いなー。」と肩を落とした。しかし、酪農にこだわりをもって熱心な取り組みをしている方がいるのでは?と思い、以前に訪れた島根県へ。うちは牛乳を常飲はしていないが嗜好品として使う際、木次乳業のノンホモ牛乳を買うことがある。スーパーでも限りがあるが買える。それは奥出雲にあるメーカーでホルモン注射なども打っておらず、そのパックには「赤ちゃんにはお母さんの母乳をあげてください」と書いている。どんなところで酪農されているのだろう?と思って、以前に見に行ったことがあった。あれは多分8年くらい前。その時、あ〜こんな自由にのびのび居てるんだな〜と思ったが、そこで勉強された方が始められた牧場で、牛舎の案内や酪農の説明をしてくださるという情報を知って、伺うことができた。ロケーションも最高で、天気もいい日で、牛たちはとても感情豊かで、子牛もたくさん居て、自由だった。

まともに撮影ができた1軒目で、たくさんお話も聞かせてもらえた。牛のゲップのことも聞いてみたが、「今までやってきて、それは感じたことない」とおっしゃるので「え!録れるかな?」と思ったけど、じっと見てたら、やっぱりしてる気がする。でもたくさん牛が居るので、どうしたらいいんだろうか...今にして思うと、最初の撮影は牛の存在感に圧倒されて、撮っても撮っても何だか普通。普通のただの牛の写真で、これは完全に牛に負けてる。撮らされてるな、と思う。しかし楽しかった。

牛は本当に見てて飽きない。なぜかちょっと仕草に人間ぽさがある。中に人が入っているじゃないかな?と思うこともある。特に座るときが面白い。前足をゆっくり折ってから「よっこいしょ」って感じで後ろ足は同じ方向に、お姉さん座りみたいな感じで流している。これが人っぽいのだ。二度見もしてくれる。好奇心が強い牛はカメラを食べてみたいと舐めてくることもある。舌が手のように器用なので、巻き取ろうとする。草だって舌で巻き取って食べるし食べてる時も舌を回すように動かしているから、発達するだろうと思う。私を見つけてワラワラと集まってくる牛たちからは「なになに?だれ?なんかくれそうなの?」と考えていることが透けて見える気もする。その後ろですごく睨みつけてくる牛もいるし、全く意に介さない感じの牛もいる。ゆっくりの動きが神々しいと思えることもあって、インドでは神様のお使いだし、北野天満宮でも牛が祀られているから「なるほどな〜」と思わされる。マイペースなのがいい。お尻の骨がすごくセクシーというか、かっこいいなと思う。しかし基本的に食べているか寝ているか。

乳牛はメスの集団でオスが生まれたらしばらくして肉牛として売られるそうだ。メスとオスでは性格の違いがあるかはよくわからないが、畜産の肉牛となる牛は基本的に2~3年でお肉になるので、大人の牛の性格はもっとわからない。でも、あの表情と感情が豊かな牛が、あの白いパックに入ってラップして売られていたんだな〜と思うと、最初から食品ではないなとつくづく思う。当たり前を実感する。

乳牛は13年くらい生きるがお産を繰り返して最後は肉として出荷されるらしい。本来なら寿命は20年くらい。自然に近い形で飼育されている牛は、しっかり運動もしてサシが少ない。北海道や九州ならば、広大な土地でたくさんの牛も飼えるだろうけども、この時期で私が行ける牧場さんにはそこまでの数はいないが、こだわりと誇りを持って取り組んでおられる酪農家さんが多かった。志が高く「命を扱う職業である限りは最後の最後まで決して無駄にはしない」という決意を教えてくださる方もいて、それはそれは勉強になった。だいたい10件ほど、結構な距離を移動して撮影させていただいた。牛が食卓を、乳製品やお肉で豊かにしてくれていることに違いはなく、たくさんのレシピと文化がある。そして、こんなに懸命にお仕事されている方々に支えられているとよくわかった。

余談だが、撮影には子どもを連れて行くこともあって、古いとは言えど、一眼のフルサイズ機を持たせているので、結構いい写真を撮っていたりする。負けていられないなと思う。先に牛を撮りに行ってしまったので、面白いが自分の想いがなかなか写真に透けているとは思えなくて、撮っては眺めてまた撮りに行くを繰り返す日々だった。

明日は虫の話を書くことにします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?