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医療 × アートの無限大の可能性を思い出そう

「なんで医療とアートが連携する必要があるんですか?」

私は2020年4月から、長野県軽井沢町にある「ほっちのロッヂ」というところで、在宅医療を中心としたケアの現場と隣り合いながら文化的な催しやプロジェクトを企画運営する、いわゆるアートマネージャーのようなことを仕事にしている。

見学に訪れる方や、学会などで出会う方によく聞かれるのが、冒頭に掲げた素朴な質問だ。

「えっ、むしろなんで一緒にやらないんですか?」

と、逆質問したくなる気持ちをぐっとおさえて、いつもしどろもどろになりながら「アートの必要性は・・・」とか語らされちゃって、聞かされている方も苦虫を噛みつぶしたような顔で「ふーん・・・」と分かったような、分からなかったような気まずい感じになるのがいい加減格好悪いので、ここらへんでしっかりとまとめておこうと思う。

1.私たちを隔てる、3つの前提

私たちの「分かり合えなさ」には、おそらく3つの前提があります。

①アート=ハイカルチャー。

高級文化(ハイカルチャー)という言い回しがあります。高級文化とはヨーロッパの貴族社会がつくってきた文化様式に由来し、料理マナーから服装、音楽や絵画の形式、劇場や美術館の佇まいに至るまで、上流の、きらびやかで上品なイメージがつきまといます。
日本でも明治維新以降、こういった上流階級の西洋文化をまねすることで、文明に追いつこうとする運動(流行)が起こりました。こういう文脈におかれた「アート」は、作品の歴史や細かいうんちくを共有したごく狭いコミュニティのなかで、多くは趣味の一部として消費されてきました(言い方に悪意がありますかね!笑)。

日本で「アート」というとどうしても敷居の高い感じがして、一般庶民には遠い存在のように思えてしまうのは、まずこういった歴史的前提があると思われます。

②医療とアートは最も遠い関係にある。

人間の体を極限までミクロに分解し、数値と論理で実態を理解しようとするサイエンスとしての医療と、人間の五感をフルに使って、実態を直感的・感覚的に理解しようとするクリエイティブとしてのアート
したがって両者は最も遠い関係にあり、それぞれを専門にしている人同士は交わるきっかけがなく、分かり合えるはずもない、と思われている節があります。とくに①の、アートは高級文化であるという前提と合わせれば、両者の距離はもっと遠く離れていきそうです。

③「療法」としてのアート

病を治し、延命することを最上ミッションとする医療に対して、アートにはそれが不可能だ。せいぜい趣味の範囲内か、癒しや療法の一環として医療の補助的に役に立つかもしれないね?
療法としての関わりも、医療技術のエビデンスに比べたら曖昧で、偶然まかせで、一定の効果が保証されていない。

と、そんな感じで、多くの場合は医療>アートという関係性で理解されているのではないでしょうか。

2.私にとっての2つの前提

私たちを隔てる上の3つの前提はいったん全部忘れて、違う角度からアートを定義してみましょう。

①アートはいのちをすくう

絵画、映画、写真、音楽、彫刻、ダンスそのものは、物理的に流れる血を止めたり、止まった心臓をよみがえらせたりすることはできないかもしれません。
でも、心から感動できるアート表現に出会った時、それは「生きててよかった」「明日もがんばろう」と思わせてくれる原動力になり、誰かと誰かの思い出をつなぎ、物理的に存在しないものへの想像力を働かせてくれるきっかけになるかもしれません。

ただ脳みそが働き、心臓が動き、呼吸をしている状態を「生きている」と呼ぶわけではないと思います。ここにいなくなってしまった人も、本当は色々な形で共に生きているはず。

そんな目に見えない価値を日々の営みとして表現し続けるのが、アートという手法です。この営みは、前節の③で求められるような補助的な役割にとどまらず、その人の生き方をすっかり変えてしまうようなインパクトも含んでいます。医療で治せない病が、アートによって治ることもある、と言っても良いかもしれません。

②アートは一期一会

「病気を治す気のないアートが、病気を治しているとしたらどうだろう」

鷲田清一『素手のふるまい』

「癒し」や「治療」を目標にしていないのに、それをも達成してしまう力。そんなウソみたいな一期一会が起こるかもしれないという楽しさが、アートにはあります。
私たちはだいたい「これが好き」「あれがきらい」と、好みでモノを観察していると思います。ですが、「全然共感できないのに泣ける」「絶対好きじゃないのにものすごく心をつかまれる」といった不思議な現象を起こすことがあるのがアートです。

この前提をふまえると、療法的なアートというあり方はごく限定的でしかないことが分かって頂けるでしょうか。こういう不思議な一期一会を演出するのが、私のような「アートマネージャー」という仕事であります。

3.思い出そう、クリエイトしよう、医療 × アートの無限大の可能性を。

すくうのに、すくわないこともある。笑。何のために、誰のために医療やアートはあり、どんな可能性があるのか。

音楽療法なんかの書籍ではよく引き合いに出されますが、医療が発展していなかった古代ギリシャ時代では、音楽と医学はお互いに交じり合った学問でした。その当時、人々が音楽に寄せていた期待を、今こそ思い出すときだと思うのです。

アートの世界では、さまざまな現象を自由に解釈することができます。誰かの指先が少し動いたことを、哀しみと受け取るか、嬉しさのあまりとっさに出た反応と受け取るかは、受け取り手の想像力にゆだねられています。

すでに多くの先駆者が指摘しているように、また、私自身も周りの同僚たちを見ていると感じるように、こういうアートの世界って、ケアの業界でもたくさん起こっていることだと思うのです。
ケアの技術だけではどうにもならないことも、アートの視点で解釈できれば、ケアする側も、される側も、心がすくわれる場面がきっとあります。それどころか、ケアの発想それ自体がアート表現になっていることも多々あるのです。

だからこそ、「まったく遠い存在」だと思われている医療とアートに接点を見出すときの感動を、もっとたくさん発見し、クリエイトしていきたいと思っています。

(2024.4.14)

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