今月見た映画(2019年1月)

12月は時間に追われて映画を見られず。あっという間に年は明け、2月も半ばになってから、1月見た映画を振り返ります。1月は社会派レキシ作品を2本でした!

BPM(ビート・パー・ミニット)(原題:120 battements par minute)
授業妨害イエーイ!ケンカ上等!!の荒れ放題な学校で、日記を書く授業で子どもたちに寄り添おうとする教師を描く「パリ20区、僕たちのクラス」の脚本を手掛けた、ロバン・カンピヨが脚本・監督。舞台は1990年代、HIV/エイズ差別と闘う「ACT UP・パリ」のメンバーが展開する、激しくクールな運動の現場。

前作に続き、場面転換のテンポ感、細部まできちんと文脈化されたセリフづくりが素晴らしいです。

映し出される運動のスタイルは、米国で始まったACT UPで発明されたものとあまり変わりはないけれど、「ニューヨークやベルリンよりもずっと薬が高くて、関心も薄くて動きが遅い、こんな不公平はない!」というようなことを登場人物の誰かが言っていたのが気になるな。フランスのエイズ事情はどうだったんだろ。日本の気軽なレビューだと「生きることのはかなさを描いた映画」とか出てくるけど、それは観点ちげーと思うぞ。

このレビューが面白かったので、シェアしておきます。

否定と肯定(原題:Denial)
自分が体験したのではない歴史的な悲劇を、いかに次の世代に伝えるのか。これはひそかに歴史学出身である私のひそかな探求テーマなのですけれども、ホロコースト否定論者と歴史学者の間で、「ホロコーストの真実」をめぐって実際に争われた裁判を描いたこの映画も、この探求テーマの延長線上にあります。

1980年代後半、つまりホロコーストを自分が体験したわけではない世代がいい大人になった頃、「否定論者」や「修正主義者」と名乗り、いかにもアカデミックな装いで「ホロコーストはなかった」と語り始める一派が台頭しました。その主張は1つ論拠を挙げただけですぐにくつがえされるレベルのものなのですが、この裁判で暴かれるのはもっと深刻で危険な、否定論者たちの問題のある倫理観です――彼らがほかならぬレイシストであり、セクシストであり、他者の尊厳や人権を蹂躙しても構わないとする態度そのものが、スピーディに裁かれていきます。

裁判を闘い、勝訴を勝ち取った実際のリプシュタットさんはこちら。「論じようのない真実というものがあるのです」かっこいいぞ。

<映画で学ぶ英語>

I'm not attacking free speech. On the contrary, I've been defending it against someone who wanted to abuse it.
(私は言論の自由を攻撃しているわけではありません。むしろ反対に、言論の自由を濫用しようとしている人に対してそれを守ってきたのです)
The freedom of speech means that you can say whatever you want. What you can't do is to lie, and then expect not to be held accountable for it.
(言論の自由は、自分が言いたいことを言うということです。しかしやってはいけないのは、うそをつくこと。そして言ったことについて責任逃れができると思ってしまうことです)

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