ちょっとだけ嬉しかった。
『ずうっと、ずっと、だいすきだよ』
ハンス・ウィルヘルム作
1年生の国語でつい最近学習していた読み物です。愛犬のエルフに毎晩男の子は寝る前に「だいすきだよ。」と伝えていました。エルフが死んだ時も、家族のみんなは悲しみました。もちろん男の子も悲しかったけど、ちょっとホッとしたと。なぜって毎晩ちゃんと気持ちを伝えていたから「大好きだよ。」って。でも他の家族は、大好きだよって言ってあげれば良かったと後悔して悲しんでいます。
私の心の中で、このお話というかある男の子の感想が静かに波打っています。
この教材の学習の終わりに、主人公になったとしてエルフ(愛犬)に何が言いたい?どんなことを伝えたい?という課題がありました。この男の子に、同じような質問をすると「エルフが死んでちょっとだけ嬉しかった。毎晩大好きだよって言うのに、ちょっと疲れていたから。だから死んだから、もう言わなくてもいい。だからちょっと嬉しかった。」
私はなかなか理解できずにいたので「ちょっと嬉しかったん?なんで?」と何回も聞き返した。愛犬が死んだら悲しいだろう。でも本文に書かれている「ほっとした」気持ちも大事だ。男の子が言う嬉しい気持ちと本文に書かれているホッとする気持ちは、似ているようで違う。そんなことを考えながら「ほんとに嬉しいの?」と聞きました。すると男の子は、「悲しいっていうのは先生の考えやろ。」自分の考えは自信なさげでしたが、変えませんでした。
今、振り返って男の子の考えについて思うことは、介護に疲れた人が言いそうだなと。「大好きだよ」を毎晩伝えることが義務になっていたと感じたのかもしれません。
好きなことなのに、いつのまにか自分の「しなければいけないこと」に変わってしまうこと。じぶんの首を気付かないうちかないうちに自分で縛っていないか。そんなことを考えています。
男の子がそう考えた理由はわかりませんが、でもそう思ったのならそうなんでしょう。プリントに思ったことそのまま書いてもらいました。
好きなことが義務になるって、なんだか残念な気がします。でもひょっとしたら、そうではないのかもしれません。私も無意識にそんなことしているのかもしれません。仕事帰りに自転車をこいでいる時とか、ふと考えてしまいます。答えなんてないんだろうけど。
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