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ちょっとやそっとじゃ

韓国の田舎町に住んでいる。バスターミナルの近くで市場や学校もある旧中心部だ。近所にはお年寄りが多い。車で動く若い人の多くは郊外のアパートに住んでいる。




右も左もお向かいも、隣は70代のハルモ二(おばあさん)だ。お年寄りにもよると思うが、このハルモ二達がかな~り手強い。先々週、向かいのハルモ二とうちの夫が大喧嘩した。





うちの夫は水を大事にする気持ちが強い。雨水を貯めては観葉植物の水やりにつかっている。「韓国は降水量が少ないから!」と言う。夫が路地の脇に空のバケツを置いて数日後だった。雨水が溜まったはずのバケツが、朝になると必ず空になっていた。一体誰が捨ててるのだろう?と夫が近所で聞き込んだ結果、向かいのハルモ二の仕業だと分かった。




夫はそのハルモ二に抗議した。ハルモ二は「バケツの雨水が壁づたいに沁み込んで、うちに流れ込んでくるから」という。その場所には用水路に向かう緩い傾斜があって、バケツの水がハルモ二の家側に流れ込むのは物理的に難しい角度だ。重力がある限り。しかしハルモ二は「絶対流れ込んでくる!」と譲らない。恐らくバケツがそこにある事自体が嫌なんだろう。





ここで「はい、そうですか」とひっこんだら、今後も雨水は全捨される。夫はそれはそれは強く、お年寄りになんちゅこと言うの!のレベルで声を荒げて抗議した。「やめてくれ~」と妻が恥じる程だった。とても記録に残せない!録音されてたら訴えられるかも。(しかしそんなこと出来る若者はうちの近所にはおらず笑)




しかし!ハルモ二の方も全然も負けていない。そんな事言われた位で凹まない。「悪かった、もうしません」なんて死んでも言わない。最後の最後までこの水はうちに流れ込むに決まってる!で通す。すごいなあ元気だなあ、何食ってんだろ? 科学実験ではハルモ二負けると思う。まずは重力に。正誤の問題じゃなく、ハルモ二は「口喧嘩に負けたくない」から怒鳴ってるんだと思う。韓国で住んでからそんな喧嘩をよく目にしてきた。



近所に響き渡る犬の喧嘩みたいな大声を聞きながら「どっちもどっちだなあ」と思った。文句言われてやめるようなら、人の家のバケツ゚の水なんか捨てない。そんな人を止めたいなら、優しく言ってもダメで、これくらい強く言わないと伝わらない。



さて、結果発表!ハルモ二はそれ以来バケツに触れなくなった。ある意味、夫が勝った。そしてこんな言葉をお年寄りに放ったのに、うちの夫は意外に嫌われない事に一番驚く。一週間後にはハルモ二と普通に話していた。そして夫の方もその後、バケツの位置をしれっと変えていた。あれ以来夫はその話をしない。多分夫の中で終わった話なのだろう。怒りがちゃんと燃えたから。




これは20世紀以前の韓国では、よく見られた光景だ。そういう姿を見て日本人は驚き、韓国人は自らの事をこう言った。「韓国人には日本人のような本音と建て前がない。思ったことを率直に言いお互い情で分かりあうから後腐れがない」と。うーん、情で分かりあうというより、声のデカい者勝ちにしかみえないけどな笑、、どちらにしても現在の韓国ではもうほぼ消え去った光景だと思う。どういうわけだか私の周りにはまだまだ色濃く残っている。ご近所のハルモ二が一人一人減っていけばそのうち消えてしまうと思うが。




数日前にまたも水トラブルがあった。今度はお隣のハルモ二とだった。お隣さんは自分の庭の水道が壊れたとかで、生ごみバケツの洗浄にうちの水道を使う。一言の断りもないのがなんだか気分が悪いが、短時間なので何も言わずに来た、何年も。時々水道の栓がしっかり閉まってないので、何だかすっきりしない。しかし数日前の夜だった。ハルモ二と50代と思しき娘が二人でえらく長くうちの水道を使ってる。もちろん一言の「使いますよ」もない。水に厳しいうちの夫が言った。「なんで自分の家の水道を使わずにうちの水道を使うんですか?」




答えは「卵が割れちゃって」だった。卵だろうが何だろうが、隣家の水道をそんなに呑気に一時間近く使えるのかを理解できない。夫がまた強く言った。「水道の栓が閉まってない事が時々あるんですよ」「それは絶対私達じゃない!ちゃんと閉めてる」



「なんで自分ちの水道使わないんですか」の問いにものらりくらり。なんだかんだで洗うもの全部洗い終えて去っていった。ちょっと言われて即やめるようだったら、最初から他人の家の水道なんて使わない。この世代のハルモ二達は、最初からちょっとやそっとじゃへこたれないメンタルなのである。手強いのだ。




「やりたいことをやりなさい」を時々はき違える、好きなこと言ってる元気なハルモ二達が私の隣人だ。うちの身内も同じようなもので。(以前書いた「あの柿を取るのはあなた」をご参照ください)



そしてその人達と付き合う私も、それと対峙するため、どんどんふてぶてしくなる今日この頃。年を取ると人間丸くなるのねと、昔は思っていた。人は大らかなお年寄りになるのだと。しか~し、それはそっち方向に加齢が進んだ場合の話。老人施設のスタッフなんかも、そう思う人が多いんじゃないかなあ。人は加齢で出来ない事が増えていくと、いっそかたくなになっていくように見える。ただあのハルモ二達の根拠のない強気は、嫌いじゃない。何よりガッツがあって長生きしそう笑




「やってらんねー!食えない婆ーさんばっかだよ!」と思う時もあるけれど、、この「強い気」にあてられてくたっとなるのもバカバカしい。鯉のぼりの口から入った風が尻尾からするりと出ていき、それではたはたと泳ぐ術というか。そういう風にエネルギーを有効活用しながら自然に生きられたら、と思う。向かい合ってこっちに火を噴かれたら黒焦げだけど、方向を揃えてあれが味方になった時には、こんな元気な応援団はないだろうに。無理せず気張らず、ご近所のハルモ二達とちょっとだけ関れてたらそれで良い。ソフトな人間関係。しかし今のとこハードだな笑



夕べ夜中に大雨が降った。朝、夫はバケツにたっぷり溜まった雨水を見て喜んでいた。もうご近所の誰もそこに手をつけたりしない。それは夫が舌戦の末に勝ち取った小さな勝利。その戦い方の是非はおいておいて。あの「それがどうした?俺がこう思うんだよ!」みたいな正面からまっすぐぶつかる強いエネルギーは動物的で悪くない。ただお互い吠える方向を整えていくと、もっといいよね、とこの件について思った。夫もハルモ二を黒焦げにしてどうする。また、いまさらハルモ二達に「吠える方向変えましょう」は難しいと思う。あの人達が「吠えたくなくなる状況」を作るとか、一休さん的な方法もあるかと思う。



一気に話が飛ぶがこんな話がある。アメリカの高校で女子学生達が鏡にキスマークを付けるのに困った掃除のオジサン。(落ちにくいんだと)
先生に頼んで放課後に女の子達を集めた。「やめてね」ではやめない事も分かっていた彼は、トイレの便器に突っ込んだモップで鏡を拭いた。「毎日こうやって鏡を拭いてんだ。落ちなくて困っちゃうよホント」翌日から誰も鏡にキスマークを付けなくなったという。




ハルモ二達の得になる、または損になる展開を考察する、、しかしそんな事ばっかチマチマ考えていたら、私の頭の中が「ハルモ二色」に染まってしまうではないか笑  やめやめ!やめ~!!ストップ笑 (ハルモ二色って何色だろう?)




こういうご近所トラブルで頭をいっぱいにするのは、自分にとっては幸せじゃない!今後こういう事が起こった時に、即座に「火を噴く」事が出来るよう、肉でもガッツリ食べよう!あ~暑い。本日は韓国の「光復節」で祝日だ。ヒエヒエの冷麺に牛肉プルコギ合わせてしっかり食べよう! 発射しなくても「兵器もってる」がチラみえすると、勝手に防御になる、というのは、国家じゃなくて個人の次元でも有効なようである。ちょっとやそっとでこっちもくじけていられないっつーの。   ありがとうございました。


 



 


 















 

















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