映画の正しい使い方
2023年冬に公開されて大ヒットした韓国映画「ソウルの春」というのがあります。韓国の史実を基にしたシリアスな内容で、最後はかな~り悲しくてしんみり。
うちの大学生の長男が旧正月で家にいる時、この映画の話が。
「オンマあれ見た?」「見た見た、あんたは?」「彼女と見に行った」と。
https://note.com/emikorea_love/n/nfaab97fa1479
(先日その彼女がうちに遊びに来た時の話↑)
この映画は韓国の近代史の話なのだけど、若い韓国人に受け入れられたというのがヒットの一要因。息子はこれをどう見たのかな?と思い、「あの映画にどう思ったの?」と聞いたところ
「内容ぜーんぜん覚えてない」
「なして?」
「実はこの映画をみた後に、彼女に告白しようとしてて。だから映画見てる間中その事しか考えてなくて内容が全然頭に入ってこなかった」
「そーか。で、告白したら彼女なんて言ったの?」
「ジャスト三秒後にYESって!」
「へ~良かったね」
この映画、面白く作られてて手に汗握る息もつかせぬ展開の連続なのですが、告白直前ドキドキの若者の前では、ストーリーも重厚な演技も何の意味もなくなる。誰かの恋の前ではシリアス映画も色褪せる。
息子の話が続く。
「彼女がいうには、この日告白されなかったら
自分から告白して『付き合おう』っていうつもりだったって」
なにそれ、すごいラブラブ。
つまりこの歴史的映画は、君らの恋愛を盛り上げる一背景として使われたわけね。映画の内容とか全然関係なくて。もしや全然別の映画でも構わなかった、映画でさえあれば良かった?笑
「ソウルの春」は「僕の春」の思い出になったわけね笑
こんな形の映画の感想があるのね、と思ったけど
いやいや!違う違うそうじゃない!
映画は昔からデートに使われてきたのだから
息子の映画の使い方の方が
正統派なんじゃないのか?という気が。
映画を「デート」に使ったことって若い時でも一度もなかった気がする。いつも内容に集中してみてた。隣の男子の気持ちを考えながら鑑賞した事なんてたったの一度もなかった。マニアックでマイナーな映画を一人で見た事も何度もある~。今は映画館で夫と横並びで見ることが多いけど、鑑賞中「夫の気持ち」なんてこれーーーっぽっちも考えずに見てる。なんか言ったら「うるさい!」と切り捨てて画面をガン見!
息子の映画鑑賞の方が「人として楽しい」し「人として幸せ」だと思えてきた。私は映画鑑賞後後味わいをもっと深めようとして原作探して読んだり、同じ監督の他作と比較したり。それはそれで映画の「正しい見方」の一つだし、楽しいからやっているのだけど「ひとり遊びの楽しさ」だ。今やそれを他人とシェアするSNSの場所だってあるけど、基本一人作業。
映画館のカップルを羨んだことも僻んだこともない(と思う)けど鑑賞の仕方、楽しみ方が別次元。同じ場所であっても違う宇宙を生きている、ということを息子の話を聞いて気が付いた。あなたと私は最初から人生に求めてるものがまるで違うのね~。
荒井由実時代のユーミンが作った「いちご白書をもう一度」(1975年)という歌がある。
失った学生時代の恋の話。(バンバンが歌ってました)
いつか君と行った映画がまたくる。
授業を抜け出して二人で出かけた。
君も見るだろうか?「いちご白書」を。
二人だけのメモリー、どこかでもう一度。
「いちご白書」という映画は、歌の中で「いつか確かにあった二人の思い出の象徴」として使われてる。
息子にとって「ソウルの春」という映画は、このまま彼女と上手く行っても大切な思い出の映画。
上手くいかなかったらもっともっと思い出の映画になるのだろうなと思った。その時は「『ソウルの春』をもう一度」かな笑
「なーんにも覚えてない」という息子の斬新な映画評に、驚きながらも「そういう映画の使い方」に敬服する思いだ。映画の使い方が映画オタクなだけの母親の予想のハルカナナメ上。
映画の内容を覚えてなくても、愛する人の手を素直に取れた方がずっといい。映画の内容にばかり深くコミットして、隣人の顔色見られない人より何倍もいい。
「ソウルの春」ってカラー映画だけど、暗い内容のせいか白黒映画を見てる気分だった。だけど息子の告白話で映画に色が掛かった。それはなんだかピンク色の気が笑
旧正月を過ぎた韓国は暖かい日が続いています。本当の春がもうそこまで。 ありがとうございました。