近所の運動場のはなし
わたしはいつも何かを考えて生きているタイプではないので、もちろん頭が空っぽの時間もあるし、なんなら割合は五分五分だ。
いや、もう少し、6対4くらいには。
口にしてから改めて考えて、訂正することもよくあり、誰も気に留めていないのは承知の上に、わたしが許してくれないのだ。
晴れた日曜日。
なんの予定がないことも気にならないくらい気持ちが軽かった。なんかいいことあったっけ、と思ったけれども、姪っ子(生後4ヶ月の妹の子で昨日から実家に泊まりに来ている)効果かもしれない。
指を握られるだけで、なんとなくそこに在ると気付いていたモヤモヤを、いやいや、元から在りませんでしたよ?くらいには綺麗に忘れさせてくれて、癒された。しまいにはなんでもしてあげたくなる、なんて才能だ。
姪もお昼寝をするよう、すっかり母になった妹に煽られて、毎回のこどくまんまとやられていた。愛らしい。
やることもなし、今日も散歩に出かける。
いつもと同じコースを選択できるほど、わたしの心は一定を保っておらず、自分にしか手がかりのない確かな根拠で、太陽の光を独占できるコースを気づいたら歩いていた。
この選択はやや多めだ。
緑の匂いを無理やり感じるように、鼻で深く息を吸ったと同時にまぶたも優しく閉じたりなんかして、いかにも質の良い散歩をしています、みたいな散歩界のカリスマを演じた。誰も見ていないことは想定内だ。
かといってふらふら歩いているということは変わらず、耳を澄まさなくても声が聞こえてきて、つられた。
背丈のばらついた子供たちが、同じユニホームを着て勢いよくバットをスイングしていた。
子供たちの親よりも上の世代だろう、監督と思われるそのおじさんもユニホームを着ていて一球一球に何かをコメントしている。
わたしは人が何をしているのかとても気になってしまう人だ。
10秒くらい足を止めてしまったが、本当はその姿を応援しているお母さんたちの横から、しばらく観ていたかった。
おそらく今日から練習が再開した様子だ。表情が弾んでいて、監督も大人のあんな笑顔は久しくみていなかったことにハッとなった。
気づかないうちに奪われていたものの多さを思い知る。
元どおりですよ!
そう言われているようで心地が良かった。
実際にはまだまだ、ということは解っているし、わたし自身も未だ日常に濁りを感じている最中である。
それでも、自分だけの深呼吸で満ちたと誤魔化していた心が、その世界を覗いて安まったのだ。
これからもそれぞれの深呼吸を続ける。
p.s.
2020/06/07 晴れ
毎日投稿しよてみよう!と思ってから3日目。時間の確保と心の置き場所が見つかれば自ずと書けたが、世界に出て行かないと限界を感じる。
姪をかわいがったせいか、散歩道で腰を辛いくらいに曲げたおばあちゃんの車道側をいつもよりゆっくり通り抜けた。