信号待ちをする兄弟のはなし
べつに急いでいるわけでもなく、なんなら時間を手持ち無沙汰にしていたし、運動も兼ねて散歩に出掛けた。
信号のライフが減るのを見つけて、飛びついたように、だけど周りには悟られないように助走から早歩きして渡るわたしだ。
駆け込み乗車をした時に、なんだか小っ恥ずかしくて飛び乗ったドアの2つ先のドアまで歩く羞恥心とよく似ている。
というか同じだ。
そうならないための、早めの早歩きなのだ。
わたしがそうして半分くらいきたところで、前から小学校低学年くらいの兄弟が、まだまだ下手くそなハンドルさばきで自転車にまたがり、懸命にペダルを回していた。
あなたたちもこの信号を渡りたいのね。
だけど少しだけ距離があって、兄の方が先にその信号を諦めた。
諦めるタイミングも、次の呼吸で点滅が始まるという絶妙なタイミングで、諦めた兄にわたしは強く頷いた。
賢明な判断。
とうとう兄の後ろを走っていた弟が追いついて、兄が諦めて後ろを振り向いて待っていても、自分の両足を地面につけるまでは諦めていない勢いだった。
バランスの取れた兄弟だ。
わたしが渡りきったゴール地点で、次のチャンスを待つ兄弟を横目に、久しぶりに大切なことを思い出した。
兄のあたたかさに、弟はこの先しばらくは鈍感だろう。
そういえば家族ってそういうものだった。
p.s.
2020/6/5 晴れ
洗濯物がよく乾いたので気分が良かった。
はじめて行った近所のbook cafeで、はじめて記事を書いた。
お気に入りの場所を見つけたのでまた記事にしていきたいと思う。
それにしても言葉は難しくも面白い。